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モラハラ夫と暮らした30年。脱出の鍵は、私の手にあった


この投稿は、
支配構造から、穏やかに抜け出したい。
そう感じているあなたへ、届けています。




1. モラハラを受けていた頃、私は夫を「お小言大魔王」と呼んでいた


モラハラを受けていた頃、私は夫のことを “お小言大魔王” と心の中で呼んでいました。

自分が法であるかのように語る彼の言葉に、いつも責められているような気がしていたからです。



でも最近、その呼び名を思い出せなくなりました。
……あれ? なんて呼んでたっけ?



それというのも、お小言自体がほとんどなくなってきたから。


私は、大魔王に捕まって牢屋に閉じ込められたピーチ姫のように、
マリオのような救世主を待ちわびていたのかもしれません。


でも、救世主は来なかった。



その代わり、自分の力で、ドアを開けて、出てくることが出来ました。
その鍵は、実は私の手の中にあったからです。


今日は、そんな私の「脱・モラハラ」のストーリーを綴ってみようと思います。


2. 閉じ込められた私と、「逃げられない理由」



韓国に嫁いで30年が経ちます。
私は、もともと自分の気持ちを言葉にするのが苦手で、気の小さい人間でした。


思い込みが強く、自分を責める癖があり、
もし “自責め選手権” があったなら、間違いなく入賞するタイプだったと思います。


そんな私に、彼は言いました。


「おまえを幸せにできるのは、俺だけだ」と。


その自信満々の姿に、私は「この人に連いて行ってもいいかも」と思ったのです。じぶんには無い力強さに、魅了されたんだと思います。


でも、若気の至りとはよく言ったものです。


最初は7人家族の中で、彼の怒りの標的は主に姑や妹たちだったのでした。

でも1人、また1人と独立して家を出た後、残ったのは私と彼、そしてダウン症の娘とお姑さん。
家族が減るにつれて、彼の怒りの矛先の対象は変わっていきました。


お姑さんと同居している間は、彼の矛先は彼女へと向いていました。

でも、お姑さんの、
「一緒に住んでいたら命が危うい」

幻想を見るようになったお姑さんが
私たちを追い出すようなかたちになり、別居が始まりました。


それからというもの、
私にも、だんだん刃を向けられるようになってきました。


「郷に入れば郷に従え」
「俺は医者や教授にも物を教えられる知識人だ」
「○○さんの奥さんは立派に子どもを育ててるのに、おまえは何だ」
「おまえが賢く貯金していれば、俺が借金しても、苦労することもないのに」
「牛乳なんて買うな。もっと神経を使え」


——娘の障がいも、家計の苦しさも、すべて私のせいにされました。


誹謗、中傷、比較、叱責、責任転嫁、嘘、ギャンブル……
書き出したらキリがないほどの言葉が、日々の中にありました。


心は、ずっと監禁されているような気持ちでした。
でも、子どもたちのために、別れるという選択肢は持てなかったのです。


5人の子を産みましたが、ある時は家まで売って借金を返し、
6人家族で10坪にも満たない家に住んでいたこともあります。

それでも、子どもたちのおかげで私は狂わずにいられたのだと思います。


でも、ある時気づいたのです。


「どんなに自分を責めても、この現実は私一人のせいでは説明できない」


それだけは、どうしても納得できなかったし、したくなかった。


頼れる人はいませんでした。
実家には、反対を押し切って嫁いできた手前、心配をかけたくなかった。


だから、自分に頼る以外になかったんです。


そうして少しずつ、私の韓国語は磨かれ、
今ではケンカしても簡単には負けないくらい、言葉を扱えるようになりました。


自責ばかりしていた頃は、私は完全な被害者でした。
でも、戦う術を覚えたとき、少しずつ「相手のせい」と言えるようになりました。


今思えば、私は安心を求めて、
自分と子どもたちを守るために、少しずつ態勢を変えていたのだと思います。





3. 働き始めたことで見つけた、私の中の“鍵”



生活への不安を減らすため、私は働き始めました。

村の事業で、日本語を市民に教える夜の仕事。2時間でわずかな報酬でしたが、
「誰かの役に立てる」「社会とつながっている」と感じられる時間は、私にとって大きな意味がありました。

子どもたちを残して出かけるのは胸が痛みましたが、
その小さな一歩が、私の人生を変え始めたのです。



転売も始めました。当時はまだ知られていない働き方でしたが、
細々とでも自分の力でお金を得られることが、自己肯定感を育ててくれました。


そして、心に余裕が生まれたことで、
「私は、被害者ではないのかもしれない」と思えるようになりました。


彼の言葉にただ傷つくだけでなく、時には反発し、
「また言ってるな」と冷静に見下ろせるようにもなっていました。

泣き叫んだ日も、家を飛び出した日もありました。


でも、どんなに彼を責めても、
私の心は癒されない
と気づいたのです。


そして追い打ちのように、18年間別居していたお姑さんとの再同居が始まりました。

次女は高校三年生。おばあちゃんの「女なんだから家事をしろ」などの抑圧的な態度に苦しみ、
精神科に通うようになりました。


彼とお姑さん——その二人だけは、どうしても許せなかった。


でも、何を言っても通じない。

その瞬間、私の中で“ぷつん”と糸が切れました。

「もう、私が出来ることは何もない」


——でも、子どもを置いて家を出ることはできない。


だから選んだのは、

「自分が変わる」ことでした。

それしかない、
そう思うしかなかったのです。


4. “相手のせい”から、“自分の再編集”へ

そこで、借金してまで学び始めたのは、「量子力学コーチング」でした。


そこで出会った言葉たち——

「すべての物事に意味はない。意味をつけているのは自分自身」
「信じるな、疑うな、確かめろ」

ニュートラルな状態でいることが、幸せの鍵になると知りました。


そして私は、自分と向き合う術を身につけていきました。

私は、なぜ “被害者” であることを選び続けていたのか。


——それは、育った環境、性格、癒えない過去の、心の傷がそうさせていたのだと。


「私は何もできない」「私はダメな子」
そのラベルを、自分自身が何より強く貼っていたことに気づいたのです。


でも、それを剥がしたら?


——世界は、変わりました。



「私はモラハラを受けていい人間ではない」
「私は、大切にされるべき人間だ」


そう思えるようになってから、
すこしずつ、ダメ出しのループから抜け出すことができたのです。


牢屋の鍵は、自分自身がずっと持っていた。
そのことに気づいたから、扉を開けられた。


5. モラハラも、人生も、自分で選び直せる



モラハラをする人は、‶支配欲求″ があるからだと言われています。


でもそれは、安心できない心の緊張をどうにかしようと
もがいている
だけに過ぎないのかもしれません。



そう思えるようになった今、私は静かにこう思います。

「あなたの鍵も、あなた自身が持っているよ」と。

その鍵を優しく開けられる日まで、
私はただ横で見守れる人でありたい。


そう思える今が、本当の意味での “幸せ” だなぁと思います。


モラハラを体験したことも、今では私を成長させてくれた大切な宝物です。

でもまず、最初にするべきことは“自分を守ること”。


別れるのもアリ。
別居するのもアリ。
私のように向き合うのもアリ。


どんな選択でも、あなたが後悔しないこと、それが正解です。


もし、自分と向き合いたくなった時は。

私でよければ、そっと寄り添わせてください。

モラハラ体験者でなくても、自分を好きになって、
自分の人生を自分の手で舵取りする人
が増えること。


——それが、今の私の願いです。



📚 【関連投稿】


抜け出すまでに、私は9つの段階を通りました。

今、あなたはどのあたりにいるでしょう。



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