静かに乗り越えるスランプという壁
物語を書くことが好きな私は、文章を書くことを仕事にして来た。
仕事だと詰まることなく文章を紡ぐことができる。
しかし、これが趣味の物語だと、スランプはしっかりやってくるらしい。
「さあて、今日も小説書いちゃおうかな~」
文章書きの仕事から離れて半年。
毎日のようにパソコンに向かい、推敲をしたり新たな作品に立ち向かったりと自由気ままに過ごしている。
そんな私にスランプなんてありえない、と思っていた。
ところが、何も浮かんでこないことに気が付く。
「あれ?」
いつもなら、頭の中には次々に物語が浮かび、作品として画面に躍り出るのに、まったく浮かばず、頭の中にあるのは
「夕飯、何にしようか」
なんてことばかりだ。
おかしい……。
それでも書きたいという思いはあり、過去のプロットを開いてみるが、全く書く気にならない。
書きたいのに書く気にならない。
これはどういう現象なのだろうか?
そうか、きっと疲れているんだ。
疲れているときは、頭も休みたいだろう。
ならば今日は、休日ということで。
毎日が休日の私は、のんびりと読書に没頭することにした。
翌日となり、パソコンに向かう。
しかし、ブログ記事は書けても小説は書けない。
なんだ?
書きたい欲が湧いてこない。
書きたいはずなのに。
こうして2日目が終了。
その間、他の人の作品を読みにネットを徘徊。
すると、上手だなぁと思う作品に遭遇。
上手だなぁ。これも面白いし、これなんてアイデアいいよなぁ。
私のはつまらない。。。
私に才能はないのか?
どんどんハマっていく沼。
まるで足を引っ張られ、書くことを諦めろとでもいうように引きずり込まれる。
しまいには、私のは趣味の域を出ないのかもしれない。
どんなに頑張っても無理なんだ。
プロになりたいと頑張ってきたが、それは自己満足でしかなかったのかも。
という負の感情が湧き、もうやめた方がいいのかも、と思いだす。
書きたいのに書けないから始まり、自己否定の沼。
大きく口を開けた沼は、所詮無理だったんだよと笑っている。
こうなると、もうダメだろう。
いっそ全てを諦めた方がいいんだ、という思いに駆られる。
若い頃なら時間はいくらでもあるが、年齢を重ねた私には、いくら頑張っても時間が足りない。
ならば読者として生きていった方が楽だ。
そう思った私は、山ほど用意されている本を開いた。
その日から、ひたすら本を読み、のんびりと料理をし、犬と遊んだ。
こうして走り続ける毎日を180度反転させた。
思えばこれがスランプだったのかもしれない。
なにせ、スランプという考えのない私は、スランプなるものを意識していなかった。
こうして数日後、パソコンに向かい雑談をしていた時、脳内を駆け巡る書きたい欲に気が付いた。
さらには湧き出るストーリー。
プロになりたいと必死だった数日前とは違い、好きなものを書こうという意識の変化。
それが新たな物語の世界を生み出したのかもしれない。
そうか、無理に書こうとせずに、のんびりしていたことが良かったのか。
こうしてスランプを抜けだした私は、プロという目標ではなく、自分らしい作品を生むことを目標に、新たな一歩を踏み出した。
スランプは苦しい。
書けないことに焦ることもある。
できない自分を嫌になることもある。
だからこそ、のんびり休むことが必要なのかもしれない。
休めば、本当にやりたいことが見えてくる。
書けない日はあっても、書きたい気持ちまで消えるわけではないのだから。
私は、これからもスランプという壁にぶつかりながら、物語を書き続けていくだろう。
それが私のスランプ君との付き合い方だ。
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