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小説『ウェイストランド』 西部劇

一発の銃声が響き渡り、男は絶命した。

わずかにずれた帽子の位置を正し、煙を吐き出す拳銃をゆっくりとホルスターにしまいながら、ケインは歩き出した。亡骸からあふれ出る血液の流れに合わせるように、生ぬるい汗が完全に冷え切るのを待つかのように、その歩調はゆるやかで落ち着いていた。あたりはとても静かだった。乾いた風は地面を撫で、小さな砂ぼこりの渦を作りながら通りを吹き抜けていく。それと同時に、一匹の野良犬が悠々とした足取りでケインの前を横切っていく。物事の節目がやってきているかのような、全ての終わりが顔を見せ始めているかのような静謐な香りが、周囲一帯に漂っていた。

 ケインは男のそばまでやってきた。コートのポケットから煙草を取り出し、マッチを擦って優しく火をつける。大きく煙を吸い込み、天を仰ぎ、ゆっくりと煙を吐き出してから、彼は自らが死に追いやった男の亡骸を見下ろした。わずかにブーツに触れる躯の感覚と、静かに弧を描きながら頬に舞い降りてくる白い煙が、彼を心地よい酩酊へと誘う。ケインは目の前に広がる夕陽を見た。紫と橙色の入り混じった光が建物の屋根に降り注ぎ、長く伸びた影が彼と彼の目の前に倒れた男へ手を差し伸べようとしていた。過去は今死んだ、今やっと終わったんだ、そんな声が彼の頭の中でこだました。口元には、一抹の寂しさを含む笑みが浮かんでいた。

「それ、もう死んだの?」

はっとケインは我に返り、振り返って酒場の方へ目を向けた。一人の少年が、ポーチに続く階段に座ってじっと彼を見つめていた。口の中に残っていた煙を丁寧に吐き出してから、ケインは返答した。

「そうだな、死んだんじゃないかな。」

「自信なさげな口ぶりだね。たった今自分で撃ったんじゃないか。」

少年は笑みを浮かべながら言った。野良犬が彼に近づいていき、せわしなく尻尾を振りながらこうべを垂れた。彼はそっと犬を撫でてやり、もう片方の手を差し出して舐めるがままにさせた。犬は嬉しそうな表情を浮かべながらちろちろと少年の手を舐めている。どうやら彼と犬とは初対面ではないようだった。

「さてね、俺は医者じゃないからな。」

「医者が生きているか、死んでいるかどうか決めるの?」

ケインは腕を組んで首をかしげ、しばらく考え込んでから言った。

「どうだろうな、まぁ誰が決めたっていいのかもしれないな。」

「そういうものなの?」

「よくわからん。生き死になんて別に根拠があって言ってるわけじゃないんだ。昔、腹を切られて臓物がこぼれ落ちそうになってた奴を見たことがあるが、そいつは結局生き残ったよ。奇跡的にな。外見だけじゃ判断できないもんなんだよ。そうなると素人しかいない状況じゃ考えたって仕方がないから、誰が決めたっていいんじゃないかな。」

「ふーん。」

少年は気のない返事をしてから犬の顔を覗き込んだ。犬はあいかわらず嬉しそうに少年の手を舐め続けている。彼はポケットから何かを取り出し、舐めさせていた手を引いて「待て」の合図を出した。犬は利口なことに少年の指示に従い、ぴんと背筋を立ててよだれを垂らした。

「そしたらさ。」

犬に餌をあげると同時に少年は立ち上がり、ケインと男のいる場所へと歩き出した。

「僕が確かめてあげるよ。」

ケインは薄暗くなりつつある空を見上げた後、男を見下ろした。男の体は、既に頭から腰のあたりまで黄昏の淡い影に侵食されていた。ケインのブーツは円形に広がった血の泉の中にあった。男の生命が大地に浸透していることが、ブーツを通して彼の足に伝えられた。

「いや、確認するまでもないさ。こいつは死んでいる。」

言い終わるより先に、少年は男の近くまで来てしゃがみこんだ。少年は、銃弾の撃ち込まれた額の穴のあたりを丹念に、舐め回すように観察した。しばらくした後にその目は胴体の方へ向けられ、それからまた額へと戻った。

「どこを見ているんだい?」

「目を見てるんだ、今はね。タマが当たったところはさっきちゃんと見れたから。」

ケインは血だまりの中に煙草を落とした。ジュッという音と共に、吸い殻は赤黒い液体の泉へ沈み込んでいった。

「ほう?どうしてまた目なんだ?」

少年は彼の顔を見ることなく答えた。

「死ぬとさ、瞳孔ってのが開くらしいんだ。目の中のね。」

「それ、いつもは閉じてるものなのか?」

「どうなんだろうね、閉じてたら目が見えなくなっちゃうんじゃないかな。いつもは少し開いてるんだと思うよ。」

男の穴からこんこんと湧き出ていた液体の流れが止まった。髪の毛に付いていた血は固まりつつあるように見えた。

「それで、瞳孔は開いているか?」

少年はぐっと顔を近づけて男の瞳を覗き込んだ。

「ええっと、わかんないや。こんだけ暗くっちゃあね。」

「この薄暗いのにそんなに顔を近づけたら、余計影が濃くなって見えなくなるだろう。」

少年はそれを聞いてにやりと笑った。

「近づけば近づくほど見えなくなるもの、ってね。ねえ、なんか今の格言っぽくなかった?」

「もう少し明るければ判別できたかもしれないけどな。時間切れだ。」

ケインは新たな煙草を取り出して火をつけ、男に背を向けて歩き出した。血液を多分に含
んだ足跡が酒場のポーチへと続いていく。その横を、小さく軽快な足跡がやや遅れてついてきた。

