「あきらめなかったら、50代からでも変われる」
はじめまして。Kaoです。
4年前、早めに引退しました。2回目の引退です。
引退という言葉は・・・
仕事も趣味も人生もすべて一緒だったので、転職というよりは・・・・幕引きに近い感覚で、引退の2文字がしっくりきます。
コロナの緊急事態が開けて、私の社交ダンスのお教室が開校した頃、足の痛みで立てなくなりました。
股関節に体重がのせられないです。寝てても、じっとしてても奥が痛いです。
ドクターが
「変形股関節症の進行期だから、痛みに耐えられないなら人工股関節の手術だね。60歳までもたないよ。これから何して生きたいかな?」
とさらっと言ってくれました。
もう、踊れる体じゃなかったみたい・・・・・・。
腰も首もヘルニアみたいだし、膝もお皿もわったこともある。
もう限界です。
ポンコツになるまでがんばったんだから終わりにしてもいいよね?
楽しい引退生活のはじまりだよね?
好きな時にお酒飲んで、
時間のある限り読書に没頭して、
ユニフォームのボディラインを気にせず好きなものを食べる!
わーい!幸せ💛
これからは、自分の楽しみのために体を使おうと思いました。
もちろん、老後の貯金はまだたまっていないので、
デスクワークができるように職業訓練校に通い始めました。
これまでの私Part1 |ダンサーの道へ
子供の頃から踊りが好きだったと思う。
夏祭りでは浴衣を着せてもらい、
誰よりも早く櫓に上ってみんなを待ってる子供だった。
同じ動きを繰り返す盆踊りも、高くて見晴らしがいいところも好きだった。
学生時代はバレエの発表会にでたり、
バンドを組んでライブをやったり、
ミュージカル劇団に入って舞台に立ったり、
自分でも何がやりたいのかよくわからなかったけれど、きっと私は、人前で表現するのが好きだったんだと思う。
それは、特別なことじゃなくて、
”普通の人間の欲望”なんだと思います。
そんな欲に正直に従ってしまい、舞台芸術学院を経て、アルバイトをしながら、歌やダンスのレッスンを続けていました。
世間はバブル崩壊で、就職氷河期と言われていた時代です。企業に入る道は全く考えていなかったので、私は”ゴールの見えない世界”で黙々とトレーニングをしていました。
自分の世界しか見ていなかったんです。
とにかくやってきたことを仕事にしたかった。
資格の本を見て、興味が沸いたのは
「東洋医学の施術者」と「社交ダンス教師」
ちょうど映画「シャル・ウィ・ダンス?」を見て、
バレリーナの草刈民代さんが演じたヒロインに魅了されていました。
「私もバレエをやってるし、まだ間に合うかも!」
と安易に社交ダンスの教師を目指すことにしました。今の私なら全力で突っ込みたい。
草刈さんと私じゃ経験値もスタイルも全然ちがうから!
こうして、現金商売の個人事業主、社交ダンス教師生活が始まりました。
ダンス教師の仕事はスタジオで待っているだけでは仕事は来ないです。
まず、ペアを組みプロ競技に参戦してスタジオを盛り上げる教師になる。
そして試合の成績で指導料の相場が決まっていきます。(階級があります)
教師の日常は、午前中は自分たちペアのダンス練習やレッスン、
午後はダンス指導やスタジオ受付営業、就業後また、自分たちの練習。
週末は試合、シーズンオフはダンスパーティーで営業。
もう、へろへろです。
とにかく立ち止まるのが不安でした。
練習しないと試合に勝てない。
休んだら仕事が無くなる。
そう思って闇雲に、毎日を繰り返していました。
体も辛かったのでヨガを始め、同時に指導の仕事も始めました。
キッズダンスの指導もしました。
出会った仕事はなんでもこなせるよう自分を変えていきました。
神様は私に何度も、
「むいてないですよ~。」
「あなたの幸せはそっちの道ではないですよ~。」
と言ってくれてた気がします。
チャンスだと思うたびに、手術になったり、骨折したりブレーキがかけられるのです。
安定した生活がしたくて、結婚もしましたが、
自分の首を絞める行為でした。
不安が倍になりました。
色々あきらめきれず、他にとりえもないので、常に仕事を探しながら
なんとか食いつないだ20代~30代でした。
これまでの私Part2 |組織に入る
40歳になると腰痛、股関節痛がひどくなり、
ハイヒールを脱ぎたくなりました。
整形の先生にも老化が原因だから、治らないと言われて、
もう努力しても、私のダンスは磨かれないんだと理解し、
ダンス競技を終わりにしました。
1回目の引退です。
そして仕事の安定をもとめて、大手スポーツジムへ。
そこは正社員の雇用はなく、アルバイトでスキルを上げてチャンスがくるかこないか…。
アルバイトでは実入りが少なすぎるので、
フリーのまま、今までのお教室もかけもちで働きました。
それからなんと、43歳で再婚!
