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2025年1〜3月を振り返る ・ 映画版

 
それでは2025年もやっていきます、今年1〜3月に見た映画の感想です。並びは観た順。
観たこと前提でネタを割っているので、未見の方は読まれる際にご注意ください。
今までの他映画感想はこちら↓から。




『花嫁はどこへ?』(原題:Laapataa Ladies)

2回目。
1回目の感想はこちら
日本アカデミー外国映画優秀賞おめでとうございます!
さすがにこの布陣で最優秀賞はムリだったけれど、本当に嬉しい。
権利関係どうこうある様子ですが、なにとぞ円盤化を……それが無理ならNHKかWOWOWでノーカットCM無し放送を……!



『KALKI 2898-AD』(原題:Kalki 2898 AD)

マニ車砲……!(笑)
パワーすごそう。くらったら調伏されてしまうのね。

「有史以来『大義』は大勢の人を殺してきた」
うん、そうなのよ、そうなのよね……なかなかこれは、苦しいわ。シャンバラの人達に「大義」があるように、シャンバラに攻め込む兵士達にも彼等なりの「大義」があるのだろうから。
上の人間の「大義」の為に、末端の人達が殺し合わねばならんのはキツいよね。

基本の話そのものは普通に面白いんですけども、「映画」としてはちょっとどうかなとも思った。
神々の話、シャンバラVSコンプレックスの話、プロジェクトKの話、バイラヴァの話、と複数の筋があって、だんだん絡んで1本の物語になっていく訳だけど、構成と言うか見せ方と言うか整理の仕方と言うか、その辺りをもう少しどうにかできたんじゃないかしらと。それぞれの話は凄く面白いので、繋がりをもう少し工夫してくれたらもっと面白くなったんじゃないかと思いました。

特に「産める女」を探す輩から女の子が逃げて、追い詰められたところでシーンがぱっと切り替わってカプセルで目覚めるディーピカが映った場面、ここ自分は「ああ、あの女の子が捕まって大きくなってディーピカになったんだな、じゃああれから10数年後くらいなんだな」と理解してしまった。しばらく見てて自分の間違いに気づきましたが、あの繋げ方ではこう勘違いする人は多分自分以外にもいたんじゃないかなあ。
あとあまりに「母体礼賛」的なところもうっすらと気になったかな。

それにしても今回はアミターブ・バッチャンが格好良すぎて、さすがのプラバースもちょっとかすみますね……なんだこの動ける78歳(撮影当時)。すごすぎる。
ラージャマウリ監督がノリノリで爆笑しました。「次は10年!」イヤちょっと待て(笑)。

カイラが涙なくしては見られなかった……あのフラグ立てまくりの姿に「あーこれきっとどっちかが死ぬな」と覚悟してはいたんですが。「カイラが幸運を運んでくるよ!」泣ける。
しかしあのロン毛め……まだ生きてやがったとは……。

ロキシーが結構好きなんですが、あの後一体どうなってしまったのか。バイラヴァ、キミちょっと迷惑すぎるよ、と思いましたがお着替えしまくりつつはしゃぎ回るロキシーの姿に「これじゃしょーがないか」と思いました(笑)。2でも出てきてほしいな。

しかしさすがにいくら何でも、ここ最近の日本公開インド映画は「続き」系が多すぎないですか……しかも「続きもの」であることを公式ですら大っぴらに言わない。見る側が事前調査しなければ見るまで「続きがある」と判らない。それは本当にどうかと思う。
「多少の裏切りがあってもまあしょうがない、インド映画だし」て思える自分みたいなタイプならいいんですが、「インド映画は『RRR』や『バーフバリ』が初めて」なんて方達が「わーいインド映画だ!」て出かけていって、「え、コレ終わってないの……ええ、こっちの映画も??」なんてのが続いたら愛想尽かしちゃうかもしれないじゃないですか。
そりゃ「この一本で終わってない、続きがあるよ」なんて事前に言ってたら鑑賞人数減っちゃうでしょうから気持ちは判らんでもないですが、あんまり観客に対して不誠実なことを続けていたら、せっかくの今のインド映画の流行が萎んでしまいそうです。



『エマニュエル』(原題:Emmanuelle)

本家『エマニエル夫人』(日本公開1974年)は大人になってからテレビで見た。それをノエミ・メルランが演じると聞いて行くしかあるまい、と即決断。オヤジハート炸裂であります。

そしたら話の筋も設定も全然違った。いや、筋が違う、というのは事前に情報を聞いていたけど、もはや「夫人」ですらないとは思わなかった(笑)。
しかし、どうなんでしょうね、若い、美人、金持ち、積極的にワンナイト、世界中あちこち巡るお仕事(つまり関係持っても後腐れがない)、とどめに人妻ですらない。公私共に、いわゆる「枷」というものが何ひとつない生き方。
なんかコレで「欲求が満たされないの!」言われても、うん、まあそれはそう、下を見てもキリが無いように上を見たってキリが無い、それはそうなんだけど、正直「ふうん、それで?」とちょっぴり思ってしまう庶民の自分。

勿論、お金持ちにはお金持ちの閉塞があると思うし、何もかもが満たされていておかしくない筈の環境なのに体内に大きなうつろがある、というのも判る。実のところそういう設定は大好物。それなのにどうにも「ふーん」な気分で終始してしまったのは何故。

思うにひとつは、「西洋から見た東洋の謎感」が全面に出過ぎてるところか。微妙な見下し含めて。
前期の『不思議の国のシドニ』(感想こちら)でも書きましたが、フランス人は東洋、特に日本の国へのおとぎ感を持ちすぎじゃないかしら。謎めいてて神秘があって禅的で、西洋人の持つ閉塞感や焦燥感をすーっとなだめる謎の精神性を持っている、そんな夢まぼろしを抱いてる感じ。

それからもうひとつは、「欲求の解放」に向かっていく道のりで主人公が「権威への抵抗」「権威からの脱却」を行う訳ですが、これがどっちも「えー……?」て感じるものだったこと。
あれがね、本当にマーゴが何ひとつやらかしてない、ホテルのこともゲストのことも真摯に考え対応している支配人だったらいいんですよ。それならばそんな人を、ちょっとの業績不振で追い出そうとは資本家の横暴だ、許せん、辞めてやる、となっても「そうだそうだ、悪いのは上のヤツ等だ」と思える。

でもマーゴって正直あかんくないですか……香港なんて台風直撃コース上にある土地な訳ですよ。台風の被害がどれだけ強烈か、てそれこそ日本の人達は全員知ってる。
そんなところで本館と繋がった箇所を改装工事するのに、上はシートでちょこっと覆っただけ。工事やってるのは土地の業者でしょうから、「これじゃムリ」「強風くれば吹っ飛ぶし、大雨降れば本館に流れ込む」て事前に指摘してると思うんですよ。不備があったらそれこそ自分達に責任くるんだし。それなのにシート1枚、てのは、「そこまでじゃないでしょ」てマーゴ含めた現地の経営側がタカをくくった可能性が大だと思う。

更には売春黙認。
まあこれも正直、東洋人差別がちらつくけれども、問題はそこよりも「屋外の外から丸見えの小屋でやらせてる」こと。イヤこれ、家族連れでプール来た子供が庭駆け回ってたら普通に目撃しちゃうじゃないですか……非常にまずいでしょうよ……どうしても「売春はホテルにとって必要悪」なのなら、せめて部屋でやらせなはれよ……。
この2点だけでマーゴが支配人として問題アリアリだと判るのに、「粗探ししてでも評価を落とせ」と言う上の人間に「彼女は完璧」て回答して、それが通りそうにないと「そんな間違った方針にはつきあってられない」て辞職しちゃうエマニュエルにどん引き。おかしいのはあなたの評価の方ですよ。