「おじさん的には、この人死んでいてほしいんでしょ?」

「そうだな、そのために撃ったわけだしな。」

「僕的にはね、」

ケインは少年を無視して酒場へ続く短い階段を上がり、扉の横にあるベンチに腰を掛けた。空は既に暗闇に囚われつつあり、白をにわかに含んだ青の残り香が、黒く険しい山々の稜線に取り込まれようとしていた。ケインは煙草の煙を吐き出しながら、ポケットをまさぐってコインの存在を確かめ、指先で勘定した。

「僕的にはね、生きていてほしかったかな。」

ケインはちらりと少年の方へ目を向けた後、再度空へ視点を移してポケットをまさぐった。

「死んでるとさ、何かと面倒だから。」

「知り合いか?」

ケインは少年には目もくれずに言った。

「たぶんね、あの人、僕の父親だったんじゃないかと思うんだ。」

少年は答えた。

「父親だったならそうといえばいい。悪かった、なんて詫び言なぞ言うつもりはないがな。」

「いや、いいんだよ。言われても困るだけだしね。」

「あまり父親が好きじゃなかったのか?」

少年はしばらく斜め上を見て、それから腕を組んで考え込んだ。ケインは勢い良く煙を吐き出してから再度強く吸い込み、今度はゆっくりと、口から鼻、額から帽子の鍔まで這わせるように吐き出した。

「実際、あれが誰だったのかわかんないんだよね。」

少年はポケットからシケモクを取り出し、マッチで火をつけてから言った。

「よく覚えてないけど、ついてこいって言われてたからついてってただけなんだ。何をしているのか、どういう人だったのか、そういうのは詳しく知らない。この町へくるまでにちょっとはぐれて、見つけた時にはもうおじさんに撃たれてたんだ。それで、倒れてる姿を見てたら、やっぱり父親だったんじゃないかなあって思ったんだよ。」

「悲しい、って思ったか?」

少年はもう一度考え込むようなそぶりを見せた。

「うーん、悲しくはないかなぁ。ただ、いなくなったんだあって思って、心のどこかに隙間があいちゃったみたいで、変な感じがする。まあ、実際いなくてもなんとかなるかぁって思ってたりするんだよね。」

新鮮な煙と、古く小さな煙が混じり合う。酒場の灯りが目立ち始め、仄かに紫を帯びた白い浮遊物が暗闇の奥へと流れていく。

「生活に困るだろう、お前の面倒をみてくれる人がいなくなったんだぞ。」

少年はじっとケインの方を見つめた。

「よせ、俺にそんな余裕はない、殺した仇のガキの面倒をみるなんてのはまっぴらごめんだ。」

少年はニカっと笑った。

「自分のことは自分でなんとかするさ。アベルだってその気になれば木の根っこでも食べて生きていけるしね。こいつ、その辺のクソだって食ってたりするんだぜ。たくましいだろう?」

ケインは少年の足元で腹這いになっている犬を見つめた。

「アベル、犬の名前か?」

「そう、どこかの教会だったかな。牧師さんがうんちゃらかんちゃら説教してるのを聞いてた時に、この言葉いいなあって思ったのを、一緒にいたこいつの名前にしたのさ。それまで名前なんてなかったからね。」

「まあ、どんな名前をつけようが自由だ。」

「僕がおじさんについてくのも自由、そうでしょ。」

「好きにしろ、どのみち金は出さん。」


ケインは町からかなり離れた場所にある廃墟にキャンプを張った。ここならだれかが襲ってきても、瓦礫を盾にして応戦できるだろう、できるなら今日は御免被りたいが…。そんなことを考えながら、ケインは二人分の遺体を埋葬してキャンプの近くに戻ってきた。肩の傷が痛む上、胸の鼓動が安定していない、何度もこんなことは経験したはずだが、一生慣れることはないんだな、彼はぼんやりとそう思った。痛む手のひらをじっと見つめ、土のためにくっきりと浮かび上がった手相を上から下まで丹念に観察する。汗が額から落ち、泥だらけの手のひらに歪な円形の空白地帯を作り出す。ケインは唾を手のひらに吐きかけてパンツの太ももに擦り付けた。穴だらけで中の白い繊維が見えたジーンズだ。白い繊維とは言っているが、汗と血と泥の混じったそれを「白」と言えるのかは疑わしい。しかし、ケインは他に形容する言葉を知らなかった。どうでもいいことだ、白は白でしかない、彼はそう自分に言い聞かせた。全ては終わった、完結したのだ。あとはいつも通りの日常が続くだけ、今日の出来事すらいつか、いつも通りの一日に変わってしまうんだ。こんな考えが彼の頭の中を緩やかに侵食していった。

「ああ、終わったんだね、コーヒーを淹れておいたよ。」

少年が焚き火の前に腰を下ろしてポットを温めていた。どうやって粉を調達してきたのか、どのようにしてこの場所を特定したのか、疑うべきとはたくさんあったが、極度の疲労感がそれ以上の詮索を打ち切らせた。

「いや、遠慮しておくよ。明日の朝また淹れてくれ。」

ケインは荷物の中から酒瓶を取り出して呷り、傷口にウィスキーを拭きかけた。かすかな痛みが腕全体に広がった。次に干肉をポケットから取り出して食べ始めた。どさくさに紛れて酒場からくすねてきた干肉だ。ケインはふと少年の方に目をやった。どうやらケインと同じ干肉を食べているらしかった。

