69. 愛されたい人ほど先に整える場所がある
誰かに愛でられる前に、まず自分を慈しむことから。
満たされない心を誰かで埋めようとするほど、大切なものが見えなくなります。
加納光|40年間、誰よりも「選ばれない理由」と向き合い続けてきたからこそ、伝えたいこと
一生懸命に汗をかいているのに、なぜか思うように評価が追いつかない。
そんなもどかしさを抱えている人には、ある共通点があります。
それは、決してあなたの力が足りないからではありません。
ただ、心を配る「ピント」が、ほんの少しだけずれているだけなのです。
誰かの腕に飛び込む前に、整えるべき「自分」という器。
愛されたい。
何よりも大切にされたい。
心から安らげる誰かと、手を取り合いたい。
そう願うのは、人間としてあまりに純粋で自然なことです。
けれど、現実は時として皮肉な表情を見せます。
なぜかいつも、粗末な扱いを受けてしまったり。
気づけば都合の良い相手として数えられていたり。
震えるような不安ばかりが募る恋を、何度も繰り返してしまったり……。
40年という月日のなかで、数多の人間模様を見つめ続けてきた私が確信しているのは、誰かに愛されたいと切望する人ほど、新しい出会いを探す前に整えるべき「自分自身の姿」があるということです。
それは着飾った外見や華やかな肩書きではなく、あなたの内側の豊かさと、日々の何気ない暮らしそのものです。
たとえば、あなた自身にもこんな記憶はありませんか。
部屋が雑然としていて、心まで荒んでしまっている。
生活の刻みが乱れ、身も心も疲れ果てている。
胸にぽっかりと開いた孤独を、今すぐ誰かに塞いでほしい。
そんなときほど、
ほんの少し優しい言葉をかけてくれる人。
マメに連絡をくれるだけの相手。
一瞬の寂しさを紛らわせてくれる誰か。
そんな存在に、吸い寄せられるように惹かれてしまう。
けれど、それは相手を愛しているのではなく、自分の欠落を埋めたいと焦っているだけなのです。心がひもじいとき、人は相手の真実の姿を見極める眼差しを、いとも容易く失ってしまいます。
お店や会社という営みでも、全く同じことが言えるでしょう。
足元が揺らいでいる組織ほど、
派手な宣伝で虚飾を凝らし、
流行りに飛びつき、
安売りでその場を凌ごうとします。
私はセミナーを通して、この「土台の整え方」について説き続けてきました。
商いも、恋も、自分自身の根っこが乱れているとき、正しい選択をすることはできないのです。
だからこそ、私は経営者の方々にも、人と向き合う時のあり方についてこう問い直してもらいます。
深い眠りに身を委ね、心身を癒せていますか?
自分の周りにある景色を、清々しく整えていますか?
暮らしを支える基盤を、おろそかにしていませんか?
ひとりで過ごす時間を、豊かな喜びに変えられていますか?
自分を粗末に扱うような、悲しい癖を捨てられましたか?
孤独という一時の感情だけで、誰かの手を握ろうとしていませんか?
これは、愛し合う二人の間でも、全く同じことが言えるはずです。
実際、ある女性は「毎回、同じような恋の傷を負ってしまう」と、肩を落としていました。
彼女が恋に落ちるのは、いつも疲れ果て、暮らしが荒み、独りでいることが耐えられなくなった瞬間でした。
そこで私は、まず日々の暮らしを慈しみ、
かつての趣味を取り戻し、
心許せる友との語らいを楽しみ、
十分な休息を自分に与えるよう伝えました。
そうして心を十分に満たしたうえで、改めて相手を見つめる。
ただそれだけで、彼女が心惹かれる相手は劇的に変わったのです。
運命が好転したのではありません。彼女自身の「選ぶ基準」が、本来の輝きを取り戻しただけなのです。
あなた自身も、そうではありませんか。
ひどくお腹を空かせているときに買い物をすれば、本当は必要のないものまでカゴに入れてしまう。
心も、それと何も変わりません。
だから、誰かに愛されたいと願うときほど、
新しい誰かを探し回る前に、一度立ち止まってください。
「今の自分は、清々しく整った瞳で、目の前の人を見つめられていますか」。
愛される人とは、決して何ひとつ欠点のない完璧な人ではありません。
自分自身の暮らしを愛で、整えたうえで、共に歩む相手を真っ直ぐに選べる人なのです。
