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熱帯夜の街で~ショートストーリー【シロクマ文芸部】

(約1050字)


熱帯夜になるのかな。
駅に降りてそう思った。
この街は、今まで住んでいた街より暑いらしい。

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父親は東京出張のため不在。
決行は今日しかない。
DVシェルターの佐藤さんに、私と母の二人分のJRのきっぷを渡されて、最小限の荷物だけ持って最終電車に乗った。
目的地に着くと、現地のシェルターの矢口さんが迎えに来ていた。車で宿泊所まで送ってくれる。

私が小さい頃から、父親はよく母を殴っていた。
「お父さんはお仕事が大変でイライラしているのよ」と母は言ったが、私は子どもながらに、それでも殴るのはおかしい、間違っていると思った。
だから「やめてよ」と母の前に出た。するとやめるどころか私も殴られた。
母はずっと我慢していた。

ある日、街の図書館のトイレに小さなカードが置いてあった。
「心配ごと、話してみませんか」と書いてあり、LINEで何度かトークした。母や私が受けている暴力が「DV」ーードメスティックバイオレンスと呼ばれることを知り、逃げなければならないと思った。
DVシェルターの佐藤さんと会って話した。

「沙耶、あの子に言ったの?」
矢口さんの車の中で、知らない街並みを眺めている私に母が言った。
あの子。タツキのことだ。
同級生の男子で、ちょっとカッコよくて好きだった。
「ねえキスしよ?」と迫るとあわてるところが可笑しくて好きだった。
タツキの柔らかいほっぺにキスするのが好きだった。

父親が不在の時は家まで送ってくれたーー父親がいる時、私は何か適当な用事を作って、タツキが家まで来ないようにしていた。タツキは気づかなかったと思うけど。そういう鈍いところも好きだった。

「ううん、言わなかった」
「心配されるんじゃないの」
「そうかもしれないけど」
今日の放課後、タツキを縁日に誘った。誕生月だからと言って、風鈴を買ってもらった。音が鳴らないように、割れないようにタオルでぐるぐる巻きにして、荷物の一番上に入れた。

これから逃げるとは言えなかった。
可哀想な子だと思われたくなかった。
風鈴をねだったりキスを迫ったりする、困ったやんちゃな女子、という立ち位置でいいと思っていた。
でも、もう明日には、私たちがDVから逃げたことはバレるだろう。

タツキの柔らかいほっぺにキスするのが好きだった。
……くちびるも奪っちゃえばよかったかな。

「今夜も熱帯夜になりそうですよ」
矢口さんは宿泊所の前に車を停めながら言った。
「やっぱりこっちは暑いんですね」
「ええ。昼も夜も暑くて」

車から出ると、夜中なのにむっとする空気に包まれた。
この暑い街で新しい暮らしが始まる。


(終)

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#シロクマ文芸部 に参加しました。

今回は、前々回のお題「夜店から」で書いたこの物語のスピンオフです。

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【今日の画像】みんなのフォトギャラリーから。
「熱帯夜」で検索。
熱帯夜の都市だそうです。よく見たら湯気が出てました…

この物語はこちらのマガジンに収載しています。



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