「お前、コーヒーと同じようにそれも盗んできたんだな。」

「咎めるかい?」

ケインは肩をすくめた。少年はにっこりと笑い、干肉を平らげた。

燈色に揺らめく炎と、大きく勢いのある煙。熱の生み出す力が、炎の上に広がる漆黒を歪ませる。パチリパチリと音を立てて灰の中に埋もれていく薪、ぼうっとあたりを朧げに照らす光、それを囲むケインと少年の顔は歪に揺れている。二人の世界の外に広がる暗闇でコヨーテの遠吠えがこだまする。怯えた表情を浮かべる馬の隣で、アベルが耳をそば立てる。

「おじさん、毛布もってないの?」

一日の疲れに打ち負かされたかのように、冷たい地面に力無く横たわった少年がそう言った。

「ああ、そういえばないな。どこかに置き忘れてきたらしい。」

「命の次に大事なものじゃないか、そんな調子じゃいつか凍死しちまうぜ。」

少年はにやつきながら言った。

「俺は、あまり寒さを感じないんだ。暑さもな。」

ケインはタバコの煙を吐き出しながら答えた。

「感覚がおかしくなっちゃってるのかな、そんなの普通じゃないよ。気候に合わせて生活も変えていかないとさ、早死にするよ、おじさん。」

「そうだなぁ。」

ケインはうつむき、陰鬱な色をした地面をじっと見つめた。虫が一匹死んでいた。それがなんの虫なのか、彼にはわからなかった。

「ひょっとしたら、俺はもう死んでいるのかもしれないな。」

少年はむくりと起き上がってケインの顔を見つめた。

「そりゃないさ、だって今おじさんは僕とこうやって話しているじゃないか。」

死は、誰が決めるものなのだろうか。

「そうだな、だけど死んでるか死んでないかなんて、曖昧なもんだからな。」

「おじさんが夕方言ってたことみたいな?」

「そうだ。だから俺が決めてしまってもかまわないだろう。」

「そういう理屈なら、僕が決めたっていいんじゃないかな。」

「そしたら、お前に聞いてみることにしよう。どう思う?俺は死んでいると思うか?」

少年は考え込むそぶりを見せた後、おもむろに舌を出して微笑んだ。

「死んでるなら、さっきの酒場で死んでたんじゃないかなって思う。」

「それもそうだな。」

ケインは酒をぐっと一息に呷った。

「あんなことはさ。」

少年は、シケモクに火をつけながら喋り始めた。

「あんなことはさあ、しょっちゅうあるのかい?」

一匹の虫がどこかから飛んできて、炎の中に飛び込んだ。虫だったそれは、一片の肉も残すことなく冷酷な煌めきの中に消えた。

「しょっちゅうではないが、ままあることさ。人を殺して生きているわけだしな。」

「人を一回でも殺すと、自分も殺される側になるんだね。」

「人によりけりだけどな。」

コヨーテの遠吠えに答えるように、アベルが芯のとおった声で雄叫びをあげた。

「誰かが復讐しにくるってこと?」

「それもある。さっきの酒場で絡んできた奴は、昔どっかの砂漠で撃ち殺したやつの仲間だったかもしれない。」

「人と人とは、誰かしら何かしら関わりがあるんだね。」

「多からず少なからず、な。」

「もし僕がおじさんを殺したら、誰かが復讐にくるのかな。」

「俺にはそういうやつはいない。」

「じゃあ殺しても大丈夫だね。」

ケインはにっこりと微笑んでから、酒瓶を傾けた。
「僕を殺しても、誰も来ないと思うよ、おじさんは僕のことも殺して大丈夫。」

「今のところはそんな必要もないがな。」

ーーー三人の男が俺を囲んでいる。一人は銃を突きつけており、残りの二人が俺の体をまさぐっているーーー

「今まで殺してきた人の仲間でさ、復讐にこなかった人っているかい?」

ーーー二人は俺から離れ、馬に積んでいた荷物に手をかけ始める。銀貨や酒瓶、タバコなどを荒々しく引っ張り出して自前の袋に詰めていく。銃床で殴られた傷がひどく痛むーーー

「みんな律儀に俺のところへ来たよ。こっちが覚えてなくとも、ちゃんと自分から教えてくれたさ。」

ーーー男は一枚の写真を見つけ出し、ニヤリと笑ったあと、マッチで火をつけて写真を燃やし始める。俺は瞬時に引き金を引き、男の眉間に風穴を開けるーーー

「おじさんや僕には、」

ーーー拳銃を突きつけていた男があっけに取られているうちに、俺はもう一人の男の頭にきっちり二発の銃弾を撃ち込む。男はびくびくと痙攣した後に膝から崩れ落ち、額から血を噴くーーー

「おじさんや僕には仲間はいないけど、」

ーーー拳銃を突きつけていた男が慌てて引き金を引こうとするより早く、俺は男の頭を銃床で殴り、腹を蹴り上げるーーー

「ぼくらの周りには、仲間がいる人たちが大勢いるんだね。」

ーーー怯えた目つきで命乞いを始める男に、銃弾を一発浴びせてやる。男の右肩から血が噴き出し、俺のブーツにかかるーーー

「僕らはなんで、ひとりぼっちなのかなぁ。」

「お前には犬がいるだろう。」

「そっか、そうだね、そしたらおじさんが僕を殺したら、アベルがおじさんを食い殺しにやってくるよ。」

「その時は、おとなしく食われてやろうじゃないか。せっかく来てくれたんなら、それくらいはしてやらんとな。」

ーーー男の顔は何度も蹴り上げたせいかあちこち腫れ上がっており、元がどんな顔だったのかわからなくなってしまっている。俺は眉間があったと思われる場所に照準を合わせ、最後の一発を叩き込むーーー

