小さな優しさは、軍手には向けられない
こんにちは、仮置きの人です。
今日は軽い、どうでもいい話をします。
誰かが誰かのためにした、小さな優しさ。
それを見るのが好きです。
フェンスの上に置かれたかたっぽだけの手袋
誰かが落として、それを見つけた誰かが「落とした人がわかりやすいように」と目立つフェンスの上に置いてくれた。
あるいは、信号の押しボタンの上に置かれた、少し汚れたマスコット。
これも、落とした人が見つけやすいようにわざわざ拾って置いてくれたもの。
こういうのが小さな優しさです。
それを見るのが好きです。
数日後、それがなくなっていると、ああ、よかったなあと思います。
小さな優しさに癒される瞬間です。
対義語:道路に落ちて轢かれている片っぽだけの軍手
手袋やマスコット、マフラーなんかは目立つ場所に置かれているのを見ますが、道路に落ちてる片っぽだけの軍手は放置され、車にびゅんびゅん轢かれています。
これを私は対義語だと思っています。
何故、軍手は小さな優しさを受けられないのか?
それはきっと、「個性」がないから。
小さな優しさを受けるには「個性」が大事
片っぽだけの手袋や、マフラー、マスコットには個性があります。
柄だったり、色だったり、素材だったり。
「落とした人が困るだろうなあ」と思わせる、そんな個性です。
でも、軍手には個性はありません。
白に黄色の滑り止め。
どこにでも売っているから、「無くしたらまた買えばいいじゃん」と思わせてしまう無個性。
同じ落とし物でも、個性の有無でこんなに差が出るのです。
世界は残酷です。
私はきっと軍手側
たとえ片っぽを落としても、「また買えばいいじゃん」と思われて、小さな優しさを受けられない。
きっと、私はそんな側です。
別に迫害された経験があるわけではないのですが、なんとなくそう思っています。
でも、いつか私も小さな優しさを受ける側になりたいから、せめて、落とし物を目立つ場所に置くような小さな優しさをする。
そうすればその小さな優しさが回ってきて、道路に落ちた軍手でも「無くした人は困るだろうな」と思ってくれるかもしれないから。
道路に落ちてる軍手側の皆さんも、小さな優しさを発揮していきましょうね。
いつか片っぽだけ落ちた手袋、あるいはマフラー、あるいはマスコットになれる日を信じて。
その他のシリーズ外の話は以下からどうぞ。
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