そもそもエマニュエル、この規模のホテルチェーンでこんな立場で働けてる、てだけで、辞職したところで他でいくらでも再就職できるのは目に見えてるので、「すべてを捨てた」感はゼロ。この為、監督がおそらく意図したであろうラストの「裸一貫、背負ったものをすべて脱ぎ捨てホテルを出ていき明日の行き先も判らない、けれど本当の自由を得て初めて掴み取れる真の快楽と愛」て提示もピンとこない。
そんな訳で全体的にどうも納得いかん仕上がりでした。わたしそもそも、監督前作の『あのこと』が正直ダメだったのよなあ(wowowで見ました)。「映画」としてとてもよく出来ているけれど、「お話」が微妙で。

……だが確かにノエミ・メルランの脱ぎっぷりは本当に思い切りが良かった……!
映画見た後で知ったんですが、これ最初にオファーいったのレア・セドゥだったんだとか。うん、確かに今の売れっ子女優で「ここまで脱いでここまでやってくれる人」を探そうと思ったら真っ先にレア・セドゥが思い浮かぶわ(笑)。
でも一度は受けたのに降りたのか。さもありなん。正直魅力あるキャラではないものな。さすがセドゥ、脱げれば何でもいい訳じゃないのね。


『ドリーム・シナリオ』(原題:Dream Scenario)

https://klockworx-v.com/dream-scenario

ニコラス・ケイジが突然凶暴さを振りかざす姿は本当に最高だな……!

本当なら全くの「不条理もの」なのに、見ていて既視感と言うか、「ああ、あるよね今コレ普通に」と思ってしまう。ネットで突然バズって褒め称えられて、なのにその頂点のところで「でもコレってこういう意味でどうなの?」みたいな意見がちらっと出てきた瞬間、すべてがパタパタと裏返って非難一色に変わる。一番中心にいる筈の当の本人を放って、周囲だけが勝手に黒だ白だと言い放つ。

その理不尽を一身に受けるニコラス・ケイジが大変にハマり役。こんなにも「スターのオーラ」を消し去れるスターってそうそう他にいないんじゃないかしら(笑)。この役の姿でその辺歩き回ってても、絶対気がつける気がしません。

自分はまさにこの「ネット、特にSNS上におけるバズりと炎上の手のひら返しをかたちにした寓話」と受け取ったので、画面で起きるいろんなことも「ああ、あるあるだな」と思って見てました。「勝手に理想だと思って勝手に裏切られた気になる」とか、「どう見たって理不尽なのに、数の力で『相手を差別し排除することが正当』になってしまう様相」とか。
「インターネットで叩く・叩かれるというのは往々にしてこういうことに近いんだよ」と子供に教育として見せてもいいくらいだと思いました。まあちょっとエロシーンがあるのと、それにも増してあの凶暴ニコラスはまさに子供の悪夢、トラウマになるレベルに怖いのでそこがちょっとためらう要素ではありますが(笑)。

ラストの謎の夢デバイス、あれほんとに「相手の夢」に出てるんですかね? 「これは相手の夢の中の出来事だ」と使用主が勝手に思い込んじゃってるだけな気もしなくもない。だがそうなるとラストの教授が哀しすぎてなぁ……本当にいい夫婦に見えただけに、切ないわ。


『籠の中の乙女』(原題:Dogtooth)

パパ歌上手いな……?

公開当時、行こう行こうと思いつつうっかり逃してしまってそれっきり。何故か自分が行ける範囲の映画館でリバイバルされたりもしなかったので、今回本当に嬉しいです。
「いつか見よう」とは思っていたので、あらすじとか他の人の感想とかをできるだけ見ずにすごしてきて、知っているのはあの有名な女子二人が並んだ構図だけだったので、この度の初見で本当に驚きました。「男子もいる……!」(笑)。

ランティモスはこれと『ロブスター』『女王陛下のお気に入り』『哀れなるものたち』(感想こちら)『憐れみの3章』(感想こちら)を見ているのですが、徹底して「鳥籠のような世界に閉じ込められた人達の話」を描いているように思いました。『哀れなるものたち』は一瞬逃れたように見えたけど、結局戻ってきちゃったし。

心身ともに完全制圧されてる子供の話ではあるんですが、だんだんとあまり細かい描写の無い「お母さん」が気になってきました。この人、父親や子供達以上に何を考えてるんだか全く判らない。日々をどうすごしているのかもよく判らない。かなりこわい。
子供は生まれた時点からああ育ってる訳だから、ああなるのもそりゃそうだ、て話じゃないですか。でもお母さんはそうじゃない訳で。結婚してすぐや、一番上の子が生まれた頃なんかはお母さん側の両親だってまだ健在だろうに、そことは一体どうなっているのか。
何の不満も疑問も無いのか。万一あるとするなら、どうやってそれを封じ込めているのか。一種の「宗教空間」であるこの場所で、一体どんな風に「信者」となっていったのか。やはりこわい。

「犬歯が抜けたら外に出られる」なんて悲しい……。
じっと静止した車のトランクの不穏さたるや。

ちなみに2000年だったか、大阪の泉南で子供5人が餓死した、て事件がありまして。
それが驚くことに、この「子供」、もう全然「子供」じゃないんですよ。一番上は四十代で、一番下でさえアラサーレベル。
母親は六十代で、離婚したのか死別かは知りませんが夫はおらず、実の兄と同居していて、自分達兄妹だけの「宗教」を信仰しており、子供達は全員、中学卒業以降ずーっと家の中で暮らしていたのだとか。全員無職で、継いだ土地や財産を売ったりして食いつないでいたそうですが、とうとう食べるものが尽きて餓死に至った、という話(順当に考えたら先に餓死するのって年寄り二人だと思うので、多分自分達は食べてたんだろうなぁ……)。
家をしっかり囲って窓もつぶして、「外に出るな」と命じていたそうですが、それにしたって、中学まで外の世界を見てきてそんな命令に従えるものなのか……餓死するまで食べない、なんて状況にも耐えられるのか。
ニュース見た時にあまりにも異常で忘れられない事件だったのですが、その直前に麻耶雄嵩・『木製の王子』を読んでおり、今またこの映画を見て「まさにあれだ」と思いました。むしろ異様さとしては大阪の方が上かも。
どんなに頑張っても事実はフィクションを軽々と越えていくのだな……。



『デリカテッセン』(原題:Delicatessen)

イヤそれを食べる前にまずレンズ豆を食べようよ……! 物足りないかもしれないけどタンパク質は取れるんだから……!!


そんな訳で1991年公開時に見て以来です。イヤもうあらためて大好きだ、ジュネ&キャロ。この次の『ロスト・チルドレン』もたまらなく好きです。できたらずっと組んで監督してほしかった。
YouTubeで見たジュネ監督のレストア公開記念コメントでは、別に仲悪くなってやめた、て感じには見えなかったので、またいつか組んで長編をつくってほしいなー。


そしてドミニク・ピノンが大好きだ……『ディーバ』はリアルタイムでは見てないので多分これが人生初ピノンだと思うんですが、本当に本当に好きだ……!
このくしゃ顔。存在感のあるアゴ。見惚れる程美しいブルー・アイズ。愛嬌と偏屈と哀愁とが絶妙な絡み具合であふれ出す表情と体の動き。好き。

いろいろなことを忘れていたけど、あらためて見たら結構ホラー味があった。撮り方がホラー。
話自体も、よくよく思えば殺人&人肉食と、結構なことをやっているのに何故かほのぼのと見られるのは何故。
やっぱり各所に散りばめられたコミカルでキュートなシーンが連発するところかな。肉屋の主人のハッスルタイムに各部屋の物音が絡まり合ってリズムを刻むところとか、ベッドの壊れたスプリングをぎしぎし鳴らしてチェックするところとか、お婆ちゃんが編んでる先からほどかれてく毛糸とか。