「そんな簡単にやられるタマかよ、アベルなんか眉間に一発ぶち込まれて終わりだろ。それでぜーんぶおわり、僕も、アベルも、おじさんも。自由さ。」

そんな風に万事簡単に終わってくれれば本当に楽なんだろうな、ケインはタバコの煙を吐き出しながらそう思った。


乾いた地面に続く血痕を追って歩いていると、年老いた鹿が荒い息遣いでよたよたと逃げていくのが見えた。ゆっくりと、気配を殺すよう慎重に進めてきた歩みの緊張を解き、ケインはリラックスした足取りで鹿の後を追った。このサイズであればしばらく飯には困らないだろう、そう考えながら老鹿との距離を詰めていった。あと少しで手が届くというところまで近づいた瞬間、鹿はケインの顔を見てか細い声をあげ、どさりと体を横たえた。じっとこちらを見る鹿の目は特に感情を持ち合わせていないように見えたが、全身はびくびくと震えており、大地を踏みしめようと必死にもがいていた。空を切る前足は、ケインが喉にナイフを突き立てようとしても止むことなく動き続けた。
すっと喉元に差し込まれるナイフ、抜くと同時に一気に噴き出す血液、大きく口を開け、鹿は天を仰ぐ。力強く宙を蹴っていた足の動きは徐々に弱々しくなっていき、噴き出す血の勢いが落ち着いた頃、完全に止まった。鹿を後ろ足から持ち上げ、ロープを使って木の枝にくくり付けて宙づりの状態にし、ケインは皮を剥ぎ始めた。出尽くしたはずの血液の流れが蘇り、ぽたり、ぽたりと地面に落ちた。

朝早く起きてコーヒーを飲んでから、ケインは馬具にくくりつけておいた弓矢を持って狩りに出かけた。一匹の緩慢な動きをしていた鹿が、朝のひとときを過ごしていたケインの目に留まったからである。人間の近くにわざわざやってきてよたよたと歩いていくような鹿だ、もはや前後不覚に陥っているだろうから簡単に捕まえられるに違いない、そうケインは高を括っていたのだが、思いの外狩りは難航した。追跡の途中で、鹿が急に姿を消してしまったのである。消えた地点のまわりに遮蔽物になるような背の高い草や岩はなく、足跡も見つからなかった。まるで鹿が空を飛んではるか彼方に逃げ去ってしまったかのようだった。ふと、彼の後ろからとことことアベルが歩いてきて、一点を見据えながら草原の奥深くまで入っていった。後についてしばらく歩いていくと、木々がまばらに生えている場所に辿り着いた。先程の鹿が木立の間で天を仰いでいた。アベルはいつの間にかいなくなっていた。キャンプ地に戻ったのかもしれない、そう考えてからケインはゆっくりと鹿に狙いを定めた。鹿がケインの方を向いた。朝の光に照らされ、まばゆく輝いている。ケインの体が強張る。未だに鹿はこちらをじっと見つめている。鹿の目が異様に大きく感じられ、ケインの体はその瞳に捉えられたように一時動かなくなる。鹿は朝日の差す方向を向き、歩き出そうとする。硬直状態から復帰したケインはもう一度狙いを定める。

ーーーほんとうにそれでいいのか?ーーー

いいに決まっている。それが掟だろう?


「やぁ、立派な鹿だねえ、こんな丸裸にされているのを見たのは初めてだよ」

少年はアベルと共にケインのうしろに立ち、鹿を眺めていた。その目からは、子供らしい興奮と好奇心が窺えた。

「アベルがつれてきたのか。」

「そうなんだ、急に顔をべろべろ舐められてさ。気持ちよく寝てたのに、起こされちゃったよ。」

皮を剥がした鹿から丁寧に肉を削ぎ落とす。内臓を取り出し、あばら周辺の肉、足回りの筋肉、背中に集中した肉などを、あれよあれよという間に肉体から切り離していく。少年は静かに事の成り行きを見守っている。ある程度解体を終えたところで、ケインは肉をキャンプに持ち帰る算段をつけ始める。これだけの量の肉だが、全て持って帰ることはできない。いつまでも今のキャンプ地にもいられはしないから、ずっと乾かしておくこともできない。しばらく考えたあげく、馬に積み込める分だけキャンプに持ち帰り、残りは放置していくことにした。そのうちコヨーテどもが食べに來るだろう、こう考えていたケインの足元で、既にアベルが片隅に捨てておいた内臓に口をつけ始めていた。彼は、残りの肉もこの犬にくれてやることにした。狩りに貢献してくれたんだから、その報酬を得ることは当然だと思った。

「よかったなぁアベル。うまそうに食うじゃないか。ねぇ、捨てていく肉だけど、僕も貰ってっていいかい?」

「いいけど、生で食うなよ。持ち帰って、焼いてから食ったほうがいい。」

「ぼくはアベルとちがわい、さすがに文明人としての知識はあるさ。」

「お前が文明人、ねぇ。」

鼻で笑うケインの顔を見て、少年も声をあげて笑った。日が昇り始め、気温が上がりつつあった。腐食が始まる前に処理をしなくてはならない。二人は空洞になった老鹿を後に残し、キャンプ地へと急いだ。



煙を浴びて硬く縮こまった肉をバッグに詰め込こんでいたケインの耳に、大地を蹴る馬の蹄の音が飛び込んできた。ケインは拳銃を持って物陰に隠れ、塀の間から様子を窺った。
しばらくして、騎乗した一人の男が廃墟に現れ、あたりを徘徊し始めた。ケインの知った顔ではなかった。男は馬から降り、拳銃を構えた状態で塀の近くまでやってきた。ケインは身を低くして男の動きに神経を尖らせた。塀を素通りして焚き火跡へ近づいていく男、後ろから忍足で追うケイン、二人の距離は、限りなくゼロに近づく。次の瞬間、ケインは男の頭に拳銃を突き付けた。しかし、自らの手には何も握られていなかった。拳銃は地面に落ちており、手のひらに鈍い痛みがあった。気づけば、男のリボルバーの銃口はケインの胸にぴったりとつきつけられていた。一手遅れたな…。ケインは焦りや恐怖ではなく諦観の念でもって状況を受け入れた。

