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あの窓の光を、もう一度描く。

小学生のときから、絵を描くことは好きだった。
その頃は、水彩絵の具で画用紙に描く。

私は、色を混ぜるよりも、重ねていきたくなるタイプだった。
でもそんな技術は知らないし、図工の時間は限られている。
前に塗った絵の具が乾かないうちに、次に塗りたい色をつけた筆で、
グイグイと塗り重ねてしまう。

水分を含みすぎた画用紙は、
ボロボロになってしまうこともあった。

それでも、すごく楽しくできた授業がある。

「モチーフを決めて、図案化してみましょう!」

私はキャベツを題材に選んだ。
独特の芯の形― ナイキのマークみたいな、あのカーブ。
それと葉脈を、できるだけシンプルにして、
画用紙の上に、わりと大胆に配置した。

今思えば、あれが私にとって、初めての「デザイン」体験だった。

そのとき使った画材は、ポスターカラー。
マットな仕上がりで、重ね塗りもきれいにできる。
思いきり、どんどん描き進めることができた。

そのキャベツのデザイン画は、
校長室前の廊下に、額に入れられて長いあいだ飾られていた。

それが、たまらなく嬉しかったことを、今でもよく覚えている。

そうして、私は中学校で美術部に入り、油絵を始めた。
始めてみてわかったこと。
「色を重ねられて、しかもキャンバスは破けない」
私のやりたい描きかたに向いている!
油絵の具の匂いも気に入った。

花や果物の静物画を描く人が多い中で、
私はいわば「創造画」を描いていた。
見て描くのではなく、自分の中にある映像をキャンバスに映す。

ある日、頭の中に浮かんでいたのは、窓だった。

薄暗い部屋の中から、縦に大きな窓を見ている構図。
部屋とは対照的に、窓の向こうには温かい光があり、
古びたカーテンが、風にそよいで、内側へと少し揺れている。

廃墟のような部屋の壁。
そこにある、窓だけ。

そんな絵を描いている私は、
きっと「変な子」だったのだと思う。

顧問の美術の先生は、
もっと綺麗なモチーフを描いたらどうかと勧めてきた。
けれど私は、どうしてもその窓を、
キャンバスに表現したくてたまらなかった。

結果的に、先生を無視する形になった。
呆れられたのか、嫌われたのか。
それ以来、何も言われなくなった。

たぶん、2ヶ月ほどだろうか。
私はその絵を、ずっと描き続けていた。

埃っぽい色を表現したくて、幾重にも塗り重ねた壁。
そこに差し込む光。
波打つように揺れるカーテン。



描き終えたとき、
私は、ものすごい満足感を覚えていた。

だいたい、先生にも声をかけられないくらいだから、
文化祭でも、いい場所には飾られなかったし、
美術展に出品されることもなかった。

それでも、
自分の中にあるものを表現する喜びは、
褒められない寂しさを、悠々と上回っていた。

その後も、写実的なものはあまり描かず、
私は「変な絵」を描き続けた。

それを、「いいね」と言ってくれた人が、一人だけいた。
部長の先輩だった。

— 伝わった!

それは、本当に嬉しくて、
ちょっと涙が出そうになるくらいだった。

今思えば、
孤立しがちな下級生へのフォローだったのかもしれない。
そうだとしても、その瞬間の喜びは本物で、
今でも胸の奥に、熱いものが湧き上がる。

その先輩が卒業し、後輩が入ってくる。

自分のキャンバスに向かうのに夢中だった私は、
あるとき、ふと周りを見渡した。

私が描きたいものとは違うけれど、
とてもいい絵を描く人が、何人かいた。

賞や賛辞が欲しいわけじゃない。
ただ、
あんなふうに描ける「腕」が欲しかった。

妬ましい、とも思った。
もちろん、口には出さない。

絵の話だけでなく、
アニメや映画の話をしたりして、
クラブ活動の時間は、それなりに楽しかった。

絵は、好きだった。
油絵も、好きだった。

でも、
今以上のものが、描ける気がしなかった。

中学卒業とともに、
油絵の具は、捨てた。

思春期真っ只中だった私は、
音楽や演劇、小説執筆にも手を出して、
絵筆を取ることはしなかった。

社会人になってからは、
今度は恋愛と仕事に忙しく、
やっぱり、絵は描かなかった。

そんな中、
プライベートでPCを触るようになった頃、
ほんの少しだけ、気になるものがあった。

Photoshopというソフト。
それと、ペンタブレット。

— 画材がなくても、描ける……?

油絵は、とにかく場所をとる。
乾くのに時間もかかり、自宅でやるのは難しい。
…という言い訳を自分にして、描きたい欲求を押し込めていたが、デジタルの表現方法を知って蓋が開いてしまった。

絵画ソフトは、Illustratorよりも、
私にはPhotoshopのほうが合っていた。
理由ははっきりしている。
「レイヤー」を重ねる表現ができたから。

やっぱり私は、
色を重ねることが好きなのだ。

油絵をやめてから、
気づけば、20年ほどが経っていた。

そして今、
私はAIという、すごい相棒と出会った。

パレットはキーボードに変わり、
キャンバスはモニターに。
そして絵筆は、「言葉」になった。

想像は、何度でも、幾重にも重ねられる。

AIはまだやるの? とは言わない。
「変な絵」だとも、言わない。
お願いしたとおりに表現してくれる。
こちらの指示が足りなければ、
いかにも「ここが足りてません」という画像が出てくる。

だから私は、
足りない言葉を探し、
修正し、
また重ねる。

そうして、
自分が表現したいものが、
少しずつ形になっていく。

—やっぱり、
表現することは、好きだ。

そして、それを練りあげていくプロセスは、もっと好きだ。



そんなことを経て、描いているものを投稿してみました。
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