ネズミの命とネズミのお礼
ずっと前の話です。
まだ会社員だった頃、私の勤める会社は、
一つの敷地にいくつかの会社が入っていました。
建物は古く、あちこちボロボロ。
ゴキブリが出るのは当たり前。
ある日、隣の事務員さんが
「ネズミが出た!」
と騒ぎ出しました。
そしてネズミホイホイなるものを設置したのです。
ネズミだってバカじゃない。
そんなものにかかったりはしないだろう。
そう思っていました。
しかし、事務員さんも必死。
エサを置き、毎朝かかっているかと確認していました。
そして1週間。
とうとうその罠に一匹のネズミが掛かってしまったのです。
ジュージューと悲鳴のような声をあげるネズミ。
それを見た私の上司は、
「バケツに水を入れて来い!」と叫びました。
どうするのかと聞くと溺れさせると言います。
昔から捕獲したネズミは川に沈めるのが常套手段。
だからそれは仕方がないことだとは思いますが、
許せなかった――。
このネズミだって、きっと家族がいて子供がいて、
その子供の為に一生懸命エサをとりに来たはず。
生きるために必死だっただけなのに、
人間に捕まったがために殺される。
それも、溺れるという苦しい死に方。
咄嗟にネズミホイホイを奪いました。
「そんなことしたらダメ!」
そんな私にどうするんだと不満気な事務員。
「逃がすのよ!」
普段なら冷静に対処した。
いや、辛くても見て見ぬふりをしたでしょう。
そうすることで、今後も静かに仕事を続けることができたから。
でも、その時の私はネズミを持ち走り出していました。
広い敷地の雑草だらけの空き地めがけて。
そこで木の棒を手に、ベッタリとくっついた身体を剥したのです。
「もう捕まらないでね。
人間のテリトリーに入ってきたらダメだよ」
そう言って別れました。
もちろん周りの目は冷たかった。
事務所に戻ると何も言われずとも、
もう隣の事務員とは会話することもなくなりました。
その夜のことです。
夢を見ました。
あのネズミが現れて、私に頭を下げたのです。
言葉こそ通じませんが、ありがとうと言っているのが分かりました。
くるりと背を向けると、光の道へと歩いて行きます。
結局、死んでしまったのか。
助けようとしても、体中が糊付け状態。
助かるはずがないのは当然。
それでも「ありがとう」と
わざわざ出てきてくれた。
何とも悲しく切ない夢でした。
あのネズミ。
愛犬しゅうちゃんと出会って、
生前の話をしているかもしれない。
こんなことがあって死んじゃった、というネズミ。
それは僕のお母さんじゃない!?
という愛犬。
お互いの思い出を語り合っていたら、
悲しいながらも、ちょっとほっこりだと思います。
好きでドブネズミに生まれたわけじゃない。
でも、その運命に逆らうことはできない。
だからこそ、一生懸命生きていく。
私も、人間としての残り時間を、
一生懸命生きないと、罰が当たるというものでしょう。
だって、人間ホイホイにかかることはないのですから。
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