そして主役カップルのかわいさ。特にジュリーのあいらしさは天元突破している……メガネ外して部屋での動きのリハーサルやるところが最高に好き。いいんだよメガネ、まあ勿論なくてもかわいいけども、メガネ装着時のかわいさがまたズバ抜けてるんだからキミは。
レストア版Blu-ray出ないかな。買います。

Tika Tika Walkの曲が本当にかわいい。大好き。小粒にはじけるメロディーの奥で、夢のように鳴っているマリンバ?らしき音がすごく良い。
こちら↓は吹奏楽アレンジカバーなのでマリンバの音は入ってないですが、雰囲気だけでも……。

勿論サントラ持ってますよ!(右はジュネ&キャロの次作『ロスト・チルドレン』)

あー懐かしー……。



『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(原題:La habitacion de al lado)

映画を見終わって外に出ると、雪……。

なんという素敵な偶然か。京都市中心部って、市外の人のイメージとは違って冬に雪が降るなんてほんの数回、しかも夜や早朝ではなく日中に降ってるなんて本当に珍しいことなんですよ。感激だ。


そんな訳でアルモドバルはやっぱりいいな。女同士の友情を描かせたら右に出る者はいないんじゃないか。ご本人は男性なのに。
人生の中で最も盛り上がっていて生気に満ち満ちていて、公私共にばちばちに輝いていた、そういう時期を戦友のようにすごした相手との生涯にわたる友情。長いこと疎遠であっても、相手が「本当に苦しんでいて助けを求めている」のであれば、何をおいても力になることを厭わない。これはお互いが歳を重ねてこそ、だと思うんですよ。素敵だな。

……と言いつつも、非常に素晴らしい映画で本当に大好きなんだけれども、1月頭に見た『エマニュエル』が「結局金持ちの贅沢よね……」と思ってしまったのが残っていたせいか、「でもコレできるのって二人が共に有り余る程にお金があって、面倒をみなくちゃいけない家族もいなくて、時間に融通もきくお仕事だからよね」とちょっぴり思ってしまいました。
末期の癌に見舞われて、自分の先行きがもうはっきりしてる、そんな時にこういう方法を選べる人は世の中にほんのひと握りもいないのよ。終のすみかの為だけに素敵なリゾート物件買うとかさ。たとえいくらお金があっても、時間の余裕が無かったり、介護しなくちゃならない家族がいる(ヘルパーはお金で雇えても「傍にいたい」て気持ちは当然ある訳だし)人も大勢いるし。

でもまあだからこそ、これは素敵で美しく切ないおとぎ話だとも言える。こんな風に最期を迎えられるなんて夢のようだよね。お金の心配一切しなくていいのは勿論、後に起こる面倒含めて、全部をひっかぶってくれる覚悟のある理解者が傍にいてくれて。

でもホント、冷静に考えてみるとむちゃくちゃなこと頼んでるぞ貴様、と思うんだけど、ティルダ姐さんの口から言われると「それもアリかも」と思ってしまうこの説得力(笑)。まさか娘となって再び現れるとは思いもしなかったのでびっくりしました。でも全然違和感が無いな。
まあ母の時にはそれなりの老け・やつれメイクをしていたんでしょうけど、何と言うか、娘の時には人生に対してまだ初々しさ感が残ってる雰囲気があるんですよね。かなり若い時期に産んでるっぽい設定なので、そうは言ってもこの「娘」も四十代後半くらいにはなってるんでしょうが。役者さんって本当に凄いな。

……しかし本当にアルモドバルの映画は色彩が素敵。都会を離れて田舎のおうちに行って、森の緑や空の青さに囲まれながら、バリバリ原色のインテリアや洋服を着こなす姿がお洒落過ぎて。
なんか日本人だと、ここまで自分の心身が弱ってる時にこんなに強い色彩に囲まれてると更にまいっちゃうか、逆にやたら元気になってもう全然死ぬ気配が消え失せちゃうかしそうなんだけど、色を使いこなして自身が全然引っ張られないところが何とも言えない。西洋人タフだな。


『ステラ ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女』(原題:Stella. Ein Leben.)

何度か外を歩くシーンがあるんですよ。その度に、空を見るまなざしが変わっていく。
特に明るい青空の下、楽しそうな人々の中で自分だけが怯え切ったまなざしをしている姿と、同胞を「売る」ようになって、「ああ、もう自分は自由にこの空の下を歩いていいんだ」と気づいて瞳が輝き出す姿が何とも苦しく切ない。

追い詰められて痛めつけられて両親の安全を盾にとられて、そりゃもうどうしようもない、仕方がない状況ではあるんですが、この人ところどころで本当に「タフ」で、メンタルがぎっちぎちに強くて、一種の「覚悟」、開き直りがガンギマリに決まっている。それが顔つきやメイクや服装や姿勢の良さや身のこなしからはっきり見てとれるのが凄い。
観客側に、単純に「仕方なかった、彼女も一種の被害者だ」とは思わせず、けれど「ただのナチスの手下だ」と言い切ることもできない、重ね合わせの存在であることを見事に見せている。上手すぎるな、パウラ・ベーア。

そんな彼女の周囲に、「自らを顧みず善意で動く人々」が散りばめられているのも興味深い。母娘に摘発があることを教えて逃す監視兵、自分だけ逃げ出そうとはせずベルリンに残り続けて偽の身分証を作り続けるユダヤ人、発覚すれば自分達も収容所送りと承知の上で自宅にユダヤ人を匿うドイツ人、逃げ出そうとするステラを見逃す歯医者。

しかしこの人、終戦直後によく無事でいられたな、と思ったらその時には既にベルリンから逃亡してたんですね。
しかもその後、ソ連軍に捕まった際に「自分はホロコーストの被害者だ」と言って逃れようとしたんだとか。でも、それなら、と連れていかれたのがベルリンのユダヤ人共同体事務所だった為、一瞬でバレて暴行されそうになったのを事務所の人が止めてくれたそうです。何という良識者か。それでも髪は切らせることは許可したそうだけど。
と聞くと「髪切っただけか」て思われそうですが、終戦直後のフランスで、ドイツ人と寝てたフランス人女性が群衆に引っ立てられて髪を丸刈りにされたりしてる映像が残っているけど、ああいう感じだったんじゃないかな。まあステラの行いを鑑みたらそれで済ませてくれたのが奇跡ですが……。

映画の最後にも出てくる裁判、あの間もずっと「自分がこんな風に罪に問われるのはユダヤ人の陰謀」と言ってたそうで、原作にあたる『密告者ステラ』を書いたピーター・ワイデン(ステラの学友)が本の為に取材に行った時も、「自分はナチスに嘘をついていた、密告などしていない」「自分も犠牲者だ」みたいなことを言っていたのだとか。
キリスト教に改宗し反ユダヤ主義を語っていたそうで、捕まる前に産んで里親に預けていた娘(映画に出てきた2人目の旦那の子ではなく別の彼氏との子だそうな)は、釈放後にステラが取り戻したくて起こした裁判で自分の出自を知って衝撃を受け、ステラの元には戻らず絶縁したそうです。

戦後に彼女を取材したワイデンは、「彼女は自分でつくった石壁の中にいる」と言ったそうで。
けれど、どれだけ口で「やってない」「自分も被害者だ」と言っても、漏れ出してしまうものが何かしらあったのだろうな。そうでなければ自ら死を選んだりはしないだろう。自ら築いた石垣の中には、自分以外誰もいない。



『土曜日の男』(原題:Saripodhaa Sanivaaram)