「あんたは誰だったかな?そこら中で恨みを買っているが、髭面の伊達男に覚えはないんだがね。」

「昨晩の酒場のこと、まさか覚えてるよな?あの早撃ちは見事だった。狙いも素晴らしかったぞ、完璧に眉間を貫いていた。」

「そんな大層な男も、今じゃいつ殺されてもおかしくない状態さ。」

「俺はこういう状況に慣れてるからな、仕方ないさ。いつ背後から奇襲を仕掛けてくるかも予想できてたんだ。」

「なんだからしくないやつだな、俺を殺しにきたんだろう?」

「ただお前と話がしたかっただけさ。」

ケインは咳払いした。

「だったら拳銃をどけてタバコでも吸わせてくれないかな。食後の一服がまだ済んでないんだ。」

 男はにっこりと微笑み、引き金を引こうとしたが、次の瞬間自らの歯が地面に突き立てられていることに気づいた。意識が朦朧とし、ケインの言葉がはるか遠くから聞こえてくるように感じられた。次第にそれすらも聞こえなくなり、視界がブラックアウトした。しばらくして聴力と視力が戻ったとき、男は両手を縛られて焚き火の前にあぐらをかかされていた。

「結局俺を殺さなかったのか。」

「タマが無駄になると思ったからな。」

男は口角をあげてにやけた表情を浮かべた。その表情が、ケインの神経を逆撫でした。

「あーあ、余計なことをしゃべらずにすぐ撃ち殺しちまえばよかったよ。」

「できないんだろう?お前みたいなやからには。」

「どうしてそう思う?」

ケインは指もとぎりぎりまで吸ったタバコを焚火に投げ、大きく煙を吐いた。

「お前みたいなやつはな、人に自慢したくて人を殺してるんだ。こうやってあいつを追い詰めてやった、死ぬ時あいつはこんなことを言ってた、俺はそれに対してこう言ってやった、こんな風に吹聴して自分の名声を高めたいだけだ。酒場のゴロツキなり宿の娼婦なり誰かれ構わずその話をして優越感に浸りたい、だから殺しをドラマチックに演出しようとする。そんなやつは引き金を簡単に弾けないもんさ。」

男はクックと笑い、天を仰いだ。

「まあ、それもあるかもしれないな。けれどそんな下品な理由だけってわけでもない。俺は殺しに美学をもっている。好敵手と思った相手に真剣勝負をふっかけて、完膚なきまでに打ちのめし、少し話をしてお互いのことを理解しあってから殺したいんだ。高揚感を得るために。」

「そもそも俺はお前を知らん、それにお前は俺にタバコを吸う時間すら与えなかっただろう。」

「あの瞬間、自分の命が脅かされているってことを本能的に悟ったのさ、ま、一手遅かったわけだけどな。」

「なんにせよそんなつまらんやつに俺は殺せんよ。」

「殺す殺さない、そこはそんなに重要じゃないんだ、俺にとっては。」

ケインは首をかしげた。男は構わず話を続けた。

「わからないか?生と死じゃなく、最高の勝負に執着してるんだ。お互いの優れた技術、高次元の駆け引き、神秘的な対話、こういったものが勝負を鮮やかに彩り、あの世とこの世を分かつ瞬間を美しく刺激的な場面に仕立て上げてくれる。俺はそんな闘争の美の虜なんだ。酒場での撃ち合いを見た瞬間思ったんだ、こいつなら俺の求めている素晴らしい闘争を与えてくれるって。予想通り、あんたは最高の瞬間を俺に齎してくれたよ。」

「言いたいことは、それだけか?」

ケインの声が冷気を帯びた。男は緊張し、身構えた。

「あんたも感じただろう?俺は後ろから迫るあんたの拳銃を叩き落として生殺与奪の権利を得た。これで完全に勝負は決したと思っていたのに、諦観を含んだ対話を挟んだあと、思い切り立場が入れ替わってしまった。おまけに俺もあんたも生きていて、こうやって美についての対話をしている。こんなに素晴らしいことが…。」

男は悲鳴を上げながらうしろに倒れた。右肩からドクドクと血を流している。傷口を抑えつつ、男はふらつく視界を安定させようと目に力を集中させた。その努力も空しく、目の前の風景はぼやけておぼろげになっていく。

「その美しい勝負とやらもこれで仕舞いだ。二度とその薄汚い口を開くな。」

男は震えながらケインの顔を見上げ、怯えた目つきで話しかけた。

「どうして、お互い生き残ったし深い話もしてたじゃないか、どうして、どうしていきなり撃ってきたりなんか…。」

「お前にいいことを教えてやる。」

ケインはタバコに火をつけて深く吸い込み、空に向けて煙を吐き出した。

「勝負ってのはな、そんな生温いもんじゃないんだ。負けた方は、情けない目をして死ぬか、呪詛の言葉を吐きかけながら死ぬか、血を体の穴の至る所から垂れ流しながら死ぬだけ。お前のいう美しさなんてどこにもない。戦いが終われば、勝ったはずの男は胸の内から湧き出してくる底知れない恐怖から逃げるように歩き出す。毎日のように殺したやつの同胞から命を狙われつつ歩き続ける。そんなクソみたいな日々を永遠と繰り返すんだ。人を殺す前は、拳銃をぶっ放したらそれでしまいだと思ってたよ。今でもそうだったらいいなって思ってる。でもな、いくら終わりが来たと思い込もうとしても、頭の片隅からそいつを追い出すことはできない。お前、本当に人を殺したことがあるのか?ないんだろう?あるんだとしたら、余程の馬鹿か、とんでもない幸運の持ち主だな。死ぬ前に教訓を得てよかったじゃないか。これがお前の言う神秘的な対話ってやつなんだろう、ええ?」

