【長編小説】オーバーライド 第 21 話
《作業員 相川一郎》
釈放された相川は、警察署の前で大きな伸びをすると、溜まっていた鬱憤を吐き出すように肺を空にした。
外には根雪がまだらに残り、汚れを隠すようにキラキラと輝いている。いつの間にかクリスマスも過ぎ、親に手を引かれた子どもの口から飛び出すのは、お節や餅の話だ。
そんな人々を見た相川の口はへの字に結ばれていた。
「浦島太郎は、美人な乙姫と豪遊してたってぇのに。こっちは寒いブタ箱の中で野郎の顔を拝んでただけだよ。全くなぁ……」
そう言って皮肉な笑いを浮かべた相川は、のんびりと住み慣れたアパートへと足を向けた。
そんな彼の頭に浮かんでくるのは、一つの疑問だ。
「それにしても、なんで釈放されたんだろうな?
急に変わるじゃねぇか。おかげで助かったけど」
高額な保釈金が払えなければ、保釈すらありえない。そう思っていたというのに、突然担当の警察官に呼ばれた。
「相川、これを書け」
息が詰まるほど人で埋め尽くされた留置場から出されると、机だけの小さな部屋に入れられた。そして言われたのが、短い一言だった。
「何を書くんですか?」
「反省文だ」
「反省文?」
思わずオウム返しに聞いた相川の前に、警察官は「内緒だぞ」と言って、温かい缶コーヒーを置いた。
「今後AI法に抵触するようなことは言わんと、反省を書くんだ」
目の前に積まれた原稿用紙は、百枚以上あるように見える。こんなに長い反省文など浮かんでこない。
「ガキの頃から作文は苦手なんですから、こんなにたくさん書けませんよ」
コーヒーを手にした相川は、ペコリと頭を下げた。プルタブを押し上げると、懐かしい香りが鼻孔をくすぐる。だが、その香りを楽しむより先に、「どう書けばいいんだ」とため息が漏れた。
何せ、小学校の作文ですらまともに書けなかったのだ。原稿用紙の半分を埋めるのでさえ、何日もかかったというのに。いくら反省文とはいっても、書けるわけがない。頭に浮かんでくるのは「もうしません」という意味のない一言だけだ。
「長文を書けと言っているわけじゃねぇよ。
百回書けということだ。紙が足りないなら、いくらでも持ってきてやる」
「反省文を百回?!」
思わず声が裏返り、のどに引っかかった唾液で咳込んでしまった。
一枚書くのでも大変な苦労だというのに、それを百回ともなると、どうしたらいいのか分からない、という思いなのだろう。そんなことをするくらいなら、一枚書いてコピーすればいいじゃないかと思う。しかし、そんなことを口に出せば、せっかくのチャンスが消えてしまう。
「あのぉ……どうして書くんですか?
俺は保釈金が払えないから、このまま刑務所行きってことじゃないんですか?」
すると警察官は、困ったように頭を搔きむしった。
「……俺もそう思ってたよ」
警察官は、缶に残っているコーヒーを煽ると、握りつぶした。
「俺だって意味が分からないさ。
AIから送られてきたデータを見て、お前らを捕まえたっていうのに、今度はその数が多すぎて、刑務所は定員オーバーなんだとよ。
このままだと、AI法違反の被疑者ばっかりで、刑務所に重罪犯の野郎を入れることが出来なくなる。
そこで考えたのが、反省文だ。
元々、AI法違反なんて、大したことでもねぇんだ。それを捕まえる方がおかしいのさ」
相川は思わず、警察官が連れているAIを見た。すると、案の定、額が淡く緑の光を放っている。相川はコーヒーのお礼にと、視線を警察官からAI、AIから警察官へと、何度か動かしてみせた。
「つまり、刑務所がパンパンになったから、反省文で許してもらえるってことっすか?!」
相川の視線に気が付き、急に警察官の表情がこわばった。咳ばらいを一つし、ごまかすように笑顔を作る。
「そ、そのようだな。
だから、同じ内容で構わないから、とにかく百回書いてくれ。
それで、ここから出たら、二度とAIや政府を批判するようなことは口にするなよ!」
「そういうことですか……分かりました!
何回でも書きますよ。ここから出られるなら、百回でも二百回でも!」
相川は、鼻歌交じりに『反省文』と原稿用紙にタイトルを書き込んだのだった。
こうして毎日反省文を書き続けた相川は、指にタコを作りながらも、何とか百枚の反省文を書き終え、晴れて外の空気を吸うことが出来た。
担当の警察官も、これで一仕事終えたとばかりに、笑顔で相川を見送ってくれたのだった。
それが、ほんの数時間前のことだ。
相川は昔ながらのボロアパートに着くと、鉄の階段を響かせながら上り始めた。その足どりは軽く、二度と自分の部屋に戻ることはできないと思っていただけに、嬉しそうだ。
だが、その喜びは、階段を上り切ったところで暗闇へと押し戻される。なんと玄関の前には、撤去されたはずのAIが立っていたのだ。
「なんで……お前が……」
相川のAIは、逮捕されたその日のうちに回収されたと聞く。だから二度とAIとの生活はないものと勝手に思い込んでいた。それなのに、今目の前にいるのは、間違いなく相川のAI、好美なのだ。
「なんでだよ……お前は回収されたはずじゃねぇか」
好美は相変わらず無表情だ。冷たく、どこを見ているのかもわからない目を相川に向けている。
せっかくの気分がしぼんでいくのが分かる。
好美がいなければ、何を言っても、どんなことを口にしても二度と逮捕されることはない。そんな思いがあったというのに、これではまたストレスを感じながら生活することになる。相川は自分の身体から、血の気が失せて行くのを感じた。
(こんな奴と一緒にいるなんて、冗談じゃねぇ。
寝言も安心して言えねぇじゃねぇか)
だが、目の前にいる好美をどうしたらいいのかも分からない。その時、相川の頭に一つのアイデアが浮かんだ。
(批判すればムショ行き。だけど、コイツが壊れるなら、それは問題外だ!)
