「面白いと困るから」父はゲームを選ぶ
こんにちは、仮置きの人です。
今日は軽い、どうでもいい話をしていきます。
スレイザスパイアにハマった時の話です。
2はまだ買っていません。
スレイザスパイアが面白いので布教しようとした
いわゆるローグライク系と言われるゲームで、やる度に変化するマップを通りながらボスの打倒を目指すゲームです。
めっっっっちゃ面白いです。
スマホ版もあります。
なので、布教しようとして父親に「私がお金を出して買うからスレイザスパイアをスマホにダウンロードしてやってくれ」とお願いしました。
断られました。
父親がやっているゲームは「無」のゲーム
父親はゲームをやらないわけではありません。
スマホでゲームをしています。
しかしやっているゲームは「無」のゲームなのです。
どんなゲームかというと、
テトリスのようなブロックが置かれた画面に、それに合うブロックを置いて、消して、星を集める。
スタミナがあって、広告を見るとスタミナが回復する。
それを延々と続ける。それだけ。
ストーリーもない、キャラクターもない、スコアはあるけどハイスコアが求められるゲームではない。
これを「無」のゲームというのは開発者が聞いたらガチギレされるかもしれません。
スレイザスパイアだってカード選んでマップ進んで敵倒していくだけじゃん!と反論されるかもしれません。
しかし父親は「無」だからやっている、と言いました。
父親が「面白い」ゲームを拒む理由
それは、「面白いとハマって時間が過ぎてしまうから」でした。
私は、面白いことはいいことだと思っています。
けれど、父親はそれで時間を使うことを好まない。
ただ、時間は潰したいから、ハマらない、面白くない、「無」のゲームを選んでいる。
「面白さ」=「正義」ではない、と思い知らされました。
スレイザスパイアは、面白いが故に、選ばれなかった。
あまりに綺麗な価値観の違い
名前も知らないような、「面白くない」と自覚しているゲームを遊ぶ。
面白くないゲームにも、存在意義はあったのです。
これは、少数派の意見かもしれません。
私は楽しむためにゲームをしており、父親は時間を潰すためにゲームをしている。
だから、私は「面白さ」をゲームの価値と考え、父親は「面白くなさ」をゲームの価値と考えている。
これを価値観の違いと言わずになんと言いましょう。
「面白い」がもたらす弊害
私はゲームにハマって気がついたら朝だった、ということが多々あります。
徹夜を二日連続でして幻聴が聞こえるようになったこともあります。
父親は、それを避けているのです。
時間を潰すためのただのツールとして「ハマらない」ゲームを選ぶ。
だから、面白くない方がいい。
いつでもやめられるから。
なんというか、「無」すぎるだろ……と思いました。
それがいいのか悪いのか、結論づけることはできません。
ゲームを遊ぶ目的が違うのですから、正しいも正しくないもないのです。
ただ私は、「無」のゲームで時間を潰すよりも、「面白い」ゲームで時間を溶かす方がいいなあと思った。
ただ、それだけの話です。
スレイザスパイア2にも手を出したいですが、一度手を出すと永遠にやってしまい、また徹夜の末に幻聴が聞こえることになりそうなので躊躇っています。
こういう思考が進むと、父親のように「無」のゲームに手を出すことになるのかもしれません。
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