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「好き」と「嫌いじゃない」の違い、フィクションでしか書けない「ほんとうのこと」|マイトンさんへのお手紙#3

えむのマイトンさんとの往復書簡シリーズです。なお、本企画はマイトンさんのやさしさおよび知性と、あわいの無茶な突撃力により成り立っております。

我ながら本当に
無茶振りもいいところです。

前回のお話はこちら↓

通しで読みたい方はマガジンからどうぞ↓

***

あわい→マイトンさん

お返事ありがとうございます……!

むむーん、ほほう、とそれこそ面白く読ませていただいています。
おっしゃっていただいた通り、あーでもない、こーでもないとコネコネしているのがこんなに楽しいことはそうそうないので、存分にぐるぐるコネコネしていたら9月に突入してました。楽しくてつい😆(ベン図は一旦諦めました😂)

さて、いただいた質問にうつりますと。

自分の文章は好きですか?好きだとしたら、どこが好きですか?

マイトンさんのお返事②より

実はこの質問をいただくまで、「自分の文章が好きかどうか」って、たぶん考えたことなかったんですよね。

とはいえ、

だから自分の文章って、ある意味では自分専用に長年かけて調合した「好きな文章」のブレンドなんですよね。

マイトンさんのお返事②より

っていう表現は、確かにその通りだよなぁ、と思ってもいて。

で、まずエッセイの場合。

改めて考えた時に出てきたのは、「嫌いなわけじゃない」だったんです。

そこは「好き」でよくないか?と自分でも思うんです。
「好き」か「嫌い」か二択で選べ、と言われたらたぶん好きなんです。

じゃないと、わざわざ自分で時間とお金かけてエッセイをZINEにして、文学フリマに出すために大阪まで行こうとしないと思うんですよね(笑)

けど、一方で、私は自分の文章を自分ではわからないな、と思っているところもあって。

私、手触りのある文章が好きなんですけど。

自分の文章の手触りって、書いている自分じゃわからなくて。

嫌いじゃない、というところまではわかるんです。
noteにしろZINEにしろ、身体の感覚と、自分から出てきた言葉が合っている状態でしか出さないようにしているので、そこが合っている文章は、ズレていないから嫌いじゃない、んだと思います。

そういう意味では、身体の感覚と出てきた言葉がズレていると、「なんか違う」となるので、嫌いというよりは、「違和感が強い」のほうが近いです。


で、「嫌いじゃない」んですけど、それならイコール「好き」かと聞かれると、「?」となるんですよね。
わからない、が一番近い、ような。

もしかしたら、「わからない、ということにしておきたい」も若干あるかもしれません。

人間関係と、多少近いところはある気もします。
例えば、「この人が好き」と「この人のこと、嫌いじゃない」って結構隔たりがある気がするのですが、いかがでしょう?

あとは、「この人のことが好きかもしれない、でも認めたくない」みたいな感じですかねぇ、近いとすれば(苦笑)

自分のエッセイは特にこの感覚が強いですね。


で、これまた不思議なことに、創作だと、自分の文章って割と好きなんですよね、たぶん。そこがあんまり「嫌いじゃない」みたいな感じにならない気がします。

どこが好きか、かぁ。
しいて言えば、基本「明言しない」ことかもしれません。これ↓とかもそうですね。

「名付け」が苦手なので、創作だと特に、「明確に名前をつけられないけれど、描写で表したい」というのがあって。

世の中にある出来事で、明確に名前がつく出来事って、そんなに多くないと思ってるんですよね。
大抵どんな出来事にもグラデーションがあるから、同じ名前がついているけれど実は全然違う、とか、違う名前だけれどどこか似ている、みたいなことを書きたいんです。

で、聞かれて気がついたんですけど、創作だと私の場合、自分が読みたいものを書いてるんですよね。

そういうものを書きたいし読みたい、となった時に、「自分で書いたら、自分が書きたくて読みたいものが一番読めるのでは?」と思って、書いているかもしれません(笑)
まあ、筆力追いついてないので、「なんか、ちっがーう!!」ともよくなるんですけど😂
あと、他にもそういうのを書いている作家さんはたくさんいるので、その人たちの作品読んだりもしますし。

そして何を書いても若干似てしまう、というこれまた別の課題もあるんですけどね😂

マイトンさんは、いかがでしょうか?

さて、そろそろ次の質問へ行こうかと思うのですが。

私がお守りのようにしている言葉に「特殊を描いて、普遍に至る」というものがあります。

どんなにぶっとんだ主人公であれシチュエーションであれ、その特殊を描いて特殊のまま終わってしまうのだったら、それは仮にうまくいったとしても単なるエンターテインメントに過ぎない。何かしら文学なり文芸なりに行きつくためには、それが普遍に通じていないといけないんだな、と。

小説すばる新人賞歴代受賞者インタビュー
「こうして私は作家になった」
第4回・村山由佳さん

私がこの言葉に出会ったのは、たぶん10〜20代くらいのことではあるんですけど、当時からずっと、頭の片隅にこれがあって。

最近は、noteを書きながら特に考えるようになったこともあり、マイトンさんは自己紹介に「#なんのはなしですかを文芸ジャンルにする」と書かれていたので、お聞きしてみたい質問はこちらです↓

フィクションでしか書けない「ほんとうのこと」って、あると思いますか?あるとしたら、それってどんなものだと思いますか?

ここで書いている「ほんとう」は
普遍に近い意味合いだと思います、たぶん。

面白い文章には引力がある、という話の中に出てきた、「引力」ってなんだろうなぁ、と考えているんです。
そのうちのひとつに、「ほんとうのこと」も含まれている気がしていて。

で、好みかつ面白い文章を自分を書けて読めたら楽しいんですけど、「読みたい文章」と「読まれたい文章」と「読まれる文章」って、似ているようで違うかもしれないなぁ、とも思い、よかったらお聞きしたいです✨

なんかごちゃ混ぜになってしまってわかりづらくて申し訳ないのですが、煮詰まりました🫠

マイトンさんへ、急ぎませんので、どうぞよろしくお願いします。

それでは、また。
お忙しいかと思いますので、ご無理なさらず、ご自愛ください〜☕️



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