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【スカッと小説】同居した意味がない

 金子はパンフレットに視線を落としていた。
 そこには、綺麗な街並みと豪華な料理、澄んだ湯を満たした温泉が写されている。

「いいわねぇ……」

 金子の口から、小さなため息が漏れる。
 夫が亡くなり、息子が家を出て八年。家族がいた頃は、旅行どころではなかった。いつでも家族のことを考え、生活の為にパートをし、母であり妻であることに必死だった。夫が定年を迎えたら旅行に行こうという約束も、果たされることなく、病床に就いた夫の看病に明け暮れた。

 だが、今の金子は一人だ。年金と夫の残してくれた貯金。ひとりだけなら、生活を回すこともできれば、小さな旅行を楽しむこともできる。

「行こうかな、旅行」

 パンフレットを眺めている金子の口から、小さな夢が零れ落ちた。
 その時、玄関が開く音がした。

「え?」

 玄関の鍵は掛けてあるはずだ。にもかかわらず、玄関が開くなど、どういうことだろうと腰を上げようとした。だが、痛む腰は簡単に動かすことができない。すると、室内に向かって声が聞こえてきた。

「母さん、いるんだろう?」

 その声は、久しく聞くことのない息子、敦だった。

「あら、あら、敦じゃないの。突然来るなんて」

 家を出てから正月にすら帰ってこない息子だ。しかも息子の後ろには、大きなお腹を抱えた嫁の姿もある。

「どうしたの? 沙織さんまで一緒なんて、珍しいわねぇ」

「母さんがひとりで寂しいだろうと思ってさ。沙織が様子を見に行こうって言うから」

「まぁ、ありがとう」

 立ち上がった金子は、腰をさすりながら台所へと移動した。普段は使わない湯飲みを二つ用意すると、お茶を淹れ居間に戻る。すると息子たちはどっかりと座り込んでいる。敦はパンフレットを手にして、しげしげと眺めていたが、金子の姿を目にすると、放りだすようにそれをテーブルに置いた。

「なに? 旅行に行こうって?」

「行きたいなって思ってね」

「ふ~ん。あのさ、母さん。いい加減俺たちと一緒に暮らさないか?」

 唐突なまでの申し出に、金子は言葉が出なかった。

「腰だって痛いんだろう?
ひとりでいたら困ることだってあるじゃないか。
だからさ、一緒に暮らしてくれたら、俺たちも安心なんだよ。
旅行だって、ひとりで行ったら何があるか分からないんだし」

 にこやかに言葉を繰り出す敦は、いかにも金子を心配しているようだ。だが、沙織はどうなのだろうか?
 金子は沙織に視線を向けた。嫁が姑と一緒に暮らしたいなんて、果たして思うものだろうか?
 ところが、金子が見た沙織も笑顔だ。

「そうですよ、お母さん。これだけ離れていると、頻繁に様子を見に来ることもできないし。私ももうすぐ出産で、お母さんのところに来たくても、なかなかねぇ。
だから、一緒に暮らしましょうよ」

 離れているとはいっても、車で三十分とかからない距離だ。それでいながら、結婚して三年、一度も来たことはない。だが、金子はそれを不満に思ったことはなかった。若い人には若い人の考えがあるのだからと、自分を抑えてきたのだ。もちろん、できることなら一緒に暮らしたいと思わなかったわけではない。その願いが、こんな形で叶うのならば、願ったりかなったりだ。

 しかし、本当にそれでいいのだろうか?

 その後も息子たちは、金子の気持ちを和らげようと、一生懸命金子を口説いた。

「でも、一緒に暮らしたら、迷惑をかけることになるかも……」

「お母さん、迷惑なんてとんでもないですよ。敦さんを育ててくれた大事な人なんですから」

 こうして頭を下げられ、一緒に暮らすことになった金子は、一週間後には荷物と共に息子夫婦の家に居を構えることとなった。

 旅行に行こうと思っていたものの、もっと大きな夢が叶う。それが金子の心を躍らせていた。しかし、それが儚い夢だと知るのに時間はかからなかった。

「母さん、沙織は働いているし、もちろん俺も働いているわけだからさ。ご飯のしたくは母さんがやってくれよな」

「え?」

「それと、お掃除もお願いしますね。こんなにお腹が大きいと、仕事して帰って掃除なんて、大変すぎちゃって。ずっと主婦してきたお母さんだから、問題ないですよね」

 当然のように、家事の全てが金子の仕事となった。

――きっと、出産するまでのことよね。

 金子は自分にそう言い聞かせた。
 お腹が大きければ、確かに家事は負担になる。仕事から帰ってから料理をするのも大変だろう。だから、できることはやらなければと思ったのだ。それもこれも、出産するまでのことだろうからと。

