GFは何者なのか|ずっと内側にいた、名前のない存在
前回の記事 記憶が消えても、愛は残る|それでも消えなかったものの話
はじめに|GFは、味方だと思っていた
GFは、味方だと思っていた。
力を貸してくれる存在。強くなるために必要な存在。ジャンクションして、魔法を装備して、戦闘で呼び出す。それがGFだと、私たちは理解していた。
ゲームを始めて最初にシヴァをもらったとき、こう思った人は多いはずだ。「やった、かっこいい召喚獣だ」と。
使い方を覚えた。魔法をジャンクションした。ステータスが上がった。「強くなった!」と純粋に喜んだ。そしてGFを呼び出すカットシーンの長さに途中から若干うんざりしながらも、それでもGFを頼り続けた。
ゲームを進めるうち、なんとなく気になる記述を見かけた。「GFの使用で記憶に影響が出る」というやつだ。でも——当時の私たちはたぶん、そこで止まらなかった。「へえ、そういう設定なんだ」と思って、次の街に向かった。ボスを倒すほうが、急務だったから。
でも——本当に、そうだったのか。
GFを使うと、記憶が失われる。前回の記事で確認した通り、記憶という層だけが消え、感情という最下層は残る。この非対称は、単なる副作用では説明がつかない。
GFは、人間の内側に干渉している。
そしてその干渉は——プレイヤーが思っているより、ずっと深い場所まで及んでいるかもしれない。
この記事では、GFという存在を「召喚獣」としてではなく——人間の構造に侵入する存在として読み直す。
「そんな大げさな」と思うかもしれない。でも読み終えたとき、あなたがGFに対して抱く感覚は、きっと最初とは違っている。
第1章|「ジャンクション」という言葉の違和感
まず、言葉に注目したい。
GFを「使う」ための行為は、「装備」ではない。
「ジャンクション」だ。
ジャンクションとは何か。日本語に訳すなら「接続」だ。あるいは「結合」。
なぜ「装備」という言葉を使わないのか。武器を装備する。防具を装備する。魔法を装備する——FF8にはそういう表現もある。なのにGFだけは「ジャンクション」だ。
最初にこのシステムを教わったとき、私たちはそこまで深く考えなかった。「ジャンクション? まあなんか接続するんでしょ」という感じで、とりあえずシヴァをジャンクションして、魔法を割り当てて、「HPが上がった! よし!」と前に進んだ。
でもこの「言葉の選択」は、実はかなり意図的だ。
装備とは、外側に付けることだ。武器を持つ。防具を着る。それは自分の外側にあるものを、一時的に使用する行為だ。使い終われば外せる。壊れれば捨てられる。自分とは、明確に別のものだ。
たとえば「エクスカリバーを装備する」という表現は自然だ。剣は外側にある。自分ではない。持つだけだ。
でもジャンクションは違う。接続する。結合する。それは——内側と外側を繋げる行為だ。
ここで、FF8の世界における他の「力」と比べてみる。
魔法は直接ジャンクションできる。特定のパラメータに魔法を割り当てることで、能力を強化する。これは比較的「外側に付ける」感覚に近い。魔法そのものは、人間の外側にある力だ。
でもGFは違う。GFをジャンクションすることなしに、魔法のジャンクションすらできない。GFは前提条件だ。すべての力の、入り口にいる。
GFなしでは、何も繋がらない。
これは単なる仕様ではない。GFが「接続の起点」として機能しているということは——GFが人間と外部の力をつなぐ「回路」として内側に存在しているということだ。
つまりGFをジャンクションするということは、外部の存在を自分の内側に「繋げている」ということだ。装備ではなく、接続。持つのではなく、繋がる。
そして繋がった存在は——外側には出ていかない。
内側に、留まる。
ここで最初の問いが生まれる。
なぜGFは、内側に「繋がる」必要があるのか。
力を借りるだけなら、外側にいればいい。道具は持てばいい。でもGFは、内側に接続されることで初めて機能する。
考えてみれば、これは妙だ。友達に何かを手伝ってもらうとき、その友達を自分の脳に差し込んだりしない。「ちょっとここに繋いでいいですか」とは言わない。外側にいてもらえれば十分だ。
でもGFは——内側でないと、機能しない。
これは——GFが「外にいる存在」ではないことを示している。
少なくとも、ジャンクションした瞬間から——GFは内側にいる。
そしてその事実を、私たちはずっとさらっと流していた。「GFジャンクション完了! さて次は魔法を——」という感じで。
第2章|GFは記憶の層にだけ干渉する
ここで、前回の記事と繋げる。
前回、人間の構造には層があることを論じた。
最も外側に「世界」。その下に「時間」。その下に「記憶」。そして最も深い層に「感情」がある。
GFをジャンクションすると、記憶が失われる。これは作中で明確に示されている。
だが——感情は失われない。
孤児院組は記憶を失っても、仲間への感情だけは残っていた。アーヴァインは記憶があっても、感情に動かされた。記憶の有無に関係なく、感情は独立して機能し続けた。
孤児院のシーンを覚えているだろうか。スコールたちが幼い頃に同じ場所にいたと判明するあの場面だ。「え、みんな知り合いだったの!?」という驚きとともに、「でもなぜ覚えていなかったのか」という問いが生まれた。答えはGFだ。GFが記憶を薄れさせた。
でも——彼らは感情を覚えていた。
覚えていなくても、なぜか惹かれ合っていた。なぜか信頼できた。なぜか一緒にいることが自然だった。
それは——感情が、記憶より深い場所にあったからだ。
ここで重要な問いが生まれる。なぜGFは、記憶にだけ干渉するのか。
感情には届かない。人格も変えない。好き嫌いも、恐れも、愛も——GFには消せない。消えるのは記憶という「記録」だけだ。
これは偶然ではない。
GFが記憶の層にだけ干渉できる理由がある。
前回の論を使えば——記憶は「時間の上にある層」だ。GFは時間の概念と深く関わっている存在だ。召喚獣として時間や空間を超えた力を持ちながら、でも「感情」という最下層には届かない。
つまりGFは——人間の構造の、記憶という特定の層にだけアクセスできる存在だ。
なぜその層だけなのか。
なぜ感情には届かないのか。
ここに、GFという存在の本質が隠れている。
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ここまで読んで、もう気づいているはずだ。
GFは外にいる存在ではない。内側に接続され、記憶という層に干渉している。
では、その存在は——どこに「いる」のか。
ジャンクションを外したとき、GFはどこへ行くのか。あるいは——本当に「出て行く」のか。
この先では、その問いに答える。
そしてその答えが見えたとき——GFという存在は、召喚獣でも道具でもなくなる。
人間の内側に住む、別の存在になる。
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