【物語の現場077】光信・牧子夫妻が暮らす狩野宗家本邸(間取り図)
「狩野光信」の第二章は、光信・牧子夫妻の馴れ初めと二人が背負っている狩野派と土佐派の紹介です。
そして、二人が暮らす誓願寺通の屋敷は、高辻新町の別邸に対して本邸という位置付け。今後頻繁に登場する場所なので、間取り図を載せておきます。
無論、この間取りは物語上の設定です。
参考にしたのは、撮りためた古い京町屋の写真、他に江戸中期の絵師・尾形光琳が晩年を過ごしたとされる屋敷の資料など。
ただ、物語はまだ豊臣政権の時代なので、家屋敷も江戸時代とは異なります。屋根は板葺きが基本で、塀や壁なども含め全体的に簡素な造り。
町並みだけでなく風俗もですが、この物語の世界は、江戸時代の浮世絵より狩野永徳の洛中洛外図の方が近い感じです。
ところで、光信の妻・牧子については、土佐光元の娘らしいということ以外は分かっていません。育った環境や性格は勿論、名前も年齢も想像の産物。ただ、土佐派の置かれていた状況を考えれば、光信よりは間違いなく苦労して育ったことでしょう。
一方、牧子の父・土佐光元の但馬での陣没、弟子筋の土佐光吉が光元の遺児の養育に心血を注ぎ、それが無駄骨に終わったことは史実。
土佐光吉の作品(源氏物語の画帖と屏風)については京都国立博物館の公式ウェブサイトで画像を見ることが出来ます(2026年4月現在)。興味のある方は同サイトの所蔵品検索ページにアクセスしてみて下さい。
なお、後に土佐派として八十数年ぶりに禁裏絵所預の地位を取り戻し、土佐派中興の祖とされる土佐光起は、光吉の孫になります。
