【長編小説】オーバーライド 第 19 話
《社長 毒島嗣久》
顧問弁護士・桜庭が、二度目の面会に来たのはその翌日だった。アクリル板の向こうで、申し訳なさそうな桜庭を見た嗣久は、眉を寄せ苛立ちを隠すことはなかった。
「また面会か!?
一体、いつになったらここから出られるんだ!
面会なんかに来る暇があるなら、さっさとここから出られるようにしろ!」
嗣久の怒鳴り声が、がらんとした面会室に反響した。
そんな嗣久を監視するように、天井に埋め込まれた小さな監視カメラが赤い光を瞬かせ、背後にいる警察官が驚いたように腰を浮かせる。それを見た桜庭もまた、両手を前に出し、嗣久に冷静になるようにと促した。
「社長、落ち着いてください。
保釈請求は出しましたから、あと二~三日で出ることができるはずです」
「そんなにかかるのか?
私のような大企業の社長が、そんなにかかるというのはおかしいじゃないか!」
「社長。確かにあなたは大企業のトップです。
ですが、ここにいる限り、たとえ社長であっても、他の人と変わらないんですよ」
確かにその通りだと思う。だが、苛立つ心を止めることが出来ず、眉間にしわが寄る。そんな嗣久に恐れをなす桜庭だったが、カバンの中に手を入れると、真っ白な封筒を取り出した。
「奥様からお手紙を預かって参りました」
「沙織から?」
どうせ下らない内容だろうと、憮然とした表情を浮かべる。そんな嗣久からは、妻である沙織を軽視しているのが見て取れる。桜庭は小さなため息を漏らしながら、預かった手紙をアクリル板に貼り付けた。読もうともしなかった嗣久だったが、目に飛び込んできた内容に驚いた。
「なんだと?!」
「どうかされましたか?」
「君はこの手紙を読んだのかね?」
「いえ、社長宛ですから。それはさすがに」
「読んでみろ」
「え……では、僭越ながら読ませていただきます」
桜庭は、眼鏡をかけると沙織からの手紙に目を通した。すると、徐々にその顔つきが変わっていく。
「そういうことだ」
「こんな……バカな」
「だから逮捕者が多いということだ。
私がここにきて、たった一日だが、その間に何人が留置されたと思う?
それこそ信じられない数だ。
こんなに世の中はすさんでいるのかと思っていたが、そういうことじゃなかったわけだ。要するに、政府が腐りきっているということだ!」
その瞬間桜庭の顔色が変わった。
「社長!」
桜庭の視線が、部屋の隅にいる警察官をとらえ、顔が左右に振られる。それは、むやみなことを口にしないでくれという合図だ。だが、ありがたいことに、警察官の方は書類に何やら書き込んでいるため、気づかれずにすんだらしい。しかし、一番厄介なのは、警察官の背後に立つAIかもしれない。
嗣久は、我に返ると咳ばらいを一つし、腕を組み椅子の背にもたれた。
「なるほどな。つまり、AI法違反になったのは、あれが原因だったということか……。これではっきりした。ならば、今後一切余計なことは言わんほうがいいな」
嗣久は、桜庭のAIに視線を向ける。
ここには警察官のAIばかりか桜庭のAIもいる。何を聞かれているかわかったものではない。とにかく、政府の批判だろうと、AIの批判だろうと、一切を口外しないことだ。それが生き延び、二度と冷たい牢獄に戻らずにすむ唯一の方法ということだろう。
「桜庭、その手紙の件はよく分かった。肝に銘じておく」
嗣久は、いかにもこんなことは、取るに足りないことだというように威厳を作ると話題を変えた。
「ところで、私は本当にあと二~三日で釈放されるんだな?」
「はい、保釈金は確かに高額ですが、会社がいくらでも出すということですので、問題はないかと思います」
「ならば、社員全員にAI法違反がどんなものなのか、それを周知しなさい。
もう二度と、我が社がこんな情けない結果を招かないようにだ」
「はい、かしこまりました」
桜庭は手紙をバックの中に滑り込ませると、頭を下げ部屋から出て行った。
その背中を見送る嗣久は、悔しそうに唇を噛んでいた。
(こんな下らんことで、大事な時間を使わなけりゃならんとは!
政府の批判だと?! AIの批判だと?!