地元にこんな兄弟がいたらイヤだ……!
卒業して就職した先にあんな上司いたら絶望ですよね。一瞬で退職するわ。

怒りをコントロールできない子供に、「ノートにつけて一週間考えなさい」て結構良い教育だと思うんですよ。あそこまで暴れん坊な息子じゃなければ(笑)。
お母さん、もう少し長生きしてくれたら真っ当に教育仕上げられただろうになぁ……。
夜中0時ジャストに「ハイ土曜終了だから暴力終了、……あっ、時計狂ってたからあと10分拳ふるってヨシだ、オッケー殴るよ!」て、お母さんそんなつもりで「一週間待て」て言った訳じゃないと思うよスーリヤ(笑笑)。
お父さんはちょっとこう、ところどころ微妙でした。なんであの状況でクスリ盛っちゃうよ……。

ワル兄弟の兄役のムラリ・シャルマが凄まじい怪演っぷりでした。弟役のS・J・スーリヤもかなりの性格俳優っぷりなんだけど、兄貴のヤバさ度が天を突き抜けててすっかり食われてる。
ムラリ・シャルマ、この人が主人公サイドで出てくると、「最後まで善の側」なのか「実は裏切り者」なのか全く予測がつかなくてすごいね。普通は読めるもんだと思うけど。独特の存在感だ。
しかしお兄ちゃん、アナタ毎回判断ミスるって認識があるんだから、何かを決める際には選ばなかった方の答えも一度は調査してから決断しなはれ(笑)。

主演のナーニ、『マッキー』しか見てないですが、甘さと苦さが入り混じった感じのインドハンサム。これからどんどん日本でも人気が出そうな感じ。
キャル役のプリヤンカー・モーハンが知的さとキュートさを兼ね備えた素敵な雰囲気。でも何せ上司がアレなんで(笑)、始終ストレス抱えてびくびくしたシーンが多くて何ともお気の毒であった。



『SKINAMARINK/スキナマリンク』

……イヤ、トイレは消さないでくれまいか!? ドアや窓が無いよりソレ困るよね!??

逆に「ホラーが気にはなるけどどうしても怖くて避けちゃう」て人に見せたらいいのでは、と見終わった瞬間に思いました。
と言うのもね、ぶっちゃけ飽きちゃうんですよ……これ多分、30分だったらむちゃコワかったしむちゃ満足して終われたと思うんです。でも1時間40分ずーっとコレ見せられてもさぁ……。

とは言えところどころに「いい加減同じだと思ってる? 安心し過ぎ、ほらコレ怖いでしょ!」的ショットが差し込まれはするんですが、いかんせんそこまでの間が同じで長すぎて、せっかくのそれも「あーハイハイ」て受け止めになってしまうんですよ。
まあ、これは多分に自分側がホラーに馴染み過ぎなせいと、単純に年取ってだらだらした展開に集中力を長続きさせられなくなってるのも一因だとは思いますけども。

だから「ホラーに挑戦してみたいけど怖すぎるのはムリ」な人に見せたら、最初は真剣に怖がってくれても、その内だんだん、チベットスナギツネみたいな顔になって最後は悟りを得た僧侶のように劇場を出られるのではないかと。
まあ違う意味で「ホラーはもう二度と見ない」となる可能性も無きにしも非ずですが、いわゆる「ホラー映画の怖い演出」には慣れてくれるんじゃないかしら。

後でパンフ見て知ったんですが、もともとYouTubeでも発表している短編『Heck』が元なんだそうですね。こちらはまさに30分。なお、自分は未見です。

こっちを先に見たかったなー。そしたらもんのすごく楽しめたと思うけど、1時間40分アレを見た後にこの30分を見る気力は自分にはなかった。もう何ヶ月かしてこの疲労感の記憶が薄れたらチャレンジしてみます。

映画始まって割とすぐに「あーここに出てくる人全員死んでるな」て判るし、「親に虐待されてたな」てのも判るし。
その辺の設定や屋内にいつまでも囚われてる状態で朝も来ないのは『アザーズ』を思い起こさせるし、窓や扉が消えたり間取りが妙なのは小説『紙葉の家』を連想させる。つまりは「これヨソでもう見た」感があるんですよ。
短編だったらそれでも充分なんだけど、長編にするならもっと芯のところのアイデアや設定を固めてこの演出に乗せた方が良かったのでは。雰囲気こわいだけで見るには長すぎるのよ、1時間40分は。

そもそもチラシの表面だけ見た時点では全くアンテナにひっかかってなくて、他の映画に行った時に予告を見て「見よう!」と決めたんですよ。つまりそれくらいに大好物な映像だった訳ですよ。

この目線の低さとか、闇のもやもや感とか、子供の囁き声とか、不穏さに満ち満ちていて最高ですよね……! それなのに映画を見た今となっては、最後のTV画面のアニメ繰り返しの音だけでちょっとイラっときてしまう始末(笑)。

……それにしても「1995年」て設定にしては何もかもが古いと思いました(笑)。特に映画の冒頭のクレジット、あの雰囲気はどう見ても60年代や70年代の映画だよ。



『ジェイラー』(原題:JAILER)

インドのティッシュペーパーには「ORIGAMI」てメーカーがあるのか……!
これは日本の「折り紙」がネーミング起源だと思っていいのかな? 何だかちょっと嬉しい。

ラストバトルでムトゥ奥さんと息子嫁に折り紙ティッシュ差し出すナラシンハ(シヴァ・ラージクマール)がヤバいくらいにカッコ良くて激シブで一発惚れしました。スナイパーやってるキショールもすんごいカッコ良くないですか……? こんな人にならハートを撃ち抜かれてもいい。

久しぶりにスクリーンで見る「SUPER STAR RAJNI」サウンドロゴにテンションがダダ上がり。ついつい手拍子しそうになるのをこらえるのに必死でした。落ち着け自分、今日はマサラ上映じゃない。
スーパースターラジニロゴ、いろんな種類があるんですが、今回は一番オーソドックスな最初のヤツだった。自分もこれが一番好きだな。

タミル映画によくある「間抜けで口うるさいけど何故かいつも主役の横にいる相棒」が今回もいて、しかもそれがヨーギ・バーブでなごみました。好きだなあこの役回り。
パンフレットが大変良かった。地図と顔写真でキャラ紹介されてるページ最高です。それにしてもてつのすけさん、今やすっかり「日本におけるラジニの第一人者」ですね。梅田の「ラジニ売店」が懐かしい……(笑)。

それにしてもラジニ映画を何本か見てきて思うのは、つくづくインド、特にタミル人がどれだけラジニカーントを敬愛しているかということ。本当にもう聖人扱いだし、たとえギャング役でもとにかく「良い人」だし、実年齢より遥かに若々しいメイクで若い女性と恋しちゃうし。
以前に『PS1&2』の感想でも書きましたが(こちらの記事)、作品内の悪役をやりたい、とラジニ直々に監督に依頼があったのを、「観客のあなたへのイメージを大事にしたいから」的な理由で断っちゃったんだそうで。すごくもったいない。
昔『チャンドラムキ』て映画で、「主人公に瓜二つの昔の悪い王様エピソード」が出てきたんですよ。勿論演じるのはラジニな訳ですが、大変短いシーンなのにもんのすごくイキイキしてて楽しそうで、むちゃむちゃハマってた。ほんとはもっと、いろんな幅のある役柄をやりたいんだろうなあ、こんなに上手いのになぁ、とちょっとお気の毒に感じました。

それでも近年はだいぶ変わってきて、実年齢に近い役や、グレーヘアでの出演なんかも多くなってきて、今回のコレですよ。いいわあ。
何と言ってもあの高笑い。イヤもう恐ろしすぎ&哀しすぎじゃないですか……?
更にはタイガーの命で皆が馳せ参じて臨むバトル、カッコ良すぎですね……!
さすがに年齢が年齢なので、昔のようなアクションはできないよね、どうするのか、と思っていたらコレですよ。激しい暴れは周囲に任せ、当人はごく最小限の動きで、だが確実に敵を殺っていく。これ、やたら飛んだり跳ねたりせわしなく戦うより、ずっと大御所感があってカッコ良くてスタイリッシュで痺れました。

