母さん、・・ごめんよ。
「もう、あきらめよう・・ありがとう。」
司令塔の私は、決断を下した。遺体に馬乗りになっていた息子は
静かにベッドから降りた。
息子2人と私は、無言で遺体を見つめるしかすべがなかった。
母は、余命半年と言われた膵臓がんだった。
その半年を3ヶ月超えて、4月の初旬、愛犬と私に
見守られながら、この世を去った。
ほんの3ヶ月前までは、入れ歯ではありながら、「食べる」ことには、とても意欲的で、漬物を美味しそうに「バリバリ」と音を立てて食べていた。
この「バリバリ」の音は、母の生きる力の音であり、生きますよぅ~生きますよぅ~と言っているかのように、私には聞こえていた。
けれど、病魔は容赦なく時間を奪っていった。亡くなる2ヶ月前、「外の空気を感じたい。」という母を車椅子に乗せようとしたが、乗れることはできなかった。腰がもう立たない状態になってしまったのだ。
母のじっと天井を見つめる目に、絶望が映っているように感じて、私は
かける言葉が見つからなかった。
そこで、小さくまとまらないのが母だ。寝たきりになっても、元気になることを諦めていたわけではなかった。
「食べて元気にならないと!。」
「食べることが好きだから、食べなくなったら私は終わりよ。」
食べる量は少量になりつつあったけれど、食べるということと、栄養剤のエンシュアを飲むことを頑張ってくれていた。
その力強さはどこからやってくるのか・・
私は母の生き様すべてに、生きることとは、食べること。そして気力というものを母の背中で教えてもらっている気がしていた。
あっぱれ!お母さん!と言ってやればよかった。
しかし奇跡が起きることはなく、ゆるやかなカーブを辿りながら
食べるということができなくなっていった。
或る朝一番に、しっかりした目で、かつはっきりとした口調で「お酒を持ってきて。」母は、言った。
それが、母が発した最期の言葉となり、午前4時すぎに静かに息を引き取った。私は、ベッドの横に立って、深々と母に頭を下げた。
「お母さん、ありがとう。本当にお疲れ様でした。やっと、やっと自分の足で歩けるね。」
悲しいけれど、お母さんがこの薄暗い和室の部屋から解き放されて、自由に歩き回れるんだと思うとお疲れ様と思う気持ちの方が強かった別れだった。
亡くなった後は、余韻を感じる暇もなく、訪問看護さん、訪問医師さん、
ケアマネジャーさん、葬儀屋さんにと、息つくひまなく母を見送る準備に追われた。このときの私は、使命感一つだったように思う。
訪問看護さんに、母の遺体をきれいにしてもらい、あらかじめ準備していた
洋服に着替えさせてもらった。
桜の季節だから母はきっと、桜を観に行くだろうと勝手に想像し、軽装なジーンズに白のシャツを着せてもらうことにした。
コンセプトは、母の好きな「ピクニック~桜を観にいこう~」だ。
当然棺に入れるものは、私の長男がプレゼントした帽子と首にはハンカチーフを巻き、ピクニックのお供には、次男がプレゼントした柴犬とダックスフンドのぬいぐるみも一緒に行ってもらうことにした。
そして忘れてはならないのが、足袋(靴下)だ!
かれこれ43年前に父が脳梗塞で倒れ、1週間後に
この世を去った時のことだ。葬儀が終わり母と二人の生活を再スタートした矢先、母が夢に父が現われたというのだ。
「お前、足袋どうしたんや、足袋をはかせてくれ。」と父が言ったそうだ。そこではっ!と目が覚めたというのだ。
今は、好きな服装で遺体を棺に納めるが、昔は白の着物に白足袋を履かせて
棺に納めるようだった。しかしこの時代、男物の白足袋なんぞ家にあるはずがなく、主人の新品の靴下を棺に入れて、母に渡してもらうことにした。
あとは・・・母があの世に持っていきたいものなんだろう・・・まぁ、間違いなく私を持っていきたいのだろうけれど、それはごめんなさいよと思いながら、母をじっと見つめて考えていた。
もうないかなぁと思った矢先、間一髪ギリギリセーフのところで思い出した!!
「入れ歯だ!!」
すでに死後硬直が始まっており、体はドライアイスでキンキンに冷やされている。しかも顔には顎バンドで口が開かないように装着されていた。
「失礼しますよ、お母さん。」そう言って、顎バンドを外し、口をこじ開けて入れ歯を上下装着した。いや・・装着というより、ねじこんで、押し込んだという方が正解だ。
そして入れ歯をした後、顎バンドで口を空かないように固定し、完了!!
私は、「お母さん、良かったね。」と心の中で安堵した。
10分ほどして、母の部屋に戻ると「ぎえーっ。!!」と叫んでしまった。
愛犬が母の遺体のベッドに乗って暴れていて、母の遺体が乱れてしまっていた。すぐさま、愛犬をベッドから降ろして、母の服の乱れを整え、髪を整えようとしたその瞬間、不謹慎ながら笑ってしまった。
「お母さん・・・えらいこっちゃだわ。」
無理矢理入れ歯を入れ込んだものだから、「ジャジャジャーン。こんにちはぁ!!」と言っているかのように、入れ歯がむき出しに出てきているではないか。顎バンドの意味がなくなっている・・・
母の遺体にまた馬乗りになってまたがり、「母さん、ごめんよ。」と言いながら、口をこじ開け、無理矢理入れ歯を力の限りに押し込む!!そして急いで顎バンドで力強く固定!これを何度も繰り返した。
私の気持ちをよそに、数分でにょろにょろと入れ歯が申し訳なさそうに外へ出ようと動き出す。
そしてやはり最後には、「ジャーン!!出ましたぁ!!こんにちわぁ。」と爽快に入れ歯がむき出しに顔を出すのです。
あまり寝てないから力がないのかなぁ・・と思った私は、息子にバトンタッチした。
息子達が、「おばあちゃん、ごめんな、ちょっと辛抱してな。」と言いながら2人がかりで入れ歯を押し込む姿がなんだか滑稽に見えてきた。
まるで母が「ちょっと、ちょっと、乱暴なことせんとって、痛いやんか。」と言っているように思えてきて、またもや私は笑ってしまった。いや、大笑いしてしまった。
最後まで、入れ歯は母に寄り添ってはくれなかった。
しかし、ここであきらめては、母の娘ではない!!
入れ歯をつけて、あの世でご飯を思いっきり食べてほしいという私の
エゴは押し通したい。だからこそ、上の入れ歯だけでも入れてほしいと息子にお願いしたのだ。
入れ歯が申し訳なさそうにひょっこり口から出てきているけれど、それは愛嬌としよう!!というところで、落ち着いた。
お母さん、いろいろと最後までごめんよ。ちゃんと下入れ歯は、棺にいれたから後はよろしくね。