家庭という安定した生活もゲットできました。
つらい日々が続いていたので、本当に良かった。
心から安心できました。
彼もバツさんで、娘さんもいたので結婚は考えていなかったようですが、
2年待って、プロポーズされました。やっほい♪
人生こんなに安定したことはなかったです。
子供のころから父親の仕事に振り回されて、
転校、引っ越しを繰り返してきた私。
社会に出ても職場が不安定だったので、
今まで同じ場所に10年近くも住んだことがありません。
この場所は気に入っています。
帰り道、山がどんと待ち受けてくれます。
安定を感じる~。
そして仕事探しや集客しなくても仕事がある。
(実入りが少ないけど)
安定を感じる~。
安定してると、心から遊んで楽しめるんだなと気づきました。
旦那さんも私も孤独な時間が長かったので、
二人で旅行したり、飲みに行ったり、スポーツしたりして楽しんでます。
一人じゃ寂しかったよね。
生活はとっても安定を感じていたのですが、
ここで仕事の安定は崩れ始めます。
組織に入ったからこそです。
私の分野にも、ITの波がやってきたのです。
これまで、PC業務はほぼ皆無。
伝達事項は口頭で行い、タイムカードで出勤管理。
もう苦手なので、PCの予約管理システムはフロントさんに任せて
マシンエリアの見回りに徹していたのに・・・。
「スタジオプログラムの落とし込みはスマホからダウンロール!?」
スマホにしたばかりで・・・どうやってやるの?
「音楽もデータで持ってきてください。」
えっ、CD使えないの!?
みたいなことが増え、
自分で年末調整のデータを出すとか、
交通系IDで勤怠管理とか、
まず持ってないし・・・。
昭和の私にはハードルが高すぎる。
ワープロは使ってたので文字入力はできるけど、
EXCELだとできない・・・。
もう自分の仕事ができないかも。
ヨガとダンスとトレーナーの私にも必要ですか?
そんなこと言っていられないのか!?
そんな危機感が高まっていた頃、
コロナが広がり、私の仕事は全てシャットダウンされました。
令和へバージョンアップ
コロナの自粛期間はとにかく暇だった。スポーツジムもスタジオ閉鎖。
ゴロゴロしてると具合が悪くなるので、マラソンしたり、庭を改造して畑を作ったりしました。
これが楽しい。
ラジオ英会話も聞き始めました。
仕事がないって、毎日が夏休みですね。老後のシュミレーションができました。私は老後は家にいたい派です。お化粧もせずに土いじりが楽しい。
そうするとお金もかかりません。老後が楽しみしかない♪
あれ?働かなくてもいいのでは?
そんなことを思っていた頃、
お客さまから「オンラインのお教室をやって欲しい」
と声がかかりました!?
弟からパソコンを譲り受け、ZOOMでオンライン配信したり、youtubeに動画をアップしたり、インスタグラムで近況を報告し合ったり。
自分で自分が信じられないけれど、私、現代にバージョンアップされているかも?
人間、必要に迫られると動けるんですね。自分の為じゃ動けなかったけど、
皆さんが私を変えてくれた。そして、まだ変われる自分がいることを知りました。コロナの自粛期間は、私の仕事に対する考え方も変えてくれました。
お金の為に働かなくていいんだ!
そして、本当に変われるのはここからです!
コロナが開けて
コロナ期間は、色々なものが淘汰される時間だったのではないでしょうか?
