ネットフリックス「イクサガミ」レビュー──岡田准一の思考を読む、今までにない時代劇
この時代劇は、物語を見る作品ではなく、岡田准一の思考を読む作品だ。
正直に言う。
イクサガミは、万人向けではない。
分かりやすい勧善懲悪でもないし、
気持ちよくスカッとする成長物語でもない。
でも、
観る視点さえ合えば、かなり面白い。
この作品は
身体
個性
配置
映像
この4つの設計を楽しむ時代劇だ。
岡田准一の身体能力と、プロデュース視点
まず避けて通れないのが、岡田准一の身体。
速い、強い、キレがある。
そんな言葉では足りない。
重心の低さ
足運び
斬る直前の溜め
すべてが、実戦を想定した動きになっている。
殺陣が振り付けに見えない。
ここは本当に大きい。
さらに重要なのは、
岡田が「自分だけを強く見せよう」としていないこと。
相手の動き
倒れ方
恐怖の表情
そこまで含めて、一つの画面として設計している。
主演俳優というより、
プロデューサーの目線がはっきり見える。
なぜ岡田准一は、他の俳優を飲み込まないのか
岡田准一には、
周囲をすべて食ってしまえる力がある。
それでも、イクサガミではそうなっていない。
理由は単純だ。
構造を理解しているから。
自分が一番目立つことより、
相手の個性が一番立つ瞬間を作る。
勝ち方を固定しない
万能感を削る
不利な状況にも自分から入る
そうやって、
主役の強さを意図的にコントロールしている。
飲み込まないのではない。
制御している。
これは俳優というより、演出家に近い思考だ。
各キャラクターの「個性」の強さ
イクサガミの登場人物は、
強さのインフレで競っていない。
競っているのは、歪み方だ。
力に偏った人間
思想に取り憑かれた人間
殺しを娯楽として扱う人間
自分を正義だと疑わない人間
それぞれが、まったく違う個性を持っている。
だから戦闘が単調にならない。
勝敗より先に、
この相手はどう壊れるのか
を見てしまう。
一瞬だけ共感させて、
すぐに突き放す。
救済しない。
仲間にもならない。
個性として存在させて終わる。
この割り切りが、作品を甘くしない。
キャストの豪華さは「配置」で効いている
豪華キャスト作品にありがちな失敗は、
全員を目立たせようとすること。
イクサガミは違う。
この人はここまで
この役割で十分
この場面だけ光ればいい
そういう配置が徹底されている。
だから画面がうるさくならない。
岡田准一という中心軸もブレない。
豪華さを誇示しない勇気。
ここも、この作品の強さだ。
映像の見せ方と没入感
派手なCGは多くない。
代わりに使っているのは、
暗さ
血の色
間の取り方。
特に印象的なのは、
斬ったあとをすぐに切らないこと。
倒れきるまで
息が止まるまで
恐怖が顔に残るまで
ちゃんと見せる。
楽しくはない。
でも、忘れられない。
気づくと、
画面を外から見ていない。
町の暗さ
人の距離
空気の重さ
作りこまれた世界に、
観ている側が入り込んでしまう感覚がある。
岡田准一の「思考を読む」楽しさ
イクサガミの最大の魅力はここだ。
どう斬るかではない。
なぜ、今それを選ぶのか。
踏み込まない
待つ
あえて引く
その選択には、必ず理由がある。
岡田准一の動きを追っていると、
観ている側が考え始める。
これは、今までの時代劇には
あまりなかった感覚だ。
日本時代劇が、変われなかった理由
日本の時代劇は、能力がなかったわけではない。
型を守ることが、目的になっていた。
主役を守りすぎた。
暴力を様式美に閉じ込めた。
観客を信用しなかった。
説明しすぎて、
考える余白を奪ってきた。
その結果、
安心はあるが、緊張感がなくなった。
イクサガミが示した変化
イクサガミは、これをすべて逆にやっている。
型に寄りかからない
主役を安全圏に置かない
暴力を怖いまま出す
説明しない
観る側を信じている。
だから、合わない人も出る。
でも、刺さる人には深く刺さる。
総評
イクサガミは、
物語を消費する作品ではない。
思考を読む。
空気を読む。
世界に入る。
そういう見方を要求してくる、
かなり挑戦的な時代劇だ。
そしてその中心にいるのが、岡田准一。
ネットフリックスだからこそ生まれた、
今までにない日本時代劇。
そう言っていい。
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