「そ、そんな考えで生きてて、なんになるっていうんだ、何も楽しくなんかないじゃないか。」

男は弱々しい口調で反抗した。

「楽しい?」

男の顔が蹴り上げられ、重く鋭い呻き声が響き渡った。ケインは仰向けに倒れた男の右肩を左足で強く踏み、ぎりぎりと踵で締めつけた。

「楽しいわけなんてあるか。楽しい気持ちになることなんて、ありえねえ。ただ殺して、逃げて、殺して、逃げるだけだ。それ以外にない。お前のわけわかんねえ考えに俺を当てはめて語るな。」

「だって、そんな、いや、そうしたらなんで、ああ、くそ、それは生きているっていえるのか?」

ケインは深くタバコを吸い、暗くなりつつある地面を見つめた。

「生きるって楽しいことだろう?そりゃ、そりゃ辛いこともあるかもしれないけど、女買って、技術磨いて、酒飲んで、仲間と語り合って、歴史に残るかもしれない勝負をして、け、怪我をして、でも生き残って、それ、それで生きてることに感謝して…。」

男はそこまで言ってからはっと何かに気づき、ぶつぶつと唸り始めた。肩口から溢れた血は男の上半身を飲み込もうとしている。意識は朦朧とし、いつ途絶えてもおかしくない、そんな状況、ふいに男は顔をあげ、暗く冷たい表情で佇むケインの目をまっすぐ見つめた。

「そうか、そうかお前は…。」

足元に落ちた吸い殻、右足の踵が消え入りつつある火種を踏み潰し、全てをバラバラにする。

「お前もう、死んじまってるんだな…。」


暗がりで死体を埋めていたケインのもとに、騒ぎの間どこかへ消えていた少年とアベルが戻ってきた。少年は、籠のようなものを両手に抱えていた。

「もう済んだかい?」

「ああ、飯にしようか。」

「魚をとってきたんだ。肉ばかりじゃ飽きちまうからね。」

「やるな。釣り竿をどっかでくすねてきたのか?」

「そんなものいらないよ。コツがあるんだよ、コツが。」

焚き火のまわりにぐるりと突き立てた串刺しの魚たちが立てる音を聞きながら、ケインと少年はタバコを吸った。静かで、清潔で、どこか重みのある空気の中、二人はまじり合う煙を眺め、魚が食べごろになる瞬間を待っている。ケインはそこまで腹が減っていなかった。しかし、無性に何かを食べたかった。ゆがむ暗闇に向けてアベルが遠吠えを放ち、呼応するコヨーテの声が寂しげに響く。ふと、完全に炭と化した薪が、灼熱の炎の中にその身を横たえる音が聞こえた。機を見計らったかのように少年は焼けた魚のうちの一尾に手を伸ばし、ケインもそれに続いた。

「これ、焼きすぎちゃったかもしれない。」

少年は湯気をあげる魚にかぶりつきながらそう言った。ケインは思ったより黒ずんでいる魚を見つめ、その背にかじりついた。

「まあ、食えればいいさ。腹が減っていたしな。」

「そうは見えないけど、なんか食べたほうがよさそうな顔をしてるね。」

少年は食べ終えた魚の骨を焚き火に向けて放りながらそう言った。骨は、ゆっくりと炎の中に沈んでいった。白みがかっていたはずの骨は、瞬きするまもなく黒く歪み、滞留した灰の中に埋もれて見えなくなってしまった。

「さっきのこと、」

ケインはよだれを垂らして行儀よく座っているアベルに魚の内臓を食べさせ、口を開いた。

「さっきのこと、聞かないのか?」

少年は次の魚にかかりきりになっていた。ケインは骨を火の中に投げ、次の魚をとって枝を抜き、アベルにくれてやった。

「聞いて欲しいならさ、聞くよ。」

少年は三尾目の魚に手を伸ばしながら言った。余程腹が減っているらしかった。

「いや、聞いてほしいわけじゃないんだ。」

「それなら聞かない。余計なことには首をつっこまない主義なんだ。」

「マセたことを。」

二人は目を合わせてクックと笑った。

「ねえ、僕らは友達なのかな」

「どうだろうな、そういうのはよくわからないんだ。」

「友達がどういうものなのかわからないってこと?」

「まぁ、そうなるかな。」

少年は食の手を止めた。食べかけの魚を火のそばに戻し、左の手のひらを右脇に挟んでから、右手の人差し指をこめかみに当ててリズミカルに叩き始めた。うんうんと唸り声をあげている。

「おい、何をやっているんだ?」

ケインは鼻で笑いながら少年の奇行を観察した。魚のうちの一匹が黒焦げになり、生臭い煙を漂わせていた。その臭いのせいか、ケインは笑い出しそうになった。

「よくわからないな、どこからが友達で、どこまでが友達なんだろうね。」

少年は姿勢を正し、既に焦げ始めてる魚に手を伸ばした。

「ずっと考えていたのか。さっきの変なポーズのままで。」

「そうだよ。あんな真面目な顔で聞くもんだからさ、こっちも真剣にならないとって思ったんだぜ。」

少年は怒ったような表情を見せた。しかし、わずかに口角が上がっていた。

「そいつはすまなかったな。正直な話、大して真面目に考えてはいなかったんだ。」

「人がせっかく子供らしく小さな脳みそを使って考えてやったっていうのに、そりゃないだろ。」

そっぽをむく少年をまじまじと見つめるケイン、溢れ出しそうな感情を必死にこらえる少年、しばしの沈黙、そして、決壊…。笑い転げる二人を尻目に、アベルは焼けすぎた魚に食いつこうか否かと悩み、身構えていた。察した少年が魚を一尾引き抜き、アベルのほうになげてやった。