なんとなく惰性でジムやスタジオに通っていた人たちは戻ってこず、
みんなが新しい時間の使い方を見つけ始めていました。
私もうっかり出勤しないところでした。
薄利多売のぎゅうぎゅう詰めの営業が見直され、
スタジオ定員は半分に。
ソーシャルディスタンスです。
その分、働く側は時間を減らされました。時間や参加人数で指導料が変わるので、大問題です。
その落としどころとして、どちらにも付加価値が付くように、カルチャー教室の開講が決まりました。フィットネスサービスは有料レッスンやプライベート指導へと変わっていきました。需要はあったと感じています。
その流れで、社交ダンス教師だった私に、教室オープンの話が舞い込んできたのです。
やっと自分の得意分野の仕事がきた!
そう思って嬉々として引き受けたのですが、体がついてこなかった。
股関節が痛くて立てない。何日か休んでも回復せず、代行もいない。
痛み止めを飲んで、何とかしのぐ日々。
1か月半がたっても、全く回復の見込みがなかったので、股関節の専門ドクターのいる病院を受診しました。
そこで言われたのが、冒頭のあの言葉
「変形性股関節症の進行期だから、
痛みに耐えられないなら人工股関節の手術だね。
60歳までもたないよ。これから何して生きたいかな?」
何したい・・・?
コロナの自粛期間は"夏休みだわーい"と思って楽しめた。
でも、あれは”いつかは終わる休み”だったから楽しめたんだ。
今度は永遠に休み?
むしろ、終わり?
どうしよう・・・。
どうしよう・・・。
今もぎりぎり動いているのにもっと動けなくなるの?
靴下も履けなくなるって、どのくらい固まるの?
歩くのもダメってこと?
わからなくて、毎日検索した。
だいだい、同じことが説明されているのに、
納得できなくて、何回も何回も調べてみた。
実際痛みで、階段も登りたくない。
荷物を持って自分の部屋や寝室がある2階へ行くのが困難。
”変形性股関節症は障害者手帳がもらえることがあります”
その情報を手に入れ、もしや、障害者年金ももらえるのでは
と考え調べたりもしました。
初診日が厚生年金加入期間にある時と条件が記されていて、
フリーで働いてきた私にはありません。
私の入ってる保険は、告知をうけて2年以内に手術をすれば、
保険料が高く出ると記載されてありました。
2年って、結構すぐだよね。
そんなにすぐ決断できない・・・。
人工股関節の手術をうけた知人は検査して予約入れて、血を取って、
手術を決めてから入院までもだいぶ時間がたってからだった気がします。
手術をして動けるといっても、ヨガやダンスの動きじゃないですよね?
きっと、働けなくなることに変わりはありません。
若い頃も一度立てなくなっているのに、動けなくなることを想像できてなかった。
ショックだった。
何より、働く事が出来なくなることが嫌だった。
インストラクターの仕事をやめたら、のんびり家業を手伝ったりして
お小遣いもらおうと思って気楽に生きていたのに。
得意な肉体労働は全部無理。
接客業も立ち仕事が多いから無理。
座ってできる仕事が思いつかない。
土いじりも楽しめない。
リハビリに通い、何とか日常を維持しながら、
真剣に考えていた。
ハローワークにも通った。
手術しなくても働ける場があるのか知りたかった。
インストラクターの仕事を継続することは考えなった。
体が不自由になって指導の仕事は辛すぎる・・。
世間では最低賃金が上がっていく中、専門職の時給は上がらない。
仕事の評価や価値はお金に反映していくと考えていたので、
今の仕事に見切りはつけやすかった。
でも、他に何ができるの?
・・・・・・。
そんな時、新聞広告の求職者募集のチラシの端っこに
「就職氷河期世代は無償で職業訓練学校に入学できます。」
あっ、私だ!
転職に何がハードルを上げているかというとパソコンスキルの無さです。
もう、どの職業でも、当たり前のようにパソコン操作が仕事に入ってくるのが想像できて、足踏みです。
まだ何かして働きたい。それには、
まず、職業訓練だ!
そこからの私は早かった。
社交ダンス教室の閉校を決め、持っているクラスは週末のみにし、
半年間ほぼ毎日職業訓練校に通えるよう段取りしました。
パソコンビジネス基礎科―
おじぎまで指導されたので、おじぎ、上手になちゃった♪
受講生はほぼ同世代。男性もいました。
若い子育て中の方はすぐ、やめてしまいました。
通うのが大変だったのかな~。
基礎から学ぶのが耐えられなかったのかな!
