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高天原と天孫降臨についての新説(?)

女神イザナミが日本列島を構成する島々を次々に産んだという「国産み神話」。まず、淡路島が産まれ、四国、九州という順番は、縄文時代の瀬戸内海エリアで起きた現実の歴史と一致している──という話を「国産み神話についての新説(?)」というタイトルで前回、書きました。

今回はその延長の話として、高天原(たかまがはら)について考えてみたことを書いています。思いつきというかアイデア段階ですが、これまで言われていなかったことではないかと思います。私が不勉強なだけかもしれませんが。

高天原とは、古事記などにしるされた神々が住んでいる世界。天皇家の先祖神であるニニギ(アマテラスの孫)は、高天原から九州の日向(ひむか/今の宮崎県、鹿児島県)に降り立ったとされています。いわゆる天孫降臨の神話です。

高天原については、神話的な架空の空間であるという説が定説のようになっています。ギリシャ神話でいえばオリンポス。

一方、古事記などの神話に歴史的事実を探ろうとする人たちは、天皇家の先祖に当たる稲作農耕民(弥生文化の担い手)が、朝鮮半島か中国エリアのどこかから移民してきたと考えます。その先祖たちがもともと住んでいた所が高天原という解釈になります。

氷期の終了(1万5000年前くらい)から縄文時代の前半期に起きた地理的歴史を踏まえて考えてみると、高天原は、日本海から東シナ海に広がっていた水没陸地のどこかにあった──という仮説を示すことができます。


富山県埋蔵文化財センターの作成地図

地図でいえば、日本海側および九州の西側に広がる黄色いエリアが、高天原の候補地ということになります。氷期の終わりから縄文時代の前半にかけて消滅した陸地です。

2万年前くらい前は、縄文時代が始まる直前の旧石器時代の後半期で、気象区分では最終氷期の最寒冷期に当たります。平均気温は今より7、8度低く、海水面は130メートルくらい下がっていた時期です。

対馬と五島列島の西側には、日本海と東シナ海をつなぐ水路のような海が残っていたので、大陸側と完全な地続きにはなっていなかった──という説が現在は有力ですが、最終氷期の最寒冷期にはほとんど陸続きに近い状況です。

2万年前の時点では、今は海になっている黄色いエリアが平野、低地になっており、21世紀の今、多くの人が暮らしている日本列島の平野部は、最低でも標高130メートルの高台ということになります。水深130メートルの海まで陸地になっていた時代の風景は、今の地理しか知らない私たちには、想像しがたい異様な空間です。

氷期とは、水の多くが氷となって固体になっている時代です。したがって、雨(つまり液体のH₂O)が少ない乾燥気候だったので、水は今以上に貴重でした。

当然ながら水は低きに流れるので、平野部(現在は海底)のほうが水は豊富だったはずです。さまざまな要因があるので単純化はできませんが、一般論としては、動物にとっても、人間にとっても、平野部のほうが暮らしやすいと思います。

当時の平野部(現在の海)に、人間が暮らしていたのかどうか──。それを裏付ける確実な証拠はありませんが、今は海底になっているそのころの平野部にナウマンゾウをはじめとする動物が暮らしていたことは、底引き網による漁業で偶然に見つかる大型哺乳類の骨によって判明しています。

ナウマンゾウではなく、少し古い年代のアケボノゾウの復元(滋賀県立琵琶湖博物館)

ナウマンゾウは縄文時代が始まるすこし前の2万何千年前に滅びたとされていますが、シカ、イノシシをはじめとする狩猟の対象となる動物も当時の平野部にいました。当時は雨が少なく寒冷な気候だったので、日本エリアは疎林と草原が混在した環境でしたから、草食動物にとっては暮らしやすい環境でした。

狩猟採集民であった旧石器、縄文時代の人々が、獲物となる動物を追って、当時の平野部で活動していたのは間違いないと思います。

この時代の平野部(現在は海底)で暮らしていた人たちは、次第に拡大する海から逃げるように、大陸方面、日本列島方面に移動したはずです。

この時代に起きた民族大移動の歴史が、高天原から九州の日向へという天孫降臨の神話として残ったのではないか──という仮説を考えています。


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