掌編小説『アンダー•ザ•ブリッジ』 コーヒー1杯の小説シリーズ
おじいさん、起きて起きて。
老人は起き上がる。
ねばつく髪の毛をかきあげ、糞尿まみれの毛布を脇に押しやり、朝を迎えようとする。
穴だらけのカーテンを開け、四つん這いのまま外に出る。
段ボールの壁や屋根が、微かに揺れる。
橋の向こうでは、朝露に濡れた草々が爽やかな光を受けて照り映えている。
老人は、白の世界を見つめている。
その場に座り、暗く澱んだ川を眺めている老人。
ふと、橋の下に誰かがやってくる。
学生服を着た、若い男女の二人組だ。
彼らはぎこちない接吻を始める。
お互いに唾液を与えあう。
不器用ながらも丁寧に、短い舌を絡ませあう。
まるで命のやりとりをするかのように、二人は唇を重ねている。
老人は川の流れを目で追っている。
ふと、三人の男が橋の下にやってくる。
そのうち二人の男が、一人の男を思いきり殴る。
殴られた男は倒れ込み、腹を抱えて蹲る。
すかさず二人の男が、倒れた男の頭を交互に蹴り上げる。
倒れた男は目を見開き、穏やかな川面を見つめる。
二人の男は、満足げな表情で橋の上へと帰っていく。
老人は川の流れを目で追っている。
一人の女が、二人の男に連れられてやってくる。
制服を着たその女は、横たわっている男に目を向ける。
倒れている男は、血反吐のために汚れた自らの制服をぼんやりと見つめている。
女は踵を返し、橋の上へ向かう。
それを追うように、二人の男も白の世界へと戻っていく。
雨が降り出す。
男はうつ伏せになり、這いずり、影から出ようとする。
雨が強くなる。
男の制服に、水が浸透し始める。
雨はさらに強くなる。
男は全身で、大粒の雨を受け止めている。
雨はもっともっと強くなる。
老人は、相変わらず川を見つめている。
老人は蝋燭の火を頼りに本を読んでいる。
彼の読む本は、いつも同じ。
暗闇の中で生まれ、暗闇の中で生きてきた男の物語だ。
その男は何万年もの間、混沌を友として瞑想に耽ってきた。
ある日、男は二人の男の戯れのために、目を得て、耳を得て、口を得る。
そして、最終的に全てを失ってしまう。
家の中に水が浸透してくる。
段ボールの家がふやけて崩れそうになる。
おじいさんは仕方なく本を閉じる。
玄関のカーテンが上がる。
一匹の犬が、入ってくる。
犬には目が無かった。耳も無かった。喉には、穴が開いていた。
毛はすべて抜け落ちていて、だらしなく開いた口から紫色の舌が垂れていた。
糸を引く涎が黒ずんだ歯の間から流れ落ち、黒い水の中へぽちゃんと落ちた。
さあおじいさん、もう時間だよ。
犬の姿を見て、老人は微笑んだ。
蝋燭の火が、ジュッと音を立てて消える。
橋の下には、誰もいない。
橋の下にはもう、誰もやってこない。
お爺さんの読んでいた本の元ネタはこちらです。
また、どうせなんで同名タイトルの名曲も貼っておきます。
例の如く、まったく内容とは関係ありません。
