【短篇小説】残り物には福がない
29歳9か月。
30歳までに結婚したいと思っている紀香は、焦りを露わにしていた。
「だからって、いくら焦っても無理じゃない?
30歳までに、あと3か月なんだから」
馬鹿にしたように笑う同僚の真理は、休憩室の安っぽいコーヒーに眉をしかめていた。
「だからこそよ!
だからこそ、結婚式は無理でも、結婚相手を見つけるんじゃない!」
「紀香さぁ、以前も25歳までにはって言ってたじゃない。
結局売れ残りのクリスマスケーキ確定してんだよ?」
眉を寄せ、唇を尖らせる紀香は、「ムッ!」と言葉にした。
「事実を言ってるのよ。「ムッ」じゃないって。
大体、焦る乞食はもらいが少ないって言うじゃない。
焦っていいことなんてないって」
真理の言う通りだが、20代でウエディングドレスを着たい。
30代の花嫁なんて、想像もしたくないと思う紀香だ。
「それにさ、どうやって探すのよ?
いくら結婚したくても、そう簡単にはいかないでしょ」
「だから、これよ!」
紀香がスマホ画面を光らせ、真理の目の前に突き出した。
そこでは、男女が幸せそうな笑顔を寄せている。
「『あなたの運命の相手が待っています』
嘘くさ~い」
「やってみなけりゃ分からないわよ」
「要するにマッチングアプリじゃない。
こんなのやって、変なのに引っかかったらどうするのよ。
それより、社内にこれはと思う人はいないの?」
「いるわけない!
素敵だなと思うと結婚してるか、彼女持ちだよ」
「理想が高すぎるんじゃないの?」
「理想は高くなんてないよ。
イケメンで、高身長で、優しくて、思いやりがあって、金持ち。
ほら5つしかないじゃない」
「それだけあれば、十分高望みだよ」
嘲笑をたたえながら、コーヒーに口をつけるが、やはり美味しくはない。
真理はため息をつき、何を言っても辞めるはずのない同僚の前で、飲み終わったコーヒーカップを握りつぶした。
「ま、やりたければやればいいけど、泣いても知らないからね」
「成功したら、紹介してあげるわよ」
早くも素敵な男性と出会うこと確定だと笑う紀香は、真理に自信に満ちた笑みを投げた。
真理が席を立つと、即座にスマホ画面に指を這わせる。
名前を入力し、年齢はちょっとさばを読み若くする。
写真は美人に見えそうなものをチョイスした。
紹介文は、昨夜寝ずに考えた最高の一文だ。
これで引っかからないような男など、こちらからお断りだと、紀香はほくそ笑んだ。
その夜、紀香のスマホが鳴った。
年収は結構高いが、見た目はかなり悪い。
第一印象が大事だというのに、なんでこんな写真を使ったのか、やる気がないとしか思えない。
またスマホが鳴り、開いてみると、紀香の好みとはかけ離れていた。
こうして何人もの申し出を断り、あってみないと分からないということに気が付いた。
「写真やプロフだけじゃ、見えないものもあるものね」
だが、最初に会った男は背が低く、紀香が裸足になっても釣り合わなかった。
次に会った男は背こそ高いが、年収をひけらかす割に、別れるときには割り勘を要求してきた。
次の男も、また次の男も。どれもこれも、残念なため息しか出なかった。
それでも諦めずにチャレンジし続けたのは、「残り物には福がある」という諺によるところが大きいだろう。
自分という女だって、29歳で、どちらかといえば残り物の口だ。
だが、残り物の自分は、残っているのが不思議なくらいにいい女じゃないか。ならば、残り物の男にいいのがいないわけがない。
そんな理由を心に貼り付け、繰り返しデートを重ねていた。
そんなある日のことだ。とうとう、紀香の理想の男性からアプローチを受けたのだった。
その顔は、29年間、どこを探しても見つけることができないほどの美貌だった。
さらに身長は紀香よりも13センチ高く、ヒールを履いても十分に釣り合った。
青年実業家らしく、クルーザーで遊び、乗馬をし、豪華なホテルで高級料理を背景にグラスを傾けている写真ばかりだ。
これこそ、紀香が待ち望んだ王子様だと思えた。
だが、デートをして別れ際にデート代を請求された過去を思うと、手放しに喜ぶことはできない。
「まずは会ってみて、どんな人か、よく見てみないと!」
こうして初めてのデートに出かけたが、それは夢のような時間だった。
約束の場所で待っていると、真っ赤な高級スポーツカーが目の前に止まり、食事は高級レストラン。食後はホテル最上階のバーだった。
まさかこのままベッドに倒されるのかと危惧したが、そんなこともなく、最後まで紳士的な彼に、紀香はメロメロになった。
「できればこのまま、あなたを独り占めしたい。
でも、会ったばかりでそんなことをしたら、きっとあなたに幻滅されてしまうでしょう。
だから、今日は我慢します。
でも、僕はあなたに本気ですよ。
どうか、この気持ちだけは信じてください」
真っすぐに見つめる瞳。優しく甘い声。
手を握られ、夢のような出会いに感謝した。
部屋に戻り、シンデレラの魔法が溶けたような現実に、げんなりしているとスマホが鳴り、彼からおやすみのコールだ。
「ああ……最高!