「明日はどうするんだい?」

「さてね、どのみちここにはもういられないからな。」

「三人も殺っちゃったもんね、人殺しのおじさん。」

「三人で済めばいいけどな。」

「四人と一匹になっちゃうかもしれないってこと?大変だ、今のうちにうまいもん食っておかないと、ねえ、アベル。」

「なぜお前を殺さなきゃならんのだ」

「これから先おじさんの食料が尽きて、他に何があるかってなったら、もう僕らしかいないじゃないか。」

「安心しろ、ちゃんと頭をぶち抜いた上で荒野にばらまいてやるさ。」

「せめて丁寧に食ってくれよな、どこの誰かもわからないやつの胃袋に収まるのなんかまっぴらごめんだね。」

「お前と俺だって赤の他人だろう。」

「赤の他人にだっていろいろあるさ。」

「みんな同じようなもんだろう。」

「その考えはよくない、非常によろしくないよ。」

 夜は更けていく。少なくとも、明日はやってくるらしい。



その日は快晴だった。気持ちよい日差しが二人の顔を鮮やかに照らす中、朝露に濡れた草木が光を乱反射させ、小さな虹をいくつも作っていた。気温はほどよい暖かさで、さわやかな風に吹かれている雲が、青天の大海原に揺蕩っていた。出発に最適な気候だ、ケインはそう考えながらコーヒーを啜った。
 少年とアベルは空を見上げていた。複雑に入り乱れ形を変えていく雲の群れを見ながら、二人は燻製肉をむしゃむしゃと食べる。ふと、一匹の虫が少年の肩にとまって羽を休めた。虫はじっとしてまったく動かない。少年も動けない。やがて強い風が吹き始め、虫は風下に体を向けた。何かをとらえ、機会を窺っているかのように、虫は体をこわばらせている。しばらくして、虫は何事もなかったかのように飛び立ってしまった。

「彼らはさ、どこからきて、どこへいくのかな。」

「どうした、急に。」

「いや、なんかさ、今の虫にはなんかが見えてるような感じがしたんだ。」

「なんかって、なんだよ。」

ケインはタバコに火をつけながら聞いた。その口調に冷たさや苛立ちはなく、穏やかだった。

「なんかはさ、ほら、なんかだよ。」

「よくわかってないじゃないか。」

「僕にわかるわけないだろう?僕はまだ子供なんだ。」

「子供は酒を飲んだりたばこを吸ったりしないんじゃないのか?」

「それはおじさんの偏見だよ。子供だってタバコを吸うし、なんならギャンブルをやるやつだっているかもしれない。むかし旅の途中でとある聖書売りの親子に会ったんだけど、その娘さん、達者にしゃべる上にタバコをスパスパ吸ってたぜ。あの娘、どうしてるのかな。」

「金もないのに何を言い出すと思ったら。」

「ふん、今にポーカーでも覚えて、おじさんの全財産をケツ毛から何まで一切合財ふんだくってやるから。」

「まずは資金集めてからだな。いつもみたいにどっかから盗んでこいよ。」

「そんな大量の金を持ってるとこなんてそうそう見つかんないからねぇ。そうだ、銀行がある町にでもいこうか。」

ケインは微笑んだ。

「おい、ついてくる気満々だな、誰も良いなんていってないぞ。」

「わかってるさ、どうせ僕が聞いたらこういうんだ。」

「勝手にしろ、ってね。」


「ケイン・オブライエンだな?」

ケインは後ろを振り返った。身なりの綺麗な男が騎乗して佇んでいる。逆光になっており、顔はよく見えなかった。

「俺はあんたのことを知らない、誰だ?」

「ケイン・オブライエンだな?」

背筋を凍らす無機質な声。慌てて手を動かそうとするケイン。が、動かない。右手は既に多量の血で赤く染まっている。遅れて脳内に響く銃声、漂う火薬の香り、激痛。即座に左手をガンホルスターへと伸ばす。銃声、左胸部からの出血。ケインはうめきながら仰向けに倒れ、胸の傷口を抑えようともがく。男は馬から降りてゆっくりと近づいていき、悶え苦しむケインのそばまで来て、もう一度問う。

「お前がケイン・オブライエンで間違いないな?」

「だったら、どうする。」

男はケインの頭に銃口を向けて引き金を引こうとする。次の瞬間、アベルが横から男の手に噛み付いた。男はまったく動じず、改めてケインの頭に照準を合わせた。

「もうほっといても死ぬんじゃないかな、それくらいにしといてやれよ。」

男は声のする方向へ顔を向けた。乾いた泥や土埃にまみれた子供が、同じく土に汚れたタバコを吸っていた。

「この男の子供か?悪いがこちらも生活がかかっているんでね。」

「この拳銃が見えるかな?どのみちそいつにはもう何もできないと思うよ。」

子供は左手に持った銃を男に向けていた。不思議に思った男は、ケインのガンホルスターに目を向けてみた。やはりそこに銃はあった。

「その年齢でこの界隈に入ってくるのは感心しないな。子供なら他にやるべきことがあるだろう。」

「あればこんなところにいないさ。おじさんが僕にまっとうな道を示してくれるっていうのかい?」

「生憎俺は聖職者でもなんでもないもんでね。それで、お前は俺を撃ち殺すつもりか?」

「それは、場合による。」

男はケインへの警戒を怠らず、それでいていつでも子供を撃ち殺せるように神経を尖らせた。その表情は恐ろしく冷たく、乾いていた。

「銃を扱ったことがあるのか?腕に自信が?私がお前とこの男を殺すより先にこの私の眉間を撃ち抜くことができるのか?お前の行動でこの男だけでなく自らの命すら失うかもしれないことまでしっかりと考えたのか?誰かお前のまわりに、物事について教えてくれるまともな大人はいなかったのか?」