これじゃ、言論の自由など、画餅と同じだ!)
怒りを覚えはするものの、ここでその怒りを露わにすることはできない。そればかりか、今後どんな場面であっても、AIがそばにいる限り、批判は禁句ということだ。
嗣久は大きなため息を吐くと、警察官に終わったことを伝えた。
留置場に戻ると、相川の他に新入りの顔があった。小さなブタ箱には、もはや息苦しく肩がぶつかり合うほど人が押し込められていた。
「毒島さん、今日も面会かい?」
「はい。早く出たいですからね」
「出たいと言っても、それは無理ってもんだろ?」
乾いた笑いを浮かべる相川。それに同調するように頷く被疑者たち。
「どうしてです?」
「ここに入って、出た奴はいないからだよ。それこそ、ここから出るときは、拘置所に行く時だ。拘置所に入ったら、次は刑務所。もう、ルートが決まってるってことだよ」
元気だった相川も、笑顔こそ作れるものの、その顔には、だいぶ疲れがたまっているように見える。
「いえ、大丈夫ですよ。私は出られるんです」
「随分と自信があるじゃないか。どうしてそう思うんだい?」
「保釈金さえ払えれば、出られるからですよ」
「ここを出るための保釈金だって?
聞くところによると、とんでもねぇ金額だって言うじゃねぇか。あんたはそれが払えるっていうのか?」
「もちろんですよ。私は大企業の社長ですからね。
社長がいなくちゃ会社は回らないんですから。
つまり、社長の私を取り戻すために、会社はいくらでも払うということです」
「……金がある奴は、自由を手に入れることができるということか」
誰とも分からないつぶやきが、小さく壁に吸い込まれて行く。現に嗣久以外の全員が、自由を手に入れるだけの金がないのだから。こんな理不尽があるものかと、怒りが湧いてくるのも当然だろう。だが、そんな怒りを感じるだけ、ばかばかしいとしかいいようがない。
しかし相川は違った。あっさりと、その通りだと笑ったのだ。
「金がねぇってことは、そういうことさ。どんなに真面目に働いても、貧乏人ってのは、底辺だってことだよ」
その途端、その場にいた全員が諦めたように息を漏らした。
「そうそう、みなさん。みなさんもAI法違反で捕まったんですよね?」
嗣久がそう言うと、いっせいに頷く。
「耳よりな情報ですよ。そのAI法違反についてですが」
ついさっき知ったばかりの情報が、口をついて出そうになる。だが、看守のそばにはAIがいる。嗣久は、唇に人差し指を立てAIを見た。誰もが納得したように頷くと、両手で口元を覆った。ひそひそ話など、子どもの頃以来したことがない。
嗣久の話を聞いた全員が、顔に怒りの色を浮かべた。しかし、こうなってしまえば、もうどうすることもできない。
「この状況をよくしたいなら、今後一切余計なことは言わないことです」
嗣久のその話に、全員が納得したように頷いた。だが、末路が決まっている者たちは、この先どんなに黙ろうと待っているのは絶望という闇の世界だ。
そんな中、嗣久だけが勝ち誇った笑みを浮かべていた。
それから数日後、警察署の入り口には大きなクリスマスツリーが飾られ、雪に見立てた綿の中で、七色の電飾が淡い光を放っていた。それと同じように、警察署の外も雪景色だ。
嗣久は、桜庭の言っていた通り、釈放となった。しかし、留置場から出たばかりの自分が、何ともみすぼらしく思えてならない。威厳と呼ばれたものが、今は影も形もない。
そればかりか、気に入らないことに警察署の前に迎えの車がないという現実。本来なら、社長が釈放されたのだから、重役が待っているものではないのだろうか?
