流れが鈍るとき、動けなかった理由
御朱印帳を閉じたまま、机に置く。
次の神社の予定は、決めらられずにいた。
手にしたはずのそれは、
しばらく動くことがありませんでした。
かくして、御朱印帳を手にした私は、
さらに深い沼へと足を踏み入れる──はずでした。
けれど。
神社巡りや御朱印巡りを共にできる友人は、地元の旧友くらい。
同僚を誘うには、さすがに頻度が高すぎる気がして、少し気が引ける。
さて、どうしよう。
妄想と検索を繰り返す日々が、しばらく続きました。
時に、五十を越えた年齢。
自分では「お年頃」と言い換え、
実年齢の重みを少し和らげようとしていましたが、
仕事と日常に追われ、
気づけば心も体も、いっぱいいっぱい。
気持ちは前に進んでいるのに、
体がついていかない。
周囲との会話も
「最近きついよね」
「歳を感じるよね」
そんな言葉が増えていきます。
否が応でも、現実を突きつけられる日々。
それでも、検索はやめませんでした。
都内の気になる神社をピックアップ。
どこから始めようか。
誰と行けるだろうか。
あの人なら、ここに誘えるかもしれない。
“場所”よりも先に、“相手”を考える。
誰となら、この時間を共有できるだろう。
そんな試行錯誤を、静かに繰り返していました。
確かにあの日、
流れが変わったと感じたあの感覚。
それは次第に鈍り、
ゆっくりと日常の中へ溶けていきました。
けれど。
完全に消えたわけではなかったのです。
───
それでも足が向いた場所が、あなたにもありますか。
───
この時間の続きは、また別の鳥居の向こうで。