「べらべらしゃべるより先にどっちも撃ち殺しちまったらどうなんだ?どうしてそこまでして引き延ばそうとする?あんたはそこまで無駄なことが好きそうな人間にはみえないんだけどな。」

 男はケインの目をじっと見つめた。抵抗の意思は無さそうだった。両腕は既に使い物にならないだろうし、出血が酷く意識も朦朧としているはず、報告をうけていた人物像から察するに、ここから必死にあがくようなことは考えられない、そう男は考え、銃をケインに向けながらも意識の大半を少年に集中させた。

「そうだな、私は殺しがあまり好きではない。ただ悲しいことにこれが天職でな、生活していくために仕方なくやっているだけなんだ。できれば賞金の対象から外れている人間を殺したくはない。」

「さっきの一連の行動、手際良すぎだよ。殺しが嫌いな男があそこまでスムーズに物事を運べるとは思えないな。」

「さっきも言ったろう?得意なんだ、人を殺すのが。それに生活がかかっている。何度も説明させないでくれ。」

「それなら障壁となる僕のことも速やかに殺すべきじゃないか?」

「おいおい、論点が変わってしまっているように聞こえるね。私はこの男を殺せればそれでいい、お前は対象ではないから一円にもならない。銃弾の無駄使いだな。」

「もうその男は死ぬ、確認してわかっただろう?僕を殺すのが無駄なように、ほうっておいても死ぬ人間に弾を打ち込むのも無駄じゃないか?」

男は少年の顔を見つめた。表情に焦りや懇願の色はなかった。むしろ、異様なほど落ち着いていた。少年の口調からは一切の熱意も感じられず、語りに強い説得力があるわけでもなかったのだ。しかし男は奇妙な感覚に囚われ、自分が今しようとしていることがあまりにも無意味なことであるように思い始めた。

「一応確認しておこう。この男を助けたいわけではないんだな?」

「それはどうしようもないことだからね。あきらめてるよ。」

「私を殺そうとしているわけでもない、そうだな?」

「そんなことをしようものなら返り討ちさ、わかりきってる。割にあわないことはしたくないんだ。」

「それで、お前はどうしたいんだ?」

少年はケインに一瞥くれ、再度男の目を見た。

「その男と少し話をさせてくれればいい、それから死体をもっていくなりなんなり、好きにしてくれよ。」

今度は男がケインの方に一瞥くれた。

「好きにすればいいが、おそらくもう…。」

血溜まりの中に横たわったケインにアベルが近づく。銃を下ろした男は、自分の馬をとりに行った。少年はケインのところへ歩いていき、その目をまじまじと見つめた。
男が戻ってきた時、少年は既に身支度を整えており、連れと思われる犬を引っ立てて出発の準備をしているようだった。ケインのまぶたは閉ざされていて、顔に飛び散っていた血は丁寧に拭き取ってあった。几帳面なやつだな、男はそう思いながら噛みタバコを吐き出し、つま先で砂をかけた。



死体を積み終え馬に跨って出発しようとしていたとき、男は少年が犬と共に歩いてくるのを見た。懐からタバコを取り出して口に含み、男は彼らが近くまでやってくるのを待った。馬の足元までやってきた少年は、男に銃を向けていた時とはうってかわってあどけない表情を見せながら、こう言った。

「おじさんはさ、やっぱり人から命を狙われることがあるの?」

男はタバコを噛みながら空を見上げた。

「そんなことはしょっちゅうだよ。こんな仕事していると日常茶飯事だからね、腐るほど仇撃ち連中が湧いてくる。」

少年はそれを聞いて考え込んだ。男は別れの挨拶をいうタイミングを見計らった。しばらくして、少年はにっこりと笑ってこう言った。

「そしたら、僕がおじさんの命を狙っても大して気にしないんだろうね。」

「おすすめはしないよ、無駄なことだし、間違いなく君は死ぬ。」

「いいんだ、それまでにたくさん練習するつもりだし、死ぬことだって怖くない。」

男は少年の目を覗き込んだ。

「私に恨みを抱くつもりかね。まあ、それはそれで好きにすればいい。」

「いや、恨んでなんかないよ。むしろ感謝してるんだ。」

「どういうことだ?あの男のことが嫌いだったのか?」

「いや、大好きだったよ。初めてできた人間の友達さ。」

「ならなぜ私に感謝するんだ?」

少年はアベルと顔を合わせた。二人とも穏やかな表情をしていた

「おじさんがあの人を、僕の本当の友達にしてくれたんだ。これからはもう、寂しくなんかないよ。」

風が強く吹いている。草木が揺れ虫たちが飛び回る中、彼らはそれぞれの未来に従い別々の方向へ歩み始める。廃墟に残された血液は乾き、風化し、大地に眠る死体はゆっくりと時間をかけてもといた場所に帰っていく。少年は去っていく男の後ろ姿を眺めながら、両ポケットに差した拳銃を強く握りしめ、寂しげに笑った。



風邪でダウンしておりましてすいませんでした。ちょっと体勢を立て直すため、昔書いた長めの小説を投稿しておきます。ゆっくり読んで楽しんでもらえれば幸いです。

効果音も置いておきます。

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