#12万葉集の生活史 春の野に出る ― 万葉集の若菜摘
春になると、万葉集には、やたらと野に出る歌が増える。
山に登るわけでも、旅に出るわけでもない。ただ、野に出る。
■ 若菜を摘みに、野へ出る
春の野に
すみれ摘みにと
来しわれそ
野をなつかしみ
一夜寝にける
すみれを摘みに来ただけなのに、
野が気持ちよくて、そのまま一晩寝てしまったという歌だ。
何かを成し遂げたわけでもない。
特別な出来事が起きたわけでもない。
ただ、春の野が心地よかった。
若菜摘とか、薬狩りとか、
そういう言葉を思い浮かべると、
つい行事や儀礼のように考えてしまうけれど、
歌の中の人は、もっと素直だ。
食べられそうな草があって、
使えそうな草があって、
野が、いい匂いで、
風が、やわらかい。
それだけで、帰る理由がなくなってしまった。
すみれは、後の時代には薬草としても使われる。
けれど、この歌には、効能の話は一切出てこない。
あるのは、「野がなつかしい」という感覚だけだ。
■ 予定は立てるが、自然は従わない
明日よりは
春菜摘まむと
標めし野に
昨日も今日も
雪は降りつつ
こちらは、若菜摘の予定を立てた歌。
場所も決めた。
明日から行こうと思っていた。
けれど、雪が降る。
昨日も、今日も。
自然は、人の予定通りにはならない。
だからこそ、若菜摘は、
立派な行事である以前に、
「できたら行くもの」だったのかもしれない。
■ 生活としての若菜摘
万葉集の若菜摘は、
神事と生活の、ちょうど境目にある。
祈りの要素もある。
薬としての意味もある。
でも、それ以前に、
庶民は食べなければ生きていけなかった。
春になって、雪が解けて、
野に出られるようになる。
その喜びが、そのまま歌になっている。
高尚でもなく、神秘的でもなく、
ただ、人がちゃんと季節を生きていた痕跡。
万葉集は、そういうものを、
とても無造作に残している。
