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日々の思考の発散(10/11)

おはようございます。Amelie(アメリー)です。
今日も日々の思考の発散をつらつらと書いていきます。


最近、本来の自分の性質を思い出してきたように思います。

「人は自分の中の怪物を飼い慣らして生きていく」の記事でも書いております通り、長年の「矯正した思考や表現」を元に戻すこと、矯正を外すことは大変なんですね。

本来の自分を取り戻すため、日々、インプットとアウトプットを繰り返して、リハビリしている中で気づいたことがあるので、今日はそのことについて書いていこうと思います。


本来の自分の性質は何か


再度、自分と向き合っていく中で、家庭環境や生育環境、過去のトラウマなどの外的要因を外して考えた時に、自分はどのような性質を持っているのか、改めて考え直してみました。

どうしても、家庭環境や両親との関係性で生まれた考えに縛られてしまっていて、どちらかの私を沈めたとしても、上手くいかないんですよね。

積極的分離にしろ、内的資源にしろ、目には見えないし、やり方や最善策が確立されているものでもないから、自分で試してみるしかないんですよ。

それぞれの自分の性質が出ていた時のこと、もう一方の自分の性質を閉じ込めていた時のこと。


自分が生きていく上で避けていたこと。一番やりたくないこと。やっぱり、それがキーワードなのでしょうね。

どれだけ、自分が受け入れがたくとも、そうするしかないのかと。そこに本来の自分の性質があるように感じています。


母親の呪縛からの解放


「母みたいになりたくない」「母のようにはならない」

そういった呪縛が一番強くて、その逆を行くように生きていた自分が居ました。母が私によく言っていたこと、よく話していたこと。私はそうはなりたくないという想いが強かったから。


あとは、世の中の女性の価値に対する反抗心もありましたね。10代〜20代前半までは若さや容姿、女体としての価値が高いから。

そういったもので消費されたり、搾取されたくない。消費や搾取されない生き方をしたくて、女性としての価値が高い期間に、自分がしたい生き方を得るために、自分のリソースを費やしました。

「Life is a series of one day」シリーズでも書いております通り、当時は積極的分離の渦中で色々と迷いもありました。

自分のリソースを費やして、勉強や仕事に熱心に取り組んできたかいもあって、年齢を重ねていくと、どんどん生きやすくなりました。


過去に閉じ込めた自分の性質


最近、思い出したのですが、10代〜20代の頃によく思っていたことがありまして。ふとした時に思い出した過去の自分の記憶も辿ってみて、過去の自分の性質と現在の自分の性質の違いに気がつきました。

そう言えば、モテたくない、好きでもない人に好かれたくないって思っていたなって。恋愛結婚はしたくない、お見合いでいいと思っていたなって。

変な人に遭遇することも多々あったし、付きまとわれたり、迷惑行為をされることも度々あって、うんざりしていたんですよ。性的な目で見られることも嫌でした。

待ち伏せされた道やお店を使わないようにしたり、電車の時間帯を変えたりしたこともあったなぁって思い出しました。それと同時に、そんなことも忘れている自分に驚きました。


両親の泥沼離婚の過程で見聞きしたことの影響が大きくて、学生の頃、同級生の恋愛のいざこざに巻き込まれたことも相まって、恋愛に浮き足立っている人に対して嫌悪感も抱いていました。

博愛、友愛、親愛など、そういった愛は持てますが、恋愛的な意味合いでの愛は私には不要なものだと、人生において一番要らないものだと、当時は思っていましたね。

人の気持ちは変わるもの。愛を選んでも、それは一時的なもので、やがて、気持ちは薄れて、最後は憎しみ合って終わる。

だから、愛ではないもので成り立っている関係性の方が信頼できるし、尊いものだと、両親や祖父母を見てそう思っていました。


皮肉ですよね。

本当は人生で一番要らないんじゃなくて、私には必要なもので、受け入れないといけない性質だったんだなぁって、ようやく気づきました。


本来の自分の性質の受容


これまでに学んできたことや身につけてきたスキルを活かして、社会に貢献することも意義のあることですが、過去に閉じ込めた本来の自分の性質も、これからは活かした方が良いのでしょうね。

愛や癒しといった、女性的なもの。
これまで否定して、遠ざけていたもの。


それを選ぶことは、片方の自分の精神的な死を意味するし、それを捨てることもまた、もう片方の自分の精神的な死を意味する。

家庭環境やトラウマなどの外的要因から、そう思い込んでしまっていたのでしょう。

どちらかの自分を沈めるのではなく、どちらの自分も認めて、受け入れて、新しい自分になり、本来の自分を取り戻していく必要があったのでしょう。

当時の私にはできなかったこと。今の私にも、まだちゃんとできていないこと。愛に生きるなんて、自分にとって、最も縁遠いものだと思っていました。


大切な人の気持ちさえも、上手く受け取れませんでした。素直に愛して、愛されていたら良かったのでしょうね。それが難しいんですけど。

頼ったり甘えることも苦手で、全部、自分でやろうとしてしまうから。

・・・


この記事を書き終えた後、公開することを躊躇ってしまったのですが、それは自分の性質を受け入れることに対して、まだ抵抗感があるのと、やはり怖さもあるのでしょう。

少し寝たら、気持ちも落ち着いてきました。年齢も重ねているので、消費や搾取されることもなく、もう昔のように変な人に遭遇する率が上がるということにはならないと思います。

自分の性質を受け入れたとしても、現実の問題がすべて解決するわけではないので、それはそれで、また考えていかないといけないのですけどね。


これからは、愛や癒しを与えられるように、自分の性質を拒否したり、ブロックしたりせずに、少しずつ受け入れていこうと思います。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。良い一日をお過ごしくださいませ。



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