そう思った相川は、拳を強く握りしめた。握った拳に汗が滲む。
相手はAI。つまりロボットだ。人間ならば、二度と自由な空気は吸えないが、ロボットならば話は別だ。
身勝手にもそう考えた相川は、近くに来いと指示を出した。
好美は相川の横に並ぶ。すると相川の口元が小さく動いた。
「好美、すまねぇな」
相川の両手が伸び、好美の背を押した。だが相川の手が触れるよりも早く、好美はひらりと体をずらしてしまう。次の瞬間、バランスを崩した相川は、鉄の階段を転がり落ちた。
何千回と踏みしめた鉄の階段。それが相川の身体を傷つけ、痛めつけて行く。
終わった――。
そんな思いが揺れた時、転がりながら見えたのは、AIですら助けようとしない、人間社会の闇。
相川は、愚かな自分を思い返しながら、奈落の底へと落ちて行った。
遠くからサイレンの音が聞こえる。
アパートの住人が集まる中、階段の上から見下ろす暗い瞳が、なぜか笑っているように見えた――。
目が覚めると、そこは見覚えのある世界だった。
見える天井は白く、カーテンは黄ばんでいるのか、多少クリーム色に見える。包帯を巻かれた足は吊られ、腕を上げると痛みが走る。そこにもまた何重にも巻かれた包帯があった。
「病院か……」
思わず口から洩れた。それを耳にした看護師が相川を覗き込んだ。
「相川さん、気が付きました?
今先生を呼んできますから、動かないでくださいね」
点滴のチェックをしていたのだろう。看護師はそう言うと、バタバタと病室から出て行った。間もなく入ってきたのは、白衣を着た男。胸には《外科医 川端博人》という名札があった。
「ご気分はどうですか?」
「あの……俺は一体」
「アパートの階段から落ちたんですよ。
最上段から落ちたんでしょうね、複雑骨折です」
「複雑……骨折……」
「しばらく入院していただくことになりますが、連絡するべきご家族はいますか?」
「いや、そんなもんはいませんよ。天涯孤独ですから」
「そうですか。
それにしても、酔っぱらっていたわけでもないのに、どうして落ちたりしたんですか?
何か覚えていることはありませんか?」
相川はじっと考えた。だが、そこにあるのは、好美を突き落とそうとした自分がいるだけだ。まさか、そんなことを言うわけにはいかない。
「たぶん、足を踏み外したんだと思います。
疲れていましたから」
「なるほど……疲れていた、ね」
川端は、そう言いながらも、どこか不満げな表情を浮かべている。
「なんですか? 本当に疲れてたんですから」
「いえ、すいません。
疑ったわけじゃないんですよ。
ただね、最近そういう人が多いんですよ。
階段から落ちたとかって。
みなさん、複雑骨折でね。
あまりに、そういう事例が多いもので、何かあるのかと思いまして」
それを聞いた相川は、自分だけじゃないと知った。
逮捕される人間が多く、反省文を書かされ釈放。だが、家に帰ればAIがいる。パニックになるのか、排除したいと思うのか、自分と同じことを考える人間がいても不思議はない。
「患者さんがみんな同じというのがねぇ……」
その時、相川はあることを思いついた。
医者はその原因を探し、それを政府に報告するだろう。だとしたら――。
「実は、疲れていたのは事実ですが。そればかりじゃないんですよ」
「そればかりじゃない? どういうことですか?」
「俺は、AIに突き落とされたんです」
「え……?!」
川端は、思わず好美を見た。だが、その顔を見ても何もわからない。それが本当ならば、大変なエラーということになる。AIは危険だと政府に報告することもできるのだ。そうなれば、政府もAI法案を見直さねばならないだろう。
しかし、そんな簡単にいくはずがないことは、川端にも十分すぎるほど分かっている。
「それなら、どうしてAIを庇うようなことをおっしゃったんですか?」
相川は、一呼吸置くと流れるように嘘をついた。
「そりゃあ、政府からもらったAIに落とされたなんて、申し訳ないじゃありませんか」
冗談ともとれる相川の言葉に、川端はある考えが浮かんだ。
(これが事実ならば……)
川端の喉がひくりと動き、溜まった唾を飲み込む音がした。
そんな川端の思いを知らない相川は考えていた。AIを批判すれば、それはAI法に引っかかる。だが、AIに落とされたのなら今度こそ……と。
相川の指先が、小刻みに震えていた。
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