そして今回特筆すべきは、『パダヤッパ』にて、公開当時、日本インド映画界隈をガッチガチに盛り上げたあの「……なんてことをこのニーランバリが言うと思って?」の一言を産んだ悪の華、ラジニと対等に渡り合う強烈な悪役・ニーランバリを演じたラムヤ・クリシュナがラジニの妻役で共演なさってることではないでしょうか!
「パダヤッパとニーランバリが夫婦になる世界線がここに……!?」とまたも界隈が盛り上がりました。
できればもっといちゃいちゃしてるところが見たかったなぁ……今回、映画が大人気だったので続編も制作が決まったそうなんですが、正直今作であんなことになっちゃってるとあまりそういうほのぼの場面は見られそうにないし、もし見られても「でもアナタ彼女が腹痛めて産んだ息子ヤっちゃってるよね……」と何とも複雑な気持ちになりそうです。まあインド映画そういうの(結構なコトやっちゃっても当のキャラも周囲もあんまり気にしてない)多いけどさあ。

しかしここが夫婦で息子も既に結婚してて、だとラブダンス無しか、と思っていたらああいう出し方で、成程、と感心しました。
タマンナー、爆弾ボディのダンスが何とも言えず良い。映画スターさんのひとり空回りがちょっぴりお気の毒であった(笑)。

だがまあ息子はまさに当人の自業自得であるのだが、過去の収容所シーンで耳切られちゃった老人はいくら何でもとばっちり過ぎるんじゃないでしょうかムトゥ・パンディヤンさん(笑)。割と正しい抗議だと思うんですがアレは。

そうそう、これを書くにあたりトップにURL貼る為に公式サイト出したら、
「『ジェイラー』の上映時間に誤りがありました。
 〈誤〉168分 〈正〉163分
 訂正してお詫び申し上げます。」
てあってちょっと笑った。厳格。
この長さで5分差とか、もう誤差のレベルよね……。



『ジガルタンダ』(原題:Jigarthanda)

日本のポルノ映画はインド人にも受けるのね(笑)。

それにしてもこの映画を見て、セードゥを好きになれる人はいてもカールティクを好きになれる人ってほぼいないんじゃ……? と思ってしまいましたが、皆様いかがでありましたでしょうか?
「友達になろうよ」イヤちょっと待てや!!!!!
えっ、ちょっと、何と言うか、クズ過ぎじゃないですかこのムーブ?? アレのやり返しに人殺しギャングとの結婚押しつける、って。そもそもアンタのクズムーブがあって、それにちょっとつねり返した程度のことに対して「結婚」ってさあ!???(しかも相手は自分に惚れてる)
ほんま何なんコイツ、クズの癖にこんなキラキラ澄んだ目ぇしよってからに……!(笑)

本当に、カヤルとウーラニはコイツに裏拳かましてもいいくらいじゃないでしょうか。全体的に、自分が世話になってる人に対しての態度がひどすぎる(まあ「なんで居候がこんなに図々しいん……?」てのはインド映画あるあるではあるのですが)。初めての子供が産まれる人をこんな事態に巻き込んでええと思ってんのかカールティク。

とは言えそのウーラニも含め、二人共に、撮影している間のセードゥ達の暴力行為を一切スルーなのがキツい。最初に噂で聞いてたり盗聴で音だけ聞いてる時にはかなり怖がってるのに、リミッターがどんどん上がっていってすっかりゼロになってしまうのが本当に恐ろしい。
感覚が麻痺していくのと、自分が「カメラのこっち側」にいることで、その向こうにあるものをすべて「撮影対象」としてしか見なさなくなっていくのが大きな理由なんだろうな。すぐ目の前にいるのに、カメラ一台あるだけで「他人事」となる恐ろしさ。

カメラの向こう側とこちら側が分けた二人の男の行く先の違いや。自分のふるまいをコケにされ嘲笑われて怒髪天に達し、けれどもそれを大笑いして目を輝かせて受け入れる人々の姿にこころを動かされる。ここ、『ジガルタンダ・ダブルX』(感想こちら)で村人達に感謝されるシーザーの姿を思い出し、ぐっときてしまいました。
あと、ダブルXでもそうですが、今回は演技指導の先生のような、「暴力に物おじせず自らのプロ魂を貫く人」に一定の敬意を払うところも好きです。
まあとは言え、本来ならば殺人や暴行の罪で刑務所に行くべき人なんで、ナニのんきにマニラトナム言うとんじゃい、とは思いますが……(笑)。
自分が殺ってしまった部下の妻と再婚してるのもヤクザ的義侠みを感じた。まあ奥さんや娘ちゃんが真相知ったらヤバいですが。ここがくっつく展開、ラジニの『ダラパティ』を思い起こさせられました。

そして拳を捨てて「演技」で人のこころを動かすことを選んだセードゥ、裏腹に拳で人のこころをどうにかしようとする道を選んだカールティク、その二人が共に目指すのが「映画」と等しいものであるのも何とも言えず皮肉だわ。
映らなかったから何とも言えませんけども、これ「妻」てカヤルじゃない可能性もあるよなあ、と思ってしまった。だって本当にカヤルに対して「女」としての興味ゼロでしたもんね、カールティク。

それにしてもすごい監督だわカールティク・スッバラージ。『ペーッタ』見逃したのが悔やまれる。
監督特集上映とかしてくれないかなー。
ヴィジャイ・セードゥパティ、途中で「えっ、アレ? 出てきた? 出てきたよね??」と思っていたら、ラストにあんなことになって「成程!」と思いつつもちょっと笑った。上手い。
ダブルXと一緒にBOXでBlu-ray出してくれんかなぁ。買いますよ!!!



『チェンナイの夜』(原題:Maanagaram)

着メロがエクソシスト……(笑)。
PKPさん、良い趣味してるな。

それにしても見ながら途中で、「田舎から出てきて立て続けにこんな目にあったらチェンナイ大っ嫌いになるだろうな……」と思っていたら、まさにそのキモチ真っ最中にタクシー運ちゃんに「一部の人の行いで街を嫌いにならないで」言われてはっとと胸を突かれました。
本当だわたしが悪かった、狭いこころでごめんよ、と反省したのもつかのま、「反撃しないと」言い出してイヤイヤイヤ、となりましたが(笑)。映画内で唯一の良心(とは言えあんなにも道が判らんのにタクシー業をやるのはどうか)と言っても語弊がないヒトだと思っていたのに。タミル人たら乱暴。

主人公も別に悪い人ではないんですが、いくら何でも居候の人に頼りすぎだと思いました(笑)。まあ上の『ジガルタンダ』も同様に、インド映画あるあるではあるんですが。日本の昭和初期〜中期頃の、田舎から都会に出てきてそれなりに生活できている人は、田舎時代にむちゃ親友というレベルの相手でなくても親身になって助けるべし、後進はそれにがっちり甘えてよし、みたいなのと似ている。

だがしかしあのチェックシャツくんはちょっと微妙じゃないですか……人事の彼女、一体彼のどこが良いのか。そりゃまあまず顔と体と腕っぷしは良いけど、中身がちょっと、いくら何でも……。
アレはもうヒモになる未来しか見えない。「働いてる間にお前に何かあったらどうする」って。そんで、通勤や会社につきまとって、ちょっとぶつかっただけ、とか、仕事で少し言い争いになっただけ、みたいな相手に日々いちゃもん付ける面倒くさい旦那になりそう……。