私より世代の上の方もいたのですが、やめていきました。
パソコンが恐怖だったのかもしれません。
私はというと、Wordはわからないなりにチラシ作成等していたので、
新たに機能を理解して便利だな~と思い、
Excelに関しては、本当に便利と感動しました。
健康診断結果グラフやダイエットデータ管理、栄養計算から私の老後の預貯金のシュミレーションまで、計算が苦手な私も早く理解できる。
電卓の手入力も苦手なので、私よりずっと正確な答えを出してくれます。Exce様様だと思いました。
パソコンはできないと思っていたけれど、使いこなすととっても便利なのがわかって、面白くなっていきました。
足は相変わらずで、自転車で通いました。
真夏でも自転車で通いました。
早めに出て、図書館で涼を取ったりしました。
駅前の学校だったので、バス停まで歩くよりは、自転車で坂を上った方が楽だったのです。股関節に負担なくスイスイ進みます。
この登校の習慣も職業訓練になっていたと思います。
一か所に毎日通って、デスクに終日拘束されているのは学生以来です。
新鮮だったな~。
なんだか事務職もやれそうな気がしてきました。
あっという間に卒業間近になり、
職業訓練校の講師の仕事をやってみないかと誘われました。
またもインストラクター業です。
嬉しかった。
今までやってきたことが認められた気分でした。
ただ、立って講義します。いい話でしたが躊躇していました。
同時に就職活動支援が始まり、
「結婚相談所」、これは失敗と成功のアドバイスができると思ったし、
「カルチャー教室の受付」も、経験を生かせると思いましが、どちらも業務時間が無理でした。
地元の貿易事務は最後まで連絡を待っていたのですが、音沙汰なしです。
口の悪い電話口の建設会社はこちらからお断り!
小さな事務所の事務員は私にスキルが無さすぎで断られました。
なかなか現実的な働き先が決まりません。
卒業後も、就職先を学校に報告しなくてはいけないので、
近くのパソコン教室の受付に決めて、パソコンの勉強をつづけました。
しかし、ここでも立っている時間が長くて無理でした。
働く事をあきらめたら、手術もしないで、お家でのんびりすればいい。
手術をしてまで働きたい事も見つからない。
このまま全部やめちゃおうかなと弱気になりつつ、
アンテナは張っていたのです。
町中においてあるタウンワーク誌で、不動産受付事務の募集を見つけました。隣街だけど、条件が合いそう。
ピンと来たのです。
まず、電話での受付です。電話口の方(今の次長)はさわやか君で、とっても親しみやすい雰囲気。面接日も即答で決まり、スイスイ進むのが今までの就活にない感じです。
タイミングってありますよね。
今は、
週に3日不動産で受付、営業事務をしつつ、
AIを使ったりしてコラムやインスタの投稿文を書いています。
スゴイです!
令和の働き方です!!
そして、
こんな私でも、ヨガやダンスを続けたいと言ってくれる生徒さん達とサークル活動を続けています。
股関節のリハビリ治療を受け、自分でもメンテナンスしていたら、
重かった痛みが、気づけば薄れていきました。
駅から職場までの歩きは、今より倍以上時間がかかっていましたが、
普通の速度で歩けるようになったし、ハイヒールで踊っています。
スタジオのインストラクター業も続けられたかも・・。
でも今の仕事の方が好きです。
新しいことが出来て嬉しい。
何より、座ってるのは体が楽です。もう50代ですから~。
はじめて厚生年金にも入りました。
時間や体力、心までも余裕があります。
夫との共通の趣味のバトミントンも辞めていません。
今年は試合にチャレンジしていきます。
「人工股関節の手術はしません。」
そう言って病院通いをやめました。
わたし元気みたい。
50代になってからでも、人は変われる。
あきらめなければ、人生はまた楽しくなる。
人生100年時代。
まだ半分すぎたところです。
長いですね・・・・・。
心も体も元気じゃないと楽しめません。
自分を知って、大事にして、あきらめなければ
まだまだやれることは多そうです。
心と体のケアを怠けずに楽しんで生きましょう♪
最後まで読んでくださりありがとうございます。
これからもよろしくお願いいたします💛
#創作大賞2026 #エッセイ部門
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