漂声~雨に溶けた祈り~第十八話
📘 第十八話|世界を透かして見る
――名前を通されたその瞬間、私は息をはじめた
1|目覚め
朝の光がゆらぎ、祈札の前で、少女は目を開けた。
「……わたし、生きてる?」
それは――ヒルコだった。
呼ばれ、名をもらい、命を受け取った「誰か」。
まだ声はかすれていたけれど、確かにここに“いた”。
2|ただの声が、誰かになる
ヒナと深音が目を覚ます。
ふたりの視線の先に、少女が座っていた。
両手で自分の胸を抱きしめるようにして、小さく震えている。
深音:「……ヒルコ」
ヒナ:「あなた、返ってきたんだね……」
少女は頷いた。まるで、ようやく空気になじんだように、静かに。
ヒルコ:「名前をもらって、初めて“ここにいたい”と思ったの」
3|記録の証
深音が手帳を取り出す。
ページをめくり、空いていた行にゆっくりとペンを走らせる。
ヒルコ
──その名が紙の上に現れた瞬間、部屋が少しだけ明るくなった気がした。
ヒルコはじっとその文字を見つめる。
ヒルコ:「……これが、“記録”……?」
深音:「うん。“あなたはここにいた”って、私がこの手で残したんだよ」
4|空白のページ
深音は続けて、手帳の前のページをふとめくった。
そこには、かつて書き込まれていたはずの「ひかり」の名前が……
……なかった。
ページ全体がまっさらな白に戻っていた。
名前も、日付も、余白の記憶さえも、すべて消えていた。
深音:「……お母さん……」
ペンを握る手が震える。
呼吸を静かに整えながら、もう一度ヒルコの名前のページに戻る。
深音:「大丈夫。名前は、受け継がれてる。
お母さんの灯は、あなたの中にちゃんとあるから」
ヒルコはそっと頷いた。
その頬に、ぽたぽたと透明な滴が落ちる。
ヒナ:「……涙、だね」
ヒルコ:「なぜ出るのかわからないけど、
この世界に触れて、“痛くないのに苦しい”って、初めて思ったの」
5|遠子の記録
遠子は静かに、記録帳を開く。
制度が拒絶したはずのその名を、自分の手で書き加える。
記録:ヒルコ(命反応あり)
通祈記録番号:未登録/非制度存在
備考:通された名に魂が宿り、世界との接触を確認
対応:観測継続
遠子(内心):
制度の網からもれた声を、こうして誰かが迎えた。
たとえ記録上の定義ができなくても、
命がここにあると、私たちが知っている。
それで十分だ。
6|そして、世界へ
夕暮れ。
ふたりとヒルコは並んで座って、沈む光を見ていた。
鳥の声、風の匂い、土のぬくもり。すべてが初めての感覚だった。
ヒルコがぽつりと言った。
ヒルコ:「ここにいて、いいのかな……」
深音:「ううん、“ここにいてくれて、ありがとう”だよ」
ヒナ:「あなたは、生まれてよかった」
ヒルコは、そっと笑った。
「わたし、これから生きていくよ」
📘 第十八話・完
