⑦ー5責任を持たせれば、人は主体的になるのか
⑦ー5責任を持たせれば、人は主体的になるのか
「もっと責任を持って仕事をしてほしい。」
経営者や管理職から、よく聞く言葉です。
自分の仕事なのだから、最後まで責任を持ってほしい。
問題が起きたら、人のせいにしないでほしい。
自分で考え、自分で判断し、行動してほしい。
よく分かります。
私も、仕事をする以上、責任を持つことは大切だと思っています。
でも、長く組織を見ていると、少し気になることがあります。
責任を強く求めれば、人は主体的になるのでしょうか。
例えば、ある仕事を任されたとします。
上司から、こう言われました。
「君に任せるから、責任を持ってやってくれ。」
言われた側は、どう感じるでしょう。
「よし、やってみよう。」と思う人もいるでしょう。
でも、
別の人は、こう考えるかもしれません。
「失敗したら、自分の責任なのか。」
「どこまで自分で決めていいんだろう。」
「念のため、確認しておこう。」
そして、一つ確認する。
また確認する。
さらに確認する。
上司から見ると、こう見えるかもしれません。
「いちいち聞かなくても、自分で考えてよ。」少し不思議です。
責任を持たせたはずなのに、確認が増えていく。
主体的に動いてほしいのに、判断しなくなっていく。
なぜ、
こんなことが起きるのでしょうか。
私は、責任という言葉には、二つの顔があるように感じています。
一つは、「自分の仕事として向き合う責任」。
もう一つは、「失敗したら自分が責められる責任」。
同じ責任でも、受け取る側からすると、ずいぶん違います。
前者なら、
自分で考えようと思えるかもしれません。
後者なら、
できるだけ失敗しない方法を考えるでしょう。
そして、失敗しないための一番安全な方法は、何でしょうか。
自分で決めないことです。
上司に確認する。
許可をもらう。
指示されたとおりにする。
そうすれば、何か起きても、「確認しました」と言えます。
これは、責任感がないのでしょうか。
私は、必ずしもそうとは思いません。
むしろ、責任を強く意識しているからこそ、慎重になっている場合もあります。
ここが、組織の難しいところです。
「責任を持ってほしい。」
「自分で考えてほしい。」
「勝手に判断しないでほしい。」
「いちいち聞かないでほしい。」
どれも、会社では普通に使われる言葉です。
でも、受け取る側からすると、どこまで自分で決めていいのか、分からなくなることがあります。
会議にも、それが表れます。
ある課題について、担当者が意見を出します。
「私は、こうした方がいいと思います。」
上司が聞きます。
「それで問題が起きたら、どうするの?」
もちろん、必要な質問です。
リスクを考えることは大切です。
でも、毎回この問いだけが返ってきたら、どうでしょう。
次から、担当者は考え始めます。
「問題が起きない案を出そう。」
さらに続けば、「何も変えない方が安全だ。」となるかもしれません。
その状態を見て、会社は言います。
「もっと挑戦してほしい。」
私は、
ここにも少し矛盾を感じます。
挑戦には、失敗する可能性があります。
自分で判断すれば、間違える可能性もあります。
主体的に動くということは、正解が分からない中でも、考えて一歩を出すことでもあります。
だとすれば、
主体性と責任を考えるとき、結果だけを見ていていいのでしょうか。
私は、結果と同じくらい、その人がどう考えたのかが気になります。
なぜ、その判断をしたのか。
何を考えたのか。
どんな情報を見ていたのか。
そして、結果を受けて、次に何を考えるのか。
そこに、その人が成長していく材料があるように思うからです。
責任とは、失敗した人を探すためのものではない。
私は、そう思っています。
かといって、誰も責任を取らなくていい、という話でもありません。
自分がした判断に向き合う。
結果から逃げない。
うまくいかなければ、なぜなのかを考える。
そして、次の行動につなげる。
それも、責任なのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、「責任を持たせる」という言葉も、少し違って見えてきます。
責任は、上司から部下へ、荷物のように渡すものなのでしょうか。
それとも、
自分で考え、
判断し、
結果に向き合う経験の中で、
少しずつ持てるようになるものなのでしょうか。
私は、後者なのではないかと感じています。
主体性も、責任も、命令して生まれるものではありません。
人が自分で考え、自分で判断し、その結果に向き合う。
その経験を、何度も積み重ねる。
その中で、少しずつ育っていくものなのかもしれません。
だから、
「もっと責任を持ってほしい」と思ったとき、
私は、社員だけを見るのではなく、その周りも見たくなります。
その人には、考える余白があるだろうか。
判断できる範囲があるだろうか。
失敗したとき、もう一度考える機会があるだろうか。
そして、
会議は、その人が責任を引き受けて考えられる場所になっているだろうか。
責任を持たせれば、人は主体的になる。
そんなに単純ではないように思います。
もしかすると、人が自分で考え、判断し、
結果に向き合えるようになった先に、私たちが「責任感」と呼んでいるものが、少しずつ育っていくのかもしれません。
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次回は、⑦-6は「主体性のある社員をつくろう」としない