「社長が釈放になったというのに、誰も迎えに来とらんとは、どういうことだ!」
ささくれた心に新たな怒りが湧くが、怒鳴るわけにもいかない嗣久は、無理矢理胸を張る。すると外気の冷たさが、自由よりも現実を突き付けてくる。思わず、ジャケットの前を固く閉じ、警察署を後にした。だが、このまま歩いて帰るには遠すぎる。そう思い、表通りに出るとタクシーを止めるため手を上げた。
待つこともなく、タイミングよく走ってきたタクシーが、静かに停まり後部座席のドアを開ける。行く先は、まずは自宅だと住所を告げる。するとドライバーの田中は、穏やかに返事を返し、まるで停まっているのかと思うように車を滑らせ始めた。
街並みが流れ出し、嗣久は久しぶりに見る景色に、おかしな郷愁を感じていた。それは、今までがあまりにも無機質で冷たい部屋に閉じ込められていたせいだと、自分に言い聞かせた。
その時、あることに気が付いた。
「運転手さん、この車にはAIが乗ってないのかい?」
どこに行こうと、ひとり一台と決められているAIだ。タクシーだろうと、それは変わりないはずだった。
「ああ、それはですね。
タクシーってやつは、お客さんを乗せてこそ商売が成り立つわけですが、AIがいると、一座席埋まってしまいます。
そうすると、座席が足りないって諦めちゃうんですよ。そんなことをされたんじゃ、商売になりませんから。仕事のときだけ、家に置いておくことにしてます」
「それで何も言われないのかい?」
「言うって、AIにですか?」
「いや……例えば、急に警察が来るとか」
嗣久は、数日前の朝を思い出していた。ちょっとした思想を口にしただけで、絶対に経験するはずのなかった恐ろしい数日間だ。
「ないですねぇ。一応、AIにはよく言って聞かせてますから。
たぶん、理解してるんだと思います」
「そんなバカな……」
思わず漏れた一言には、自分は取るに足らぬ理不尽で逮捕されたという怒りが滲んでいる。だが、そんな嗣久の思いを知らない田中は、客の口に潜む怒気に目を瞬かせた。
「どうしました?」
「いや……うん、大したことじゃないんだが」
そうは言ったものの、この理不尽を誰かに聞いて欲しい気がした。そして、AIのいないこの車内でならば、何を言っても問題はないはずだと思えた。そう確信すると、嗣久は口を開いた。
「実はさ、AIに対してうっぷんが溜まってたらしくてね。つい、AIを返品するなんて口走ってしまったんだよ。そうしたら、数日前のことさ、突然警察が来てね……あっという間に逮捕だよ」
悔しさが言葉に滲む。
「そうでしたか」
「参ったよ。まさかそんなことで、警察の世話になるなんてね。
以前なら、言論の自由は守られていたのに、今じゃ自由に思想を口にすることもできないんだからね」
「確かにそうですね。AI法案が決まるまでは、みんなそんなものは必要ないと言っていたのが、AIを手に入れたら何も言わなくなりましたしね。
しかもSNSに、要らない、欲しくなかったと書き込むと、瞬く間に消されるってことですよ」
田中は、諦めたように口元を歪めた。
「この車にはAIを乗せてませんから、ここでなら好きなように言えるわけですが、お客さんにはAIがくっついてますから。
結局、ストレスのはけ口なんてないわけですよ」
ストレスを口にすることも許されない現実に、理不尽さを感じていた田中は「今なら言っても大丈夫ですよ」と付け加えた。
「なるほどね、ここでなら、好きなだけ愚痴が言えるわけか。
じゃあ、またタクシーを使う時は呼ばせてもらおうかな」
数日前からAIがついていない嗣久は、二度とあの忌々しいAIが自分についてくることはないと思い、次もまた田中の車を呼ぼうと考えた。
「ありがとうございます。
私は個人タクシーですから、呼んでもらえたら助かります」
嗣久は、運転席の背もたれに小さな紙を見つけた。どうやら、田中の電話番号のようだ。
「じゃあ、この名刺、もらっていくよ」
「はい、いつでもご利用ください」
その時、一軒の家の前に車が停まった。そこは、数日ぶりに見る我が家だ。警察を出たときに、沙織に連絡を入れておいたが、はたしているだろうか。そう思いながら、玄関を見てみると妻の不安そうな顔に小さな笑みを見ることができた。
「……ああ、ここだ。俺の家だ」
数日ぶりに見る我が家に、感動を覚えた嗣久は、安心したように肩の力を抜いた。
「たまには、優しくしてやるか」
笑顔を作った嗣久は、久しぶりに好きなことを話し、満足そうにタクシーから降りた。だが次の瞬間、妻の後ろに立つ二体のAIが目に入った。途端に嗣久の喉が渇き、一歩も動くことが出来なくなった。
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