36. 大事にされる人は、無理をしない
誰かの特別であるために、まず自分を裏切らないこと。
「尽くすこと」の先に、求めていた愛着は育まれていますか。
加納光|40年間、誰よりも「選ばれない理由」と向き合い続けてきたからこそ、伝えたいこと
人一倍努力しているのに、なぜか思うように評価が追いつかない。
そんなもどかしさを抱えている人には、ある共通点があります。
それは、決してあなたの力が足りないからではありません。
ただ、心を配る「ピント」が、ほんの少しだけずれているだけなのです。
その献身が、あなたを「都合の良い景色」に変えていませんか。
大切にされたい。
恋い慕う相手にも、心許せる友人にも、そして日々の仕事の場でも。それは、私たちが抱くもっとも純粋な願いです。
けれど、現実は時として残酷です。
誰よりも尽くしているのに、なぜか粗末に扱われてしまう。
必死に頑張っているのに、いつも後回しにされる。
細やかな気を配っているのに、どこか軽く見られてしまう……。
40年という月日のなかで、数多の人間関係と現場を見つめ続けてきた私が確信しているのは、誰からも尊ばれる人ほど、決して自分に無理を強いていないということです。
ここでいう無理とは、
心を削ってまで我慢を重ね、
自分を殺してまで相手に染まり、
抱えきれない重荷を一人で背負い込み、
ひきつった笑みを浮かべて、
断る勇気を封じ込めてしまうこと。
たとえば、あなたにもこんな記憶はありませんか。
夜が更けてからの呼び出しにも、迷わず駆けつける。
急な予定の変更にも、すべてを投げ打って合わせる。
胸に刺さる言い方をされても、何もなかったように聞き流す。
身も心も疲れ果てているのに、会いたいと言われれば断れない。
最初は、誰の瞳にも「優しい人」として映るでしょう。
けれど、悲しいかな、人はその献身に慣れきってしまう生き物なのです。
「あの人なら、何をしても許してくれる」
「今回も、きっと寄り添ってくれるはず」
「少しばかり雑に向き合っても、どこへも行かない」
そんなふうに思わせてしまうのは、悪意だけではありません。人は、差し出された条件に、無意識のうちに順応してしまうものなのです。
お店という営みでも、同じことが言えるでしょう。
理不尽な値引きに走り、無理な要求を当たり前のように飲み込み、過剰なもてなしを続ける。
それでは、感謝の念は薄れ、やがてそれは「当然の権利」という名の色褪せた日常になってしまいます。
私はセミナーを通して、この「尊厳の守り方」について説き続けてきました。
人も会社も、凛とした一線を守っているからこそ、深く大切にされるのです。
だからこそ、私は経営者の方々にも、人と向き合う時のあり方についてこう問い直してもらいます。
守れない願いには、対等な条件を添えていますか?
できないことは、迷わず「できない」と伝えていますか?
心を曇らせる言動を、ただ微笑んで見過ごしてはいませんか?
誰かのためではなく、自分のための時間をまず慈しんでいますか?
全力で応えることが、当たり前になりすぎてはいませんか?
報いのない相手と、そのままの距離でい続けてはいませんか?
これは、愛し合う二人の間でも、全く同じことが言えるはずです。
相手の色に染まる人よりも、自分の彩りを守りながら生きている人。
何でも受け入れる人よりも、穏やかに、けれど確かに自分の意思を示せる人。
そんな人こそが、誰かの瞳にかけがえのない存在として映るのです。
実際、ある女性は「大好きな人に、ひどく雑に扱われる」と、肩を落としていました。
お話を聞けば、呼ばれれば瞬時に駆けつけ、
不満は一つも漏らさず、
自分の予定をすべて空けて、相手を待ち続けていました。
そこで私は、先約がある日は自分を優先し、
嫌なことは短く、けれど真っ直ぐに伝え、
会える日を自分から選ぶように伝えました。
ただそれだけで、相手の態度は驚くほど変わったのです。
新しい魅力を足したわけではありません。「自分をどう扱うべきか」という基準を、書き直しただけなのです。
あなた自身も、そうではありませんか。
自分自身を疎かにしている人を、他人が永く丁寧に扱い続けることは、とても難しいものです。
だから、大切にされたいと願うときほど、もっと尽くそうと焦らないでください。
「あなたが、あなた自身に、無理をさせてはいませんか」。
尊ばれる人は、決してわがままなのではありません。
自分という存在を、決して雑に扱わせない。その誇りを持っている人なのです。