酸ストーカーは勿論最低なんだけど、チェックシャツも正直、やってること見てると紙一重に近い危うさがあるよね。もしもこの先、人事女性の気持ちが他の男性、それも主人公に向いたらと思うとひやっとする。
主人公、彼女はいるけど正直どうかと思う女性なので、この先主人公がつきあい続けるか微妙だし。主人公は田舎の生活に満足してて充分幸福で、それなのに自分の父親が不満持ってて結婚許してくれなさそうだから、と勝手に都会に履歴書送るってどうなん。なんかあの感じだと、主人公すっかり覚醒しちゃってチェンナイに順応しきって、木綿のハンカチーフ的展開になりそうな気がするんですが。

それにしても、ギャングの連中はこの街育ちなんだろうから、「PKP」マークのタクシーがあることくらい知ってるだろうに。あの台数だもん、街中走り回ってるだろうが。運ちゃんが飛ばっちり過ぎて本当にお気の毒です(まあ後部ガラス割られた時点で相手がどう考えても異常なので一目散に逃げろ、とは思いますが……)。
にしてもPKP、子供の躾には甘いのね(笑)。ちゃんと叱っておくんだぞ。

一番の邪悪はやはり警部か。部下の人がもういろいろとファインプレー過ぎて惚れた。
泣き虫新参ギャング、もう悪させずに故郷の島で粛々と暮らせよ……。
 



『ジガルタンダ・ダブルX』(原題:Jigarthanda Double X)

2回目。
1回目の感想はこちら

ところでわたくし、1回目の感想にて、
「世に映画監督多かれど全速力の馬に乗りながらカメラまわせるのはレイ先生だけ!」
と書きましたが、こちら間違っておりました。
正確に言うと、言葉が足りませんでした。
正しく言い直します、

世に映画監督多かれど銃弾を避けつつ全速力の馬に乗りながらカメラまわせるのはレイ先生だけ!

……もうホントすごいよレイSir……本当に世界でただひとりの妙技だよ……。

それにしても先に『ダブルX』を見てからの無印、そして再度の『ダブルX』。イヤもうこの流れ効きますね……魂にズンときたわ。2度目なのにまた滝のように泣いてしまった。
レイ先生が最後の戦いに向かわんとするシーザー達に語る「あの警官達を殺してもすぐに次が来る、彼等は哀れな駒でしかない、彼等を操る悪魔は後ろにいるんだ」て言葉は、自分自身のことでもあるんだね。切ない。

シーザーは言う、「映像はごまかせない、象は象として映り虎は虎として映る」と。
でも本当はそうじゃないんだよね。象を映したものを、編集して虎に見せることって可能なんだよ。更にそこに声を足したり入れ替えたり、音楽で観客の気持ちを上げたり下げたりして思うがままに左右できる。それこそが映画の恐ろしさ。それを「武器」として、無印のカールティクもレイ先生も戦った訳だ。
その結果カールティクは暴力を背後に誇示して権力をふるうことを覚え、レイ先生はカメラを銃に持ち替えて敵の心臓を撃ち抜き、セードゥは演技で人のこころを動かす道に進んで、シーザーは拳や銃ではなく太鼓で戦い抜くことを選んだ。
何という皮肉と哀しみよ……。

しかしこうして見るとシーザーとセードゥって顔つきや雰囲気がうっすら似てますね。やはり親子なのか……?
それにしても2度目の鑑賞で、つくづくとシーザーとレイ先生のまなざしの魅力に魅せられました。二人共に眼光が素晴らしい。特にシーザー、話が進むにつれどんどんまなざしが澄んでいくんだよね。本当に美しいな。

どうかSPACE BOXさん、頼みますから2枚セットでボックスにしてBlu-ray販売してください……サントラはiTunes Storeで購入はしましたが、もし板にして出してくれたらそれも買います……!
そしてXXXが公開された暁には必ず日本公開を……!!!
 


『ロングレッグス』(原題:Longlegs)

自分の誕生日が14日じゃなくて良かった……!(笑)

劇場で予告見て見にいくことを決めたんですが、上の公式サイトにある予告とはちょっと違ってたんですよ。
何が違うって、ラスト。公式サイトのでは、最後に役者名と監督名がものすごく判りやすくカタカナでばばんと出ておりますが、映画館のでは、皆さんきっと覚えがある、タイトルですら読みにくいレベルのサイズの英文字フォントでスクリーンの上方に出てきて1.2秒くらいで即消える、キャスト名なんて到底読めん代物。

なので出てくる役者のことなど全く知らずに見に行ったんですね。
で、冒頭で出てくる「Nicolas Cage」の文字に「えっ? えっ、ニコラス出てんの? 予告いたっけ?? 何役???」と動揺してたら、出てきた(笑)。ああ、これニコラスなのね……。
予告の時点では全然気づけませんでした。まあ多分ご本人それ本望なんじゃないかと思うんですけども。本当に芸達者だなニコラス・ケイジ。そして本当に仕事選ばず何でもやるな(笑笑)。

パンフ等にも出てくるように、『セブン』や『羊たちの沈黙』『サイコ』『ゾディアック』『キャリー』など、ホラーの名作の数々を思わせる演出がとっても良かった。床に操作資料ずらっと並べて「じっくり」やる様子は、ちょっとドラマ『アストリッドとラファエル』っぽかったですね。
パンフも凝りに凝ってて最高です。こういう「おシャレで凝っててお高いです」てパンフって、中身もおシャレな写真集みたいになってて文章が全然ないことが割とあるんですが、こちらは中身も大変に充実しておりました。これで1300円は高くない。

正直、ラース・フォン・トリアー『キングダム』の感想でも書いたように(記事はこちら)、「悪魔が降臨して神と人の世界を脅かす」てのは日本人的にはあんまり怖くない。なので、「この10年で一番怖いホラー」と言われてもそこはそれ程でもないのよね。『ヘレディタリー/継承』をテレビで見た時にも、ラストに近づくにつれどんどん怖くなくなっていったし。
でもまあそこは全然いいな、と思いました。『羊たちの沈黙』のように、犯人を追い詰めていく感じとか、追い詰めたのにその後にやってくるどんでん返しとか、十二分に面白いです。

それから主役のマイカ・モンローがむちゃくちゃ良かった。強さと危うさ、鋭敏さと頑なさが絶妙に同居している感じ。
でもあんな能力持ちの人がよくあんな怖そうな物件でひとり暮らしできるなと思いました(笑)。もうちょっと街中に住もうよ。
お母さん役のアリシア・ウィット、カリカリと神経質そうな美貌が絶妙であった。
ラスト、あの「撃たなかった人形」は一体どうなってしまうのか……。



『教皇選挙』(原題:Conclave)

日本中の人が「コンクラーベ」て響きと仕組みの内容のぴったりさに感心するよね……。

自分はずっと、「決まるまで礼拝堂から一歩も出られず寝起きもそこでする」と思っていたので、「あれっ、外出られるんだ」とびっくりしました。
映画の後に調べて知ったんですが、2005年から制度が変わったんですね。まあ確かにお年を召した方も多いしハードすぎるし仕方ないよね、とは思いますが、「根比べ」感は多少落ちた(笑)。
しかもあんなに外と交流と言うか、情報持ってきてもらえたりするもんだとも思わなかった。まあ実際は表向き「アウトですよ」てことになってるんでしょうけども。

話は面白いし画面は美しいしで素晴らしかった。真上から撮る画面が多いんですが、特に赤と白の礼服を着て白い傘をさして移動する枢機卿達を上から撮った絵が、ドラマ『ハンドメイズ・テイル』を思い起こさせて何とも言えない気分になりました。
そして大変に親切設計。画面を見ているだけで、そこまで頭脳や記憶力使わなくても「この人は誰で誰とつるんでて今どうなっているのか」がすんなり判るようにつくられています。
特に開票シーンで、名前と共に当人映してくれるところ、最高。この辺の人達って、相手を名前で呼んだり苗字で呼んだり職務名で呼んだりするので、小説なんかだとホントに大混乱するんですよ。
この親切さ、インド映画も見習ってほしい(笑)。

