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広告経済の前 #2: なぜパソコンにワクワクしてたのか?

このシリーズでは、「現代の情報環境 (スマホ・SNS) の問題について共感してもらうためには、それ以前の時代についての共通理解が必要かも」という仮説に基づいて、昔を振り返っています。
(みなさん、年寄りの昔話はウンザリかもしれませんが、ちょっとだけお付き合いいただけたら嬉しいです。)

前回は、パソコン・GUI・インターネット・メール・プリンター・デジカメの普及についてザックリ話しました。

今回は、その当時、私がいったい何にワクワクしていたのか、考えてみたいと思います。


一言でいうと、「万能感」が近い気がします。

技術の進歩の成果が、次々と一般家庭・個人に入ってきた。
パソコンやインターネットやデジカメは、その当時の私にとって、SFの現実化だったのです。

そして、それらはみな、個人に「力」を持たせるものだった。

具体的には・・・処理通信記憶に分けて考えてみます。


処理 (Processing)

今では想像するのが難しいと思うが、普通の人にとって、自分の考えた文章を「活字」にするというのは、滅多にないことだった。

文字を活字にするということは、間に印刷業者さんが介在するわけです。
学校で日々配られる「プリント」も、「活字」ではなく、手書き文字をコピー (がり版) したものだった。

自分の文章を、きれいなフォントで画面に表示したり、紙に印刷したりできるだけでも、「プロフェッショナル」になった気分でした。


そして、手書きの原稿用紙と違って、パソコンだと編集できる!
これで思考が自由になった!

作家さんなんかは、原稿用紙に手書きだ、という方もしばらくいらっしゃったようだ。
だけど、一般人にとっては、手書きは何かと思考が途切れる。うろ覚えの漢字を辞書で引いたり、いちいち途切れる。

辞書を引かなくても、読み方も知らなかった漢字が出てくる。それだけで、100倍頭が良くなった感覚だったのです。


通信 (Communication)

「電子メール」以前の世界を想像できるでしょうか?
対面で合うか、電話だけ。

もちろん物理的な手紙もありましたよ。
だけど、旅行とか転校とか特別な事情でもない限り、普通は手紙なんて書かない。

電話は固定電話。家族で一つ。共用です。
ね? 信じられないでしょう?
いったい、どうしていたんでしょうね? (笑)


そこに電子メールが普及した。
前回も書いたように「非同期」。これが大きい。
あくまで自分のペース。誰も返信が1日で返ってくるとは期待していない。義務感もない。
書きたいときに書き、
読みたいときに読み、
返事をしたいときに返事をする。


メッセージの内容も、今とだいぶ違ってた気がします。
たぶん今のコミュニケーションより、当時は「物理的な手紙」に近い使い方をしていた。

つまり、手紙を書くぐらい、推敲して、相手の受け止め方を想像しながら書いた。
それまで「物理的な手紙」だってほとんど書いたことはないのだから、なんだか矛盾するようだけど、要するに新しい頭の使い方です。

結果として、コミュニケーションにたくさん頭を使うようになった。
ゆっくりと自分のペースで、だけど自分の頭をフル稼働させて、他人とコンセンサスを築いていく。
その訓練を四六時中やっていたような感覚があります。


記憶 (Memory)

当時の記憶媒体はフロッピーディスクといって、今のそれと比べると笑っちゃうぐらい容量が小さかった。(1.4MB だったかな?)

でも、画期的だったんですよ。
私の書いた文章や受け取ったメールなど、気が済むまで記録できた。

私の思考と対話の記録。
なんというか、これがデジタル環境における「自我」の基盤になっている気がします。


最初は、容量に限りがあるから、残しておくものを厳選するプロセスが必要だった。断捨離ですね。(当時はそんな言葉、聞いたことなかったけど。)

記憶したいデータの容量もどんどん増えていった。
だけど、記憶媒体の単価はそれ以上にどんどん安くなっていった。
ニーズの増大より、技術の進歩の方が早い。
だから、画像も保存できるようになったし、動画も保存できるようになった。

私の観たもの、感動したものの記録。
私の大切なモノをすべて所有できる、そういう感覚です。


パソコンが個人にもたらしたこと

まとめると・・・

処理でプロの気分になり、頭が良くなり、
通信でコミュニケーションの自由度が増し、質も高まり、
記憶で自分の大切なデータを完全に所有できるようになった。

それが「万能感」につながっていった。


・・・こんな説明で伝わったでしょうか?


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