【短篇小説】涙の数
作者:篠宮あおい
※10年前に、少女目線で書いた作品を母親目線で書き換えたものです。
ソファーの上には、つぎはぎだらけのぬいぐるみがある。
何度も切りつけられ、痛みを我慢したその子は、じっと家族を見続けてきた。
私はぬいぐるみの頭に手を乗せた。
すると伝わってくるぬくもりがある。
このぬいぐるみは娘のものだ。娘とはいっても、血はつながっていない。
娘が生まれると同時に、母親は息を引き取ったと聞く。男手一つで子供を育てることに疲れた夫は、笑顔を作りながら働いていた。
そんな彼に心を惹かれ、親子となった。
あれから25年がたつが、随分といろんなことがあった。
思春期があれほど大変だなんて、全く知らなかった。
ある日、学校から帰ってきた娘は、1枚の紙を握りしめ私に怒りをぶつけてきた。
「あんたなんて親じゃないじゃん!」
あふれんばかりの涙を溜め、憎しみにも似た目で睨んできた。血のつながりがなくても親子であることに間違いはない。だが、思春期の娘はそうではなかった。
「今まで親だと思ったから! だから!」
そこまで言うと、唇を噛み、紙を投げつけ自室にこもってしまった。
今までにも、意味も分からず怒っていたことがある。だから今回も、そうなのだろうと、軽く考え投げつけてきた紙を開いた。そこで私の手が止まった。
大人になったら、血のつながりはないが、親子であると話すつもりでいた。どれほど愛してきたかをしっかりと。
だが、それがこんな形で知ることになるとは、思ってもみなかった。
娘の部屋へ行き、声を掛ける。だが、娘は何を言おうと返事をしなかった。
あれからだ、娘が私を見なくなった。
娘の好きな料理を並べても、絶対に箸を付けない。夫が説得しようと、怒鳴りつけようと、娘の心は檻の中に入ったまま出てくることはなかった。
高校を卒業し、飛び出すように家から出て行った。無言で去っていく娘に、冷たい雫が頬を伝った。
大事にしてきたはずなのに、母親という自分の羽に包んできたはずなのに、血のつながりがこんなに重いとは知らなかった。
座り込んだまま動けず、気が付けば外はだいぶ暗くなっていた。
やっと立ち上がり、二階へと目を向ける。
もう、ことりとも音のしない二階。私は娘の影を探すように階段を上った。冷たいドアノブを握り、ゆっくりと回す。するとドアは開き、冷たい空気と共に目に飛び込んできたのは、ボロボロにされたぬいぐるみだった。
それは、娘に初めて渡したプレゼントだ。小さな娘は、自分よりも大きなぬいぐるみを抱きしめ、回らない口で「ありがとう」と言ってくれた。
その日から、嬉しい時も悲しい時も、娘はぬいぐるみと一緒だった。
それが今、娘の悔しさを吸い込み、ボロボロにされている。突き立てられたハサミが、娘の悲しみの深さを物語っている。
「もっと早くに、本当のことを話すべきだったね……」
後悔が言葉となってこぼれ出た。
私はぬいぐるみを抱えると、ひと針ひと針と繕っていった。それは、娘との絆を取り戻すように。
それから何年かして、娘から結婚したと連絡があった。孫もできたと聞いている。だが……。
ぬいぐるみを見つめる私の耳に、玄関チャイムの音が響いた。近所の人かと思い、濡れた頬を手のひらで拭うと、笑顔を作った。
うつむきつつドアを開けると、光が流れ込んでくる。
小さな女の子がぬいぐるみを抱き、満面に笑みをたたえている。
驚く私は、小さな娘が帰ってきてくれたのかと、しゃがみ込んだ。すると頭上から聞こえる声。
「お母さん、ただいま」
光の中に、恥ずかしそうな笑顔があった。
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