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子どもの状態に振り回されない私になる


子どもを見ているようで、見ていたのは「私の不安」

子どもの調子がいい日は、私の心も軽くなる。
子どもが不安定な日は、私の心も沈んでいく。

不登校や引きこもりの渦中にいると、
そんなふうに、子どもの状態と一緒に揺れてしまうことありますよね。

「今日は大丈夫そう」
「今日はダメだった」

そのたびに、
希望と絶望を行ったり来たり。

当時の私は、
子どものために必死でした。

どう声をかければいいのか
どう関わればよくなるのか
何を間違えたのか

私は子どもを見ているようで、
実は 自分の不安 を見ていたのです。

「このままじゃダメになるんじゃないか」
「私の育て方が間違っていたんじゃないか」

その不安を、
子どもの状態を通して確認していたんです。


心の奥にあった、たったひとつの思い


あるとき、
自分の心を深く見つめる中で、
私はひとつの思いに気づきました。

それは、心のずっとずっと奥。

「役に立てない私は見捨てられる。
だから役に立たなくちゃ。
見捨てられるのが怖い」

言葉にした瞬間、
胸の奥がぎゅっと締めつけられるようでした。

外側に起きている出来事は、
自分の心を映し出す鏡。

その視点で見たとき、
息子の存在が、まったく違って見えてきました。


息子が演じてくれていた「役割」


息子は、
「見捨てないで」と思っている私を,
「役に立たなければ」と思っている私を、
役に立たせようとしてくる存在 になっていた。

見捨てないで、と心の奥で願っている私に、
見捨てられる恐怖を感じさせる役。

問題を起こす役。
距離を取る役。
不安にさせる役。

それは、
役に立って、見捨てられないように生きようとしていた私の
心の希望どおり でした。

気づいたとき、
なんとも言えない衝撃でした。

子どもが問題なのではなく、
私の心の奥にある「怖さ」を、
そのまま映し出してくれていただけだったんです。


空っぽの心では、愛は注げなかった


自分の心が空っぽなのに、
子どもに愛を注ぐことはできない。

「シャンパンタワーの法則」という言葉を、
耳にしたことがある方もいるかもしれません。

いちばん上のグラスが満たされて、
そのあふれた分が、下のグラスへと流れていく。

当時の私は、
自分のグラスが空っぽのまま、
必死に子どもに注ごうとしていました。

でもそれは、
愛ではなく「不安」だったんだと、
今なら分かります。


「だから」私は、振り回されなくなった


だから私は、
息子を変えようとするのをやめました。

その代わりに始めたのは、
自分の中にいる
「役に立たなければ価値がないと思っている私」
「見捨てられるのが怖い私」
に、気づいてあげること。

役に立たなくても、
何もできなくても、
私はここにいていい。

その感覚を、
少しずつ自分の中に育てていきました。

すると、子どもの状態が大きく変わらなくても、だんだんと、私の心は
前ほど揺れなくなっていったんです。
揺れても「あ、いまはこういう私なんだな」と俯瞰して見られるようになり、
戻れるようになっていきました。


振り回されない=冷たい、ではなかった


子どもの状態に振り回されない、というと
「距離を置くなんて冷たい」
「放っておくの?」
と思われるかもしれません。

でも、そうではなくて、

自分に戻ること。
自分の不安を、子どもに背負わせないこと。

それが結果的に、
いちばん子どもを尊重する関わりだったと、今は思います。


同じ場所で苦しんでいるあなたへ


もし今、
子どもの言動に心が揺さぶられて苦しいお母さんがいたら。

それは、あなたが弱いからでも、
母親失格だからでもありません。

あなたの心の奥の声が、
「気づいて」と
静かにサインを出しているだけかもしれません。

子どもを変える前に、
まずは自分の心に、そっと目を向けてみてください。

子どもの状態に振り回されない私になること…

それは、
親子のあいだに流れる空気が、
やわらいでいく最初の一歩です。




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