 それから三か月して、沙織は玉のような男の子を産んだ。孫を生み、退院してくると床上げまでは動けないからと、ベッドに寝ている生活が続いた。その間、ミルクを作るのもオムツを替えるのも、全てが金子の仕事となった。

 腰の痛みはさらにひどくなるが、床上げまでだからと自分に言い聞かせた。時折、腰をさすりながら孫にミルクを飲ませるが、そんな姿を見ている息子は、金子に気遣う言葉を投げることはなかった。

 こうして無事床上げとなり、後は沙織がすべてやるだろうと思ったが、ここでも金子の思いは見事に打ち砕かれた。

「じゃ、仕事に復帰しますから。子どもの面倒はお願いしますね」

 一か月が過ぎ、今日からは楽になると思った朝の言葉だった。

「え、あの。沙織さんは、仕事を辞めるんじゃないの?」

「誰がそんなこと言いました?」

「でも、子どもも小さいんだし」

「お母さんがいるのに、仕事を辞める必要ないじゃないですか」

 大きな口を開けてケタケタと笑う沙織。敦もまた、見ていたスマホから顔を上げると、当然のように言葉を吐いた。

「母さん、一緒に暮らしてるんだからさ。孫の面倒くらい見ないと」

「でも、腰が……」

「腰だって、大事にしてたら動かなくなるだろう」

「そうですよ、筋肉が固まっちゃいますよ。
それに孫の面倒が見れるって、おばあちゃんとしては幸せなことじゃないですか」

「そんな……」
 この時、やっと同居の意味を悟ったのだった。
 
――初めから、子どもの面倒を見させるためだったのね。

 今更どうにもならない。
 確かに、孫の面倒を見ることができるのは幸せなことだ。

 金子は何を言ってもダメならば、受け入れるしかないと、またしても黙ることにしたのだった。

 だが、子どもは日に日に重くなる。どんなに大変でも、泣く孫を放置しておくことはできない。結局、孫を背負いながら料理をし、沙織が帰ってきたからといって、家事を手伝うこともない毎日。

