68. 本命にされる人は、追いすぎない
誰かの一番になるために、まず自分を後回しにしないこと。
「愛されたい」と願う指先が、あなたの誇りを削ってはいませんか。
加納光|40年間、誰よりも「選ばれない理由」と向き合い続けてきたからこそ、伝えたいこと
一生懸命に汗をかいているのに、なぜか思うように評価が追いつかない。
そんなもどかしさを抱えている人には、ある共通点があります。
それは、決してあなたの力が足りないからではありません。
ただ、心を配る「ピント」が、ほんの少しだけずれているだけなのです。
そのひたむきな献身が、あなたを「都合の良い景色」に変えていないか。
大好きな人ができると、私たちはつい必死になってしまいます。
届ける言葉を増やし、
予定のすべてを相手に委ね、
好かれるための努力を積み重ね、
自分の世界の真ん中に、あの人を招き入れる。
そのいじらしい想いは、痛いほどよく分かります。
けれど、40年という月日のなかで数多の人間模様を見つめ続けてきた私が確信しているのは、誰かの「本命」として大切にされる人ほど、決して相手を追いかけすぎないということです。
それは、決して突き放しているわけではありません。
駆け引きを楽しんでいるわけでもない。
ただ、自分という人間が歩むべき道を、凛と守っているだけなのです。
たとえば、あなた自身にもこんな記憶はありませんか。
追いかける側になった途端、
返信の速さひとつで、一日が台無しになったり。
会えるかどうかで、心の浮き沈みが決まったり。
相手の都合がすべてにおいて優先され、
胸に刺さる一言さえ、飲み込んで笑ってしまう。
そんな姿は、相手の瞳にはどう映るでしょうか。
「この人は、いつでも呼べば応えてくれる」
「どんなに雑に向き合っても、どこへも行かない」
悲しいかな、人は尽くされれば尽くされるほど、その相手を尊ぶとは限らないのです。
人は、心から価値を感じる相手に対してこそ、自分からも歩み寄ろうとする生き物なのですから。
お店という営みでも、全く同じことが言えるでしょう。
いつも顔色を窺って値引きをし、
何でも言いなりになり、
無償のサービスに明け暮れる。
それでは、誰かにとっての「特別」にはなれません。
一方で、
嘘のない誠実さを持ち、
揺らぐことのない基準があり、
必要以上に媚びることのないお店こそが、深い信頼を集めるのです。
私はセミナーを通して、この「尊厳の守り方」について説き続けてきました。
商いも、恋も、一方的に追いかけ続ける側は、いつしか自分を見失い、弱くなってしまうからです。
だからこそ、私は経営者の方々にも、人と向き合う時のあり方についてこう問い直してもらいます。
誰かのために動く前に、自分の日常を慈しんでいますか?
瞬時に応えることばかりに、心を砕いてはいませんか?
心を曇らせる出来事を、柔らかな言葉で伝えられていますか?
あの人の振る舞いに、嘘偽りはないでしょうか。
差し出すばかりで、自分の心が乾いてはいませんか?
誠実さはそのままに、自分を安売りしてはいませんか?
これは、愛し合う二人の間でも、全く同じことが言えるはずです。
実際、ある女性は「好きになるたびに、なぜか軽く扱われてしまう」と、肩を落としていました。
お話を聞けば、
いつも自分から追いかけ、
予定のすべてを相手に捧げ、
不満の一つも漏らさずにいました。
そこで私は、自分の彩りある生活をまず整え、
会う日はお互いのために、対等に分かち合い、
相手がどれほど歩み寄ってくれるかを、じっと見守るように伝えました。
ただそれだけで、相手の態度は驚くほど変わり始めたのです。
新しい魅力を足したわけではありません。「自分をどう扱うべきか」という線を、引き直しただけなのです。
あなた自身も、そうではありませんか。
どんなに願っても手に入らないものより、
丁寧に扱わなければ壊れてしまう、たったひとつの宝物を、何よりも大切に慈しむはずです。
人の心は、あまりに近すぎるものには、その価値を忘れてしまうことがあります。
だから、本命として愛されたいと願うときほど、もっと追いかけようと焦らないでください。
「あの人だけが主導権を握る、そんな歪な結びつきになってはいませんか」。
誰かの一番になる人は、相手を追わせる魔法を使っているのではありません。
自分という存在の価値を、決して安売りしない。
その静かな自負を持っている人なのです。