それにしても皆さんそんなホントになりたいもんなんですか「教皇」。
15世紀とかの、現実にものすごい権力振り回せるような時分ならともかく、今の時代に教皇になったところで、もうただただ大変で面倒ばっかりで、なのに私生活の自由はかなり制限されるし、自分が枢機卿だったら全然なりたくないなと思うんですが。何だろうな、栄誉なのか、歴史に名を残したいのか、世界中のキリスト教徒に崇拝されたいのか。

信仰に疑念が生じつつあるローレンスでさえ、「もしかしたら」と気持ちがゆらぐ。ずっと同じ相手に投票してきたのに、たったの一票だけなのに、その一票が結果を左右する程の重みがあるとは正直到底思えないのに、「もしかしたら」と自分の名前を書いてしまう。神に宣誓して投票用紙を入れた、その瞬間に「裁きの雷鳴」のごとく爆音が響き壁とガラスが崩れ落ちる。その「裁き」が、キリスト教に反抗するテロリスト達がもたらしたものであるところが何とも上手い。
ここ、起きてる惨状とは裏腹に画面は美しかったですね。ちょっとフェルメールとかカラヴァッジョの『聖マタイの召命』なんかを思い出しました。


でも正直、最後のベニテス枢機卿の「秘密」については「む……?」と思いました。

まずその手前に、シスター達の存在がある訳ですが。そもそも枢機卿にさえなれない、だから投票権も無い、勿論「教皇」になんか絶対になることができない。
選挙の間もずっと下働き。あのさ、秘密を絶対守りたいなら、身の回りのことなんか全部自分でやりなよ>枢機卿の皆さん

あれはもう、中世の英欧貴族やアメリカの黒人奴隷時代の支配者側の意識と完全一致ですね。そこにいることさえ意識してない。なのにいつの間にか食事ができてて、掃除も完璧で、服も清潔、それが当然だと思ってる。「誰かがそれを全部やってる」ことが全く意識にのぼらない。すごいな、二十一世紀ですよ?
特にあの、中庭的な場所でタバコすぱすぱ吸って、山のような吸い殻全部その場に残していくのが何とも。『関心領域』の中で(感想こちら)、床に吐いたものそのままにしていくヘスの姿を思い出しました。どちらも「この後ここを掃除する人がいる」なんてことは夢にも思わないのだな(にもかかわらず「勝手に綺麗になってること」は頭から信じてて疑いもしない)。

だが『教皇選挙』での、この「そうやってわたし達を『見えないもの』にしているけれど、でもわたし達にだって目や耳や心はあるんですよ、お判り?」的なヤツ、ちょっともう食傷気味と言うか。
どう言うのかな、例えば女性を表舞台から排除してるお祭りの取材なんかすると、「女性は裏方で大活躍」「この祭りは女性達がいないと成り立たない」みたいなノリになることあるじゃないですか? こういうのと同じで、「だからヨシ」てなるのがちょっとイヤなんですよね。
「お偉い男性からは完全スルーされてる女性達、だが裏方にまわされている女性がいるからこそこのイベントは成り立つんだよ!」「そういう女性達だからこそ男性の不正をやっつけられた、偉ぶっている男達はいい気味だ、やっぱり女性はやるな」てノリね。
こういうの、「そんなあなた達がいて良かった」=「だから裏方だっていいじゃない」「むしろ裏方である方が物事の真実に近づける」「権力から離されているからこそ権力を糾弾できる」、つまり「だから今まで通り女性は裏方でいようね」て言われてる気すらしてくるというか。
「やっぱり真の支配者は女性なんだよ」て持ち上げることで、根本的な差別状況から目をそらさせようとしてるのか、とうがった見方すらしてしまいそうになります。

と、そこで出てくるベニテス枢機卿の「秘密」な訳ですが、これがどうもなぁ……。
だって「内臓にメス入れる手術して初めて気づいた」訳でしょ? それまでは「自分ちょっと変かな(多分周囲の男性に比べて自分のは小さいなとか未発達だなとか、そういうアレかと)」と思ったことはあっても、根本的な疑問や性自認に対する違和感はなかった訳で。

つまりこの人、「体内に子宮と卵巣はある」けど、本当にただ「ある」だけで、性自認は完全に「男性」な訳ですよ。
外から見ても全く「女性」には見えない。「虫垂炎の手術でたまたま気づいた」てことは、生理も無ければ排卵もしてない。つまり卵巣から女性ホルモンはほぼ出ていない。もし手術してなかったら、一生気づかずに済んでた可能性が高い訳です(実際、性分化疾患の患者さんにはそういう特別なきっかけがあるまで本人も周囲も全く気づかなかった、て人が多いそうです)。

これで「子宮&卵巣あるから彼は『女性』とも言える」「男性・女性の間にいる彼を前教皇は認めた」「そんな彼が教皇になるのは前進」的なこと言われてもなあ……だってもうこれって、「指が一本多い」とか「乳首が四つある」ってのと大差なくないですか? 
もっと内臓っぽいことで言うなら、胎児の時に双子を吸収しちゃって自分だけ生まれてきて、自分の体内に相手の組織やDNAが残っちゃうことあるじゃないですか。ああいうのに近いと思う。そうなってしまったことに苦しみや悩みは生じるかもしれないけれど、だからといって「今までの自分は体内の誰かに操られていた、『真の自分』じゃないんだ」とはならないじゃないですか。
まあ勿論、世間に知られたら大騒ぎになるとは思いますよ。でもホント、たとえ寝起きを共にしたって日常生活でバレる可能性はゼロ、精神も見た目も完全な「男性」なので、結局ただ「ちょっと疾患はあるけど男性として生まれ育って性自認も男性の人が教皇になった」だけにすぎないのでは、と思ってしまった。

それは絶対無理であることは承知で、「肉体が女性だけど性自認は男性」「肉体は男性だけど性自認は女性」の人とか、「肉体も性自認も女性だけど、今の男性しか認めない制度が納得いかないから男性ホルモン打ちまくって見た目を男っぽくして成り上がってきた」みたいな人だったら、この「裏方のみを任され続ける女性達」からの流れの描写としてアリだなと思えたんですが。

ちなみに自分は「同性愛者でHIVキャリアなのかな」と思って見てました。クリニックはそっち関係なんだと。で、「実はエイズを既に発症している、治療をしようと思ったがやめた、予後はあとわずか、死ぬ前に世間に発表して次の教皇をあなたに任せたい」とかなのかと。
ただ、「性的スキャンダル」で既にひとり脱落してるので、こっち方面でまたかぶせはしないかなぁとも思いましたが。まあでも「教皇の体内に子宮と卵巣がある」のも、カトリックとしては充分「性的スキャンダル」に値するのかな。本当、「ただあるだけ」なのにね。

と、いろいろ申しましたが大変見応えがあって大好きな映画です。本当にどこを見ても惚れ惚れする絵の美しさ。閉鎖空間に渦巻く権謀術数の数々。ひとの持つ「信仰」への想い。2025年必見映画のひとつです。


……それにしてもいっつも思うんですけど、枢機卿のあの帽子ってなんであんなにぴたっと頭部にひっつくんですかね? そりゃ頭髪の少ない方々ならば皮膚に直接くっついて安定するでしょうが、ふさふさの人でもぴったりくっついて全く落ちる気配がないのが本当に不思議です。ちょっとどんぐりのヘタみたいでかわいい。
しかしレイフ・ファインズは本当に声が良いなあ。超高級なソファに座って、体が一様にふっくりと沈んでいく時に感じる感覚のような声。



『デーヴァラ』(原題:Devara Part 1)

「海が怪しい、撃て! ……いやデーヴァラじゃないサメだった、ならヨシ飛び込め!」てダメでしょうおかしいでしょう山の一族!!!
おるかおらんか判らんデーヴァラよりまず目先のサメ! サメをどうにかしてから海にダイブ!! 順番おかしいからねアナタ達!!!

