掌編『窓』
雨上がりの、風のない日。あなたの隣で歩いている。
「それでね、今日のご飯はね」
あなたはいつもの話をし始める。
僕は、靴紐がほどけていることに気づく。そのまましゃがみ込む。
水たまりが見える。水面は風に揺れず、空と僕を逆さに映している。
あなたはまだ、僕が立ち止まったことに気づいていない。
もうすぐ、数歩先で振り返る。
「スーパー寄って、ナスと、鶏ももと、」
僕はまだ靴紐を結ぶためにしゃがんでいる。
「2個一気に焼いたら明日の分まで一緒に作れるかな、あれ?」
振り返ってこちらを見る。
立ち上がろうとしている僕と目が合う。
「あ……」
あなたは、少し困ったように笑いながら、こちらへ小走りで戻ってくる。
「なんで何も言わずに止まるの。」
「ごめんね、なんの話してたの」
「今日の夜に、明日の分を一緒に作っておこうっていう話、あとね」……
その通りになった。記憶の中で見たのと同じ景色、同じ温度が、ここに重なる。僕は頷きながら続きの話を聞いた。
僕たちが今夜、何をするのかも知っている。2日分作ったのに、その日のうちに全部食べてしまう。そして、あなたが知らない明日のことも知っている。その先も。
知っていた通りの夜になった。二人で横になっている。窓の外では、月がこちらを見下ろしている。
昨日より少し欠けた月。満ちては欠ける。そのたびに、遠いはずの終わりが少しずつ近づいてくる。
あなたは、昨日見た夢の話をした。僕と二人で、水族館へ行く夢だったという。
また、いつか行こうねと言って笑った。僕は記憶の通り笑い返す。ただ、その「いつか」は、僕の記憶にはない。
あなたは目を閉じた。僕は眠れないまま、その横顔を見ていた。
あなたは何も知らない。知らないまま、僕の知っている明日へ進んでいく。
ただ、そんな時間を壊す言葉を、僕は知らない。
もう一度、窓へ視線を向ける。
窓には、触れられない向こうの景色と、透けて映る僕が重なって見える。
そこに映る僕も、こちらを見ている。
どうでもよくなった気がして、笑いがこぼれた。
向こうでも同じように笑っていた。
明日が変わるとは思っていなかった。それでも、どこかで期待している自分がいた。そのことも、すでに知っていた。
窓の中の僕も、同じ未来を知りながら、同じように期待していた。
嘲笑に見えたのは、こちら側の僕の解釈にすぎない。
実際には、ただ笑っただけなのだろう。
窓の中の歪んだ口元は、僕を許しているように見えた。
僕は目を閉じる。
記憶の中を漂う意識。
窓に残る、薄い輪郭。
今と、まだ来ていない時間のあわいにいる僕は、
喩えるなら、幽霊。
窓 / kanamiya feat.重音テトSV (幽霊楽曲投稿祭2026参加作品)より
呼吸一つ遅れて 逆さの空を見て
あなたは少し遠くて 柔らかく気づかないままで
同じ景色で
同じ温度で
同じあなたがまだ知らない明日を話して
終わりをしまって いつもみたいにして
頷いた僕を 僕は見ている
濡れる月の時計も
二人を見下ろして
さよならはもっと遠くて
静かに届かないままで
同じ灯で
同じ影で
同じあなたが昨日見た夢を話して
夜を数えて 忘れたふりして
目を閉じた僕を
同じ景色で
同じ温度で
同じあなたは「いつか行こうね」って笑って
続きをしまって 気づかないふりして
笑い返す僕を 僕は見ている
それでいいよって
僕をゆるして Special Thanks: ChiyoRi https://x.com/Chiyo_R1
