書きあぐねる作家、髙橋P.モンゴメリーは、無名は毎日更新が良いと思う。毎日ここに立つことの大切さ。
無名の作家は、毎日小さくのぼりを立てる
書きあぐねる作家、髙橋P.モンゴメリーは、無名のうちは毎日更新がよいと思っている。
よい、というより、たぶん必要なのだと思う。
もちろん、毎日更新しなかったからといって、どこかの偉い文芸係の人がやってきて、
「はい、あなたは本日をもって作家予備軍から除名です」
などと言うわけではない。
そんな係がいたら怖い。
そして少し会ってみたい。
けれど、無名というのはなかなか容赦がない。
一日書かない。
二日書かない。
三日書かない。
すると、世界は驚くほど普通に進んでいく。
誰も困らない。
電車は走る。
スーパーでは値引きシールが貼られる。
メルカリでは「お値下げ可能でしょうか?」が今日もどこかで生まれている。
そして僕の記事は、静かに棚の奥へと下がっていく。
最近、仕事にかかりきりになっていた。
いや、これも仕事なのだけれど。
むしろ、ちゃんと仕事である。
古着のサイズを測る。
ギターの傷を確認する。
小物の写真を撮る。
説明文を書く。
コメントに返事をする。
梱包する。
発送する。
そして、ときどき人間の心を梱包材で包みたくなる。
暮らしというのは、思っているより手間がかかる。
霞を食べて生きているわけではないので、売れるものは売らねばならない。
ただし、霞が売れるなら少し出品してみたい。
状態は「やや傷や汚れあり」くらいだろうか。
そんなことをしているうちに、書くことが少し後ろに下がっていた。
すると、減る。
これが思ったより減る。
数字が減る。
読まれる気配が減る。
通知が減る。
人の目に触れている感じが減る。
自分がここにいますよ、という気配まで、なんだか薄くなる。
涙が出る、というほどではない。
泣くほどではないが、心の中の小さな事務員が、無言で電卓を叩いている感じがする。
カタカタカタ。
減っています。
カタカタカタ。
かなり減っています。
カタカタカタ。
これはもう、気のせいではありません。
やめてくれ、と思う。
電卓をしまってくれ、と思う。
しかし現実は、たいてい無口で正確だ。
無名の作家が少し黙ると、世界はすぐにこちらを忘れる。
いや、忘れるというより、そもそもまだ覚えられていない。
ここがつらい。
忘れられたのなら、まだ過去に存在していた感じがある。
しかし無名の場合は、「忘れられる」の前に「知られていない」がある。
これはなかなか手ごわい。
自分の身の小ささを知る。
世界の中で、自分の声がどれくらい小さいのかを知る。
たとえるなら、大型ショッピングモールの駐車場で、ひとりだけ俳句をつぶやいているようなものである。
悪くはない。
悪くはないが、かなり風に負ける。
有名な作家なら、少し休んでも待ってくれる人がいるのかもしれない。
過去の記事が働き、過去の本が働き、過去の名前が受付に座ってくれるのかもしれない。
「先生は本日お休みですが、過去作が対応いたします」
みたいなことである。
うらやましい。
しかし、無名の新人にそんな受付はいない。
こちらは自分で玄関を開け、自分で看板を出し、自分でお茶を淹れ、自分で「いらっしゃいませ」と言うしかない。
しかも来客は少ない。
なんなら、自分で淹れたお茶を自分で飲んでいる日もある。
それでも、毎日書く。
毎日、ここにいますと言う。
今日も書いていますと言う。
消えていませんと言う。
それは才能の証明というより、生存確認に近い。
すごい文章を毎日書けるわけではない。
毎日、名文の神様が肩に乗ってくれるわけでもない。
むしろ、神様はけっこう欠勤する。
こちらが机に向かっているのに、神様はどこかで昼寝をしている。
そのくせ、どうでもいいタイミングで急に一行だけ置いていく。
せめて勤務表を出してほしい。
だから、毎日更新といっても、毎日すごいものを書くという意味ではない。
短くてもいい。
少し弱くてもいい。
情けなくてもいい。
今日はこれしか書けませんでした、でもいい。
大切なのは、火を消さないことだと思う。
小さな火でいい。
七輪くらいの火でいい。
焼き鳥が一本焼けるかどうかくらいの火でもいい。
それでも火があれば、人は「あ、まだやっている」と思える。
無名の作家にとって、毎日更新とは、大きな宣伝ではない。
花火でもない。
巨大な看板でもない。
もっと地味なものだ。
道ばたに立てる小さなのぼり。
「営業中」と書かれた札。
風で少し曲がった旗。
雨の日には濡れて、晴れの日には色あせる。
それでも、立っていれば誰かが見るかもしれない。
今日もここにいます。
その一言を、毎日違う形で置いていく。
それが作家の仕事なのかもしれない。
少なくとも、無名の作家には必要な仕事なのだと思う。
目立つためではない。
消えないためだ。
最近、減った。
それはさみしい。
かなりさみしい。
けれど、その減った感じを見て、僕は少し安心もした。
ああ、自分はやっぱり書く場所を気にしているのだ。
読まれたいのだ。
届きたいのだ。
無名のままでも平気です、みたいな顔をしながら、内心ではしっかりのぼりを握っていたのだ。
それなら、まだ大丈夫だと思う。
減ってさみしいということは、まだあきらめていないということだから。
書きあぐねる作家、髙橋P.モンゴメリーは、今日も少し書きあぐねている。
そして少し、電卓の音におびえている。
けれど、また書く。
古着を畳みながら。
ギターの傷を見ながら。
コメントの返事に心をすり減らしながら。
発送用の段ボールと人生の段取りに囲まれながら。
それでも、言葉の場所へ戻ってくる。
無名のうちは、毎日更新がいい。
毎日すごい作家になるためではない。
毎日、自分が自分の店を開けるためだ。
今日も小さく開店する。
今日も小さく旗を立てる。
今日も小さく、ここにいる。
世界はたぶん気づかない。
でも、ひとりくらいは気づくかもしれない。
そして何より、僕自身が気づく。
ああ、今日も消えなかったな、と。
無名の作家にとって、それはなかなか立派な一日である。
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