……しかし本当に、あんな巨大ザメがうろうろしてるところであんな流血しちゃったらダメでしょう。あんなケガしてふらふらぷかぷかしてるヒト族なんかサメさんぱくっとひと呑みですよ。長年海と共存してる一族なのに海の危険を無視しすぎですよ皆さん。


「実は『デーヴァラ』は『ヴァラ』だったのだぁっ!」辺りでふっと、「あれ、でも何で自分はそもそもこの『デーヴァラ伝説』をずっと聞いてなきゃいけなかったんだっけ……?」と我に返って、はたと当初の「盗賊兄弟」の話を思い出しました(笑)。そして「こんなどでかい話続いてたら、もうそんな小物も小物の盗賊話なんてどうだっていいや」という気分になりました(笑笑)。
まあきっと後編ではこの「ダヤとヤティ(だったよね?←既に自信ナシ)の盗賊兄弟」と「デーヴァラ」との戦いになっていくんでしょうが……。
そういや「盗賊兄弟」捜査で赤海に出向いた捜査官が、地元の警察官に「同じ警察」という身分を伏せて聞き出しに行く姿に苦笑してしまいました。ほんとインド映画ワールドの警察って腐敗してるのが基本なのね……。


そんな訳で『RRR』(感想こちらこちら)に勝るとも劣らない「そうはならんやろ」の連続。だがそこがいい。
最初の「密輸武器抜き取り作戦」、ルパン三世並の華麗な盗みシーンが最高でしたね。絶対そうならないことは判っていつつも、「ヤバい、見つかっちゃう!」とハラハラドキドキ、でもそれを流れるような動きでフォローするデーヴァラ。類い稀なヒーローであることがすぐに伝わります。
パトロール船に見つかって、「イヤでもコレ正義はパトロール側だろ、この人達ヤっちゃったらいくら何でもヒーローではおられんよ、どうするの」思ったらアレです。さすが。

バイラがあそこまで憎しみを抱いちゃうの、巨大な愛情の裏返しな気もするのよな。「このオレと道を分つなんて!」みたいな。武器盗みシーンでのデーヴァラとの流れるような連携プレイがカッコ良すぎて、このまま好敵手・バディとしてやっていけてたら良かったのに、と何とも切ない。
ちなみにバイラ役サイフ・アリ・カーン、自分は前半の短髪モードの方が圧倒的に好きです。目元がとりわけ良くて、そこがはっきり見えてる方が好きなんだよね。

それにしてもタンガちゃん、こんなシリアスな事態が続く中でひとりだけ笑っちゃう程ノーテンキ。まあこういう息抜きが無いと重たすぎてしんどい展開ではあるんですが、あんまり行き過ぎてると「ヒーローの恋人」という立場としてここまで考え無しなのはどーなの、と思ってしまうので続編ではもう少し思慮深い面も見たいところです。
演じたジャーンヴィー・カプール(アイメイクを激濃くした高畑充希似)、シュリデヴィの娘さんなんですってね。びっくり。もっと長生きしてくれていたら、ステキな母娘共演が見られただろうになぁ……(涙)。

武器強奪シーンを始め、絵が本当にスタイリッシュ。流血をこんなに美しく描けるって。血飛沫が弧を描いて三日月のそれと繋がるところ、息を呑みました。
ダンスシーンもゴージャス&パワフル。NTR.Jrはほんとダンスが上手い。

村のお祭りソング『Ayudha Pooja』、この体操感クセになる。片足横にスライドしつつ左見て右見て斜め上仰いで、音と動きの合い具合が気持ち良すぎてたまらない。ヒゲダンスっぽい動きや何故かTシャツくわえる謎の仕草も好き。


ラブダンス『Chuttamalle』、サビ中で音が途切れて「Ah」て男性ボイスが入るところがセクシー爆弾でたまらん。


ラブダンスその2・『Daavudi』、最後にちらっとナートゥっぽい動きがあって頬がゆるみますね。


ゴージャスダンスも好きなんだけど、ラヤッパ妹さんの結婚式の時の焚き火でのダンス『Thandavam』も何とも言えず好きです。
通常ダンスみたいに画面が切り替わって衣装変わってどこからともなく大量のダンサーが現れるのも好きだけど、もうまるっきり「その場で皆で楽しく踊ってるだけ」で、それがたまらなく良かった。本当に嬉しくてお祝いで踊ってるんだな、ていうのがしみじみ伝わって。


サントラが欲しくて欲しくてたまらないんだけど、サブスクしかないんですよ……板でくれとの贅沢は言わないから、せめて、頼むからせめてダウンロード買いさせてくれよ……いつ聴けなくなるのか判らない配信じゃなくてちゃんと正式購入して手元に残したいんですよ……。

ちなみに上に書いた『教皇選挙』の次が『デーヴァラ』だったんですが、つくづくと「見習ってくれインド映画」と思いました(笑)。この人数のキャラを出すなら、人の顔と名前と立場がこっちにぱちっと伝わるようなシーンを入れて! 服装や髪やアクセサリーやヒゲにもっと個性をつけて!!
本当にいつも思いますが、インド人はこれで全員を把握できているんでしょうか。わたし邦画や日本ドラマでもこんな出され方ではムリです。


……しかしホント、この「続きもの隠し公開」いい加減にしてもらえないかなあ映画業界。
こんなのインド映画ばっかりかと思っていたら、『ウィキッド』も「見に行って初めて続編アリと知った」て人が結構いらっしゃったんですってね。何なんだソレ。
今時、映画館にお金払って見に来てくれる観客なんてもはや貴重品な訳ですよ。そんな奇特な観客達に対してあまりに不誠実じゃないですかね?
必ず見に行くからさ、頼むから先に言ってよ「その1です」て。怒らないから。言って。


まとめ

まずお詫びなんですが、今回虚偽がございまして。ラストの『デーヴァラ』、これ4月に入ってすぐの頃に見ました。
なのに何故これを今期に、かと言うと、まさにたった今上映中な為、「この熱い気持ちを皆さんと分かち合いたい……!」という思いに尽きます(笑)。3ヶ月後まで待てない。
ああ、一日も早く後編が見たい……!!!

そんな訳で今回もずいぶんインド濃度高め。来期の最初は『RRR:ビハインド&ビヨンド』か『バーラ先生の特別授業』になる可能性が高く、またもインドです。
本当につくづく良い時代になったものだ……。

先日は日本での正式公開時に『シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦』なる珍妙なタイトルにされた『DDLJ』こと『Dilwale Dulhania Le Jayenge』が、『DDLJ 勇者は花嫁を奪う』と改名されてついにBlu-ray発売が決定しましたし。何という朗報。

本国で今もなおウルトラロングラン上映される超名作。今まで日本では、タイトルにも増して珍妙な機械翻訳字幕のついたDVDしか見られなかったので本当に嬉しい(なおそうは言いつつも出してくれただけで本当に有り難かった。特典にサントラがついていたのも花マルでした)。皆さん買いましょう。

映画の中でもわたしのこよなく愛する一曲、『Ho Gaya Hai Tujhko』。

親の決めた顔も知らない男との結婚を前にして、最後の卒業旅行中に知り合ったふたり。
旅行中はやたら喧嘩もした相手だった、駅でもう逢うこともない別れを告げて家路へと向かい……それにしてもこの胸にぽっかりあいた穴は何だろう、この言いようのないさびしさは何だろう……悩むふたりの前に互いの幻が現れて告げる、「それは恋さ、心を奪われてしまったのさ」。

恋心を知っているすべての人を必ず泣かせるこの1曲、ヒロイン役・カージョルの喜びと切なさが入り混じる表情に胸キュン(死語)です!
 
 
 

 
 

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