やっぱり、残り物には福があるのよ!」
翌日には彼から連絡があり、次のデートの約束をした。
のめり込んでいく幸せに、黙っていることができず、会社に行くと真理にデートの全てを話して聞かせた。
「それ、本当なのかしら?」
真理は猜疑的な目を向けてくる。
「なに? 私が最高の相手と会ったからって、ヤキモチ?」
「ヤキモチというよりは、疑いよ。
それが本当ならいいけど、あまり有頂天になってると、痛い目を見るんじゃないかと思って」
「そんなわけないわよ。
彼は本当に紳士なんだから」
「そう……その人、何してる人なのよ?」
「実業家よ」
「会社名は? どんな仕事してるの?」
「さぁ、知らない」
「聞かなかったの?!」
「根掘り葉掘り聞いたら失礼じゃない。
それに彼は私にぞっこんなんだから。
結婚を前提に付き合ってほしいっていうのよ~」
夢にどっぷりつかっている同僚紀香に、真理はアホらしくなり、それ以上何も言わなかった。
言わないというより、言っても意味がないほど、紀香は恋にはまり込んでいると思われたのだ。
「そう、ならばいいけど。
幸せになれるといいわね」
「もう、幸せよ。
金持ち出し、金離れはいいし。
クルーザーに自家用ジェットまで持ってるんだから。
私に連休が取れたら、プライベートビーチで楽しみましょうっていうのよ。
もう、さっさと仕事なんてやめて、結婚したいくらいよ」
「それは良かったわね」
こんな話があるはずはない。
そんな気はするものの、これが本当なら、水を差すのも面倒だ。
変にやっかんでいると思われたのでは、真理としても面白くない。
真理は弁当箱をハンカチに包むと、テーブルから離れて行った。
そんな真理の背中を見送りながら、紀香は勝ち誇った笑みを浮かべていた。
それから2か月と16日が過ぎ、外を歩けば、照りつける太陽に息が切れる季節となっていた。
今日も不在の紀香の席に目をやり、真理はカレンダーの赤い丸印を指でなぞった。
そんな真理に声を掛けてきたのは、後輩の伊織だった。
「真理先輩、カレンダーなんてなでちゃって、何してるんですか?」
「あ、ううん。今日が紀香の誕生日だなって思っただけ」
「ああ~、紀香先輩、30歳の誕生日かぁ」
30歳までに結婚すると息巻いていたが、どうなったのだろうか。
彼からプロポーズなんて、いくら何でも早すぎる。
だが、ここ3日ほど無断欠勤が続いているところを見ると、もしかしたらという気にもなる。
「確か紀香先輩って、青年実業家の彼氏ができたって言ってましたよね」
「そのようね」
「いいですよねぇ。
もしかして、今頃彼氏と高級ランデブーですかね?」
「そうかもね」
「そういえば、怖いニュースがあったな……」
「怖いニュース?」
「はい、自称青年実業家の男が、マチアプ使って知り合った女を惨殺してるって。
警察は犯人を追いかけてたみたいですけど、なかなか捕まらなくて。
でも、めぼしはついてるんじゃないかって思うんですけどね」
「そんなことが……」
「大丈夫ですかね、紀香先輩」
「え、まさか。
きっと幸せ過ぎてとろけてるんでしょ。
明日には、ケロッとした顔して出社してくるわよ」
「そうですよね、紀香先輩そういうところ図太いし。
きっと誕生日デートで、仕事のこと忘れてるんですよね」
そういうと、伊織は書類をデスクに置き離れて行った。
真理もまた、仕事へと頭を切り替えることにした。
そんな真理の耳に、男性社員の声が飛び込んできた。
――おー、捕まったってよ。あの女殺しの変態野郎。
――マッチングアプリで女あさって、殺してたってやつか?
――ああ、その通り。犯人の顔も出てるじゃねぇか。
――どれどれ? こういうのがいいのかねぇ。まぁ、イケメンではあるけどさ。
――自称青年実業家かぁ、俺も自称ならなんとでも言えるけどなぁ。
事務所内にこだまする笑い声に、真理は頭を振ると、キーボードを叩き始めた。
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