【ショートショート】そばにいる
ピンポーン。
連打される玄関チャイム。
あまりのしつこさにペンを置き、玄関にでる。
するとそこには、満面に笑みを浮かべた二十代半ばの女が立っていた。
「先生! 原稿できましたか?!」
開口一番がこれだ。
はつらつとしたその声に、私は眉をしかめ腕を組み、低い声で「まだだ」と答える。
普通の編集者なら、私の不機嫌そうな声を聞き、身を縮めるところだがこの女は違う。
「えー。今日の昼までって約束したじゃないですか!
パチンコでもしてたんですかー?
仕事してくれないと困りますぅ」
なんと失礼なことを言うのだろう。
「先生の作品を待ってくれている読者がたくさんいるんですから。
さっさと仕上げてくださいよ」
ギャーギャーと騒ぐこの女は私の編集担当だ。
担当について半年だが、まったくものおじしないどころか、有名大作家のこの私に好き放題言ってくれる。
こういうタイプを好む作家もいるだろうが、私は好きだと思ったことがない。
「はい、先生。仕事、仕事。
あとどのくらいですかぁ。何なら私がお手伝いしますよぉ」
お前に手伝えるはずがないだろうが!
そうは思うが言葉にするのもはばかられる。
私は眉間の皺を深くすると、背を向け書斎へと足を向けた。
こうすれば、仕事に入ると分かるもので、話しかけることをためらわせる効果があるはずだったのだが、彼女の口は止まることを知らないらしい。
「それにしてもこの家って、大きいですよねぇ。
大作家先生の住まいって、大きいんだろうなって思ってましたけど。
始めてきた時なんて、あまりの豪邸に腰が引けましたよ。
これだけの広さなら、部屋を貸したら家賃収入、入りますよね」
彼女が言う通り、この家は広い。
豪邸というのは言い過ぎだが、部屋数もかなりなものだ。
子どもの頃から住んでいる家だから引っ越そうとも思わないが、今更引っ越すなどできるわけがない。なにせ、非常に厄介な家なのだから。
他人が住んだら、その厄介さに恐れをなすことは分かり切っている。
「それにしても家の中が暗いですねぇ。
なんか、幽霊でも出てきそう」
私の肩がピクリと揺れた。
――幽霊。
「先生、いい加減都心のマンションに引っ越しませんか?
ここまで原稿取りに来るのって、遠すぎですよ。
それか、メールで原稿を送ってくれるとか」
「私はそういったものは信用していない」
「古いなぁ。便利なのに」
彼女は不満そうにしていたが、さらにあれこれと煩く言っていた。
書斎までついてきたところで、私は彼女へと向きを変える。
「ここからは聖域だ。
君は居間で待っていてくれ」
「えー、そんなこと言って、逃げるつもりじゃないですよね?」
「なに?」
思わず声に鋭さが増してしまった。
「だって、よくあるじゃないですか。
作家先生が、筆が進まないからって、納期そっちのけで原稿から逃げちゃうって話」
「私はそんな無責任なことはせん!
とにかく、君がいたら筆が進まん。
居間でテレビでも見ていなさい」
「本当に、ちゃんと仕事してくださいねぇ。
原稿、もって帰らないと編集長に怒られちゃうから」
その前に、私がお前を怒鳴りつけたい。だが、私は大人だ。
こんな尻の青そうな女にムキになってもしょうがない。
書斎の扉を閉め、2時間が経過したころ、私はやっと原稿を完成することができた。
これであの小うるさい女を帰すことができる。
そう思い、彼女のケイタイを鳴らした。
原稿が完成したことを聞いた彼女は、いさんで書斎にやってきた。
その足取りは軽く、嬉しそうにすら聞こえてくる。
――原稿が完成したのがそんなに嬉しいのか。
ところが、ドアを開けて入ってきた彼女は、頬を紅潮させ両手を胸の前で組んだ。
感謝の言葉でも述べるのかと思いきや、彼女の口から飛び出したのは、とんでもない言葉だった。
「先生! 先生のお兄さんって、先生に似てないんですね!
もう、びっくりしちゃった。
この世のものとは思えないほどの超イケメン!
イケオジどころか、イケ王子!」
コイツは何を言っているのか?
「居間にいたんですよ。
先生がテレビでもって言うから、ひとまず動画でも見ようかなって。
スマホを取り出した時ですよ!
すっと。こうやって、すっとコーヒーカップが目の前に出されて」
そう言った彼女は、コーヒーカップを持つ手つきをし、私の前に突き出してきた。
「なんだろうと思って見てみたら、超超超イケメン!
話を聞いたら、先生のお兄さんだっていうじゃないですかぁ。
あんな素敵なお兄さんがいるなら、早く教えてくれたらよかったのにぃ」
飛び跳ねんばかりの彼女は、素敵だ、素敵だと連呼している。
私はそんな彼女に首をひねった。
「君、一体何を言っているんだね?」
「だからぁ、先生のお兄さんですよ」
そういうと、室内に視線を這わせる。
その目が棚に置かれた写真に注がれた。
「ほら、この人!
先生とは似ても似つかない超イケメン。
先生のお兄さんでしょ?」
確かに兄だ。
だが――。
「兄なら、3年前に亡くなっているよ」
「やっぱりお兄さんなんで……え?
今、なんて?」
「だから、兄は3年前に亡くなっている」
「嘘……だって、さっき、私」
彼女の顔から血の気が引いていくのが分かる。
目を見開き、わなわなと唇を震わせ、信じられないと首を振る。
「私……だって、この人とずっと話してたんですよ。
先生のこと、嬉しそうに話してくれて。子供の頃のこととか」
「どんな話をしたのかは知らんが、兄は確かに死んでるんだ。
長いこと患ってね。病院で亡くなったから、きっと家に帰りたかったんだろう。
出てきたら君がいたから、相手をしてやったんじゃないかな」
「うそ……ってことは、私、ずっと、幽霊と話してた……?」
「いい体験をしたじゃないか」
「いい体験なんかじゃないですよ!
こ、こんな暗い屋敷で、幽霊なんて。
あまりにもドンピシャじゃないですか!」
「そうは言われてもねぇ。
たまに出てきて、コーヒーを淹れてくれるんだ。
悪いことではないさ」
私は頬を緩めながら、上がったばかりの原稿を封筒に入れると、彼女に手渡した。
受け取る彼女の手が小刻みに震えていることが分かる。
「大丈夫かい?」
「だ、だい、大丈夫、です……はは……」
そういうと、原稿をバックに入れる間も惜しいのか、封筒を握りしめ玄関へと走り出した。
そんなに慌てると転ぶだろうに。
そう思った時、お約束のごとく転び、起き上がると泣きそうな顔で玄関を飛び出していった。
「なんだ、編集さんは帰ったのか?」
ソファーに座り新聞を広げていた兄が俺を見た。
「ああ、そうだよ」
俺はおかしそうに目を細めた。
「兄さんと話したと言って、大慌てで逃げていったよ」
「確かに話したが、それでなんで慌てるんだ?」
「兄さんが幽霊だって言ったのさ」
「おまえ、またやったのかよ……まったく、しょうがない奴だな。
そんなことばかりやってると、編集さんが来なくなるぞ。
それでなくても、薄暗くて幽霊が出そうなたたずまいだっていうのに」
「煩くなくてちょうどいいさ」
俺はそういうと、ソファーにどっかりと腰を下ろし、読みかけの本を手にした。
室内は静かになり、私の好きな静寂が訪れる。
時折聞こえてくるのは、新聞をめくる音だけ。
だが、そこに兄の姿は――。
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