 昼間は孫を連れて公園に行くが、横になりたいと思っても思うようにはいかなくなってしまった。
 そんな金子に友達から連絡が来たのは、疲れ果てていた頃だった。

「金子さん、息子さん夫婦との生活はどう?」

「うん……まぁ、それなりよ」

「いいわねぇ、羨ましいわ。
ところでさ、今度みんなで旅行に行こうってことになってるんだけど、金子さんもどう?
悠々自適な老後なんだから、行けるんじゃない?」

 電話の向こうからは、明るい声が聞こえてくる。

「それは……でも、あなただって孫の面倒とかがあるんじゃないの?」

「孫はいいとこどりよ」

「いいとこどり?」

「可愛い時だけ相手して、泣いたら嫁に渡しちゃうから。
それに、この年なのよ。あとどのくらい生きてられるか分からないんだもの。
今のうちに好きなことしないと!」

「そう……ね」

「だから、どう?」

「私は……ちょっと。腰が痛くて」

 本当のことなんて言えるものではなかった。だが、金子の心に小さな炎がくすぶりだしたのは、否定することができなかった。

――あとどのくらい生きられるか分からない。
その通りよね、やっと自由になったと思ったのに。
どうして私だけが、大変な思いを繰り返さないとならないのかしら。

 孫の面倒を見ながら、金子は理不尽な生活に怒りを感じ、とうとう沙織に決意を伝えたのだった。

「沙織さん、お友達から旅行に誘われたのよ。
だから、行くことにしたから」

「はあ?!」

「年寄りばかりの旅行だから、行くのは平日になるけど、構わないわよね」

「ええ?! 何言ってるんですか!
平日に出かけられたら、子どもの面倒は誰が見るんですか!?」

「それは、沙織さんと敦で見ればいいでしょ。
親なんだから」

「そんなバカな! 私には仕事があるんですよ!」

 悲鳴にも似た怒鳴り声の沙織は、敦に応援しろとばかりに視線をむけた。

「母さん、何言ってるんだよ。
俺たちは仕事に行かないとならないのに、子どもの面倒なんてみられるわけないだろう。
旅行なんて、贅沢なこと言わないでくれよ」

「親が子供の面倒を見るのは当然でしょ?」

「それじゃ、同居した意味がないじゃないか!
大体、孫の面倒を見せてやってるんだから、感謝して欲しいね」

「そうですよ、お母さん。収入もないお母さんを養ってあげてるんですから。
そのくらいのことしてくれないと!」

「よそのバアさんは、みんな孫の面倒を見てるじゃないか。
孫の面倒を見たくても、同居を拒まれるバアさんだっているんだぜ」

「その通りです!
面倒を見てくれないなら、同居した意味がないわ!」

 投げられる言葉の数々に、金子の手が震え、頭痛がしてきた。だが、あまりの怒りに言葉が出ることはなく、震える唇をかみしめるだけだった。

 その翌日のこと。
 金子は大きな荷物を手にすると、なかなか起きてこない息子夫婦にメモを残して玄関を出て行った。
 いつものように、朝食を作っていると思いこんでいた二人は、寝ぼけ眼で居間に入ってきた。

「お母さん、子どもが泣いてますよ。
オムツ取り換えてください!……お母さん?」

 台所にいるのかと覗いてみたが、そこに金子の姿があるはずがなかった。トイレかと思ったが、そこにもいない。家中を探し、庭を見たがやはり姿がない。どこに行ったのかと首をひねった時、テーブルの上のメモに気が付いた。

「あなた! 大変!」

 寝室に飛び込み、メモを見せると、不愉快そうに眉を寄せた敦が声を上げた。

「なんだよ、これ!」

 そのメモには、大きな文字で『帰ります!』とだけ書かれていた。

「帰りますって、どういうことよ!
仕事があるって言ったのに!
なんで急に帰るのよ! 無責任じゃない!
あなた、子どもの面倒見てよね!」

「何言ってるんだよ、俺だって仕事があるんだぞ!」

「あなたのお母さんが無責任なことするからじゃない!」

「お前こそ、母親なんだから、仕事を休めばいいだろう!」

「なんですって!」

 泣き叫ぶ子供を放置して、二人は大喧嘩を始めてしまった。
 だが、どんなに怒鳴り合ったところで、解決するものではなく、お互いに半休ずつ取ろうということで、その日は何とかしたのだったが、その状態が続くはずはなかった。

「明日は休めないわよ」

「俺だって休めないよ」

「どうするのよ……」

「それより、なんでこんなことになったんだよ」

 頭を抱える二人は、二週間もの時間を要して、自分たちが言い過ぎたことにやっと気が付いたのだった。しかし、原因に気が付いたからと言って、どうしたらいいのか分からない。

「どうしよう……このままじゃ、仕事にならないわよ。
ねぇ、あなたが謝ってきてよ」

「なんで俺が謝りに行くんだよ」

「あなたが酷いことを言ったからじゃないよ!」

「お前だって言っただろうが!」

 互いに擦り付け合いながらも、ならば二人で謝りに行くことになった。しかし、仕事を抜けられない二人は、それからさらに一週間をやり過ごし、疲れ果てた顔で金子の元へとやってきたのだった。

「母さん! ごめん! 本当に申し訳なかった」

 畳に額をこすりつける二人だったが、金子はパンフレットに視線を落したまま、何も言わなかった。

「なんだよ、旅行に行くのか?
だったらさ、週末にしてくれたらちゃんと子供の面倒は俺たちが見るから」

「そうですよ。あの時は、本当にお母さんがいてくれないと困るから、あんなことを言っちゃったけど。でも、週末なら全然問題ないですから」

「結局何も分かってないのね。
私は平日に行きたいのよ。
でもね、あなたたちと一緒にいたら、好きな時に好きなところに行けないでしょ。
だから、もう一緒には暮らさないことにしたの」

「そんなこと言うなよ。
母さんがいないと、本当に困るんだからさ」

「そうですよ、お母さんがいないと、とっても大変で」

「そりゃあ、そうでしょうね。
朝は早くに起きて朝食の支度をしないとならないし。
夜は疲れて帰ってきてから夕飯の支度。
掃除に洗濯だってあるし、子どもの面倒も見ないとならないんだものねぇ」

「そう、その通りなんですよ!」

「でもね、そんなのはどこのママさんもやってることなのよ?
夫婦で力を合わせて、乗り越えることなの。
だから、私はもう手伝わないことにしたの」

「そんな……こまりますぅ」

「同居しないと困るのはアナタたちでしょ。
同居して困るのは私なの。
もう、あんな生活はごめんだわ。
自分たちで作った子供なんだから、責任持ちなさい」

「そんなぁぁぁ」

 頭を下げる二人だったが、金子は二度と同居に頷くことはなかった。
 そんな二人の横で、小さな孫は、大声を上げて泣き叫んでいた。



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