花束の行方#10 Side.H

 指定された場所は最近取り壊しが決まった廃工場だった。おあつらえ向きに入り口と思わしき場所に何人かの存在を視認して、一つ大きく息を吸った。

「お待ちしてましたよ、織田聖さん」

 私の姿を確認した一人が声をかけてくる。その声は先ほどの声の人間とは異なるが、この場所にいて私の名前を呼び、辺りを見回す所作を一つ。

「お約束通りですね。無粋なことはされない方と伺っておりましたが、確認をしろとうるさいもので」
「……さっさとしろ」

 口角の上がるその男を睨みつけるが、向こうはどうと思っていないのかそのまま廃墟の方へと足を向ける。勝手知ったる様子を見ながら、その背中を追いかけた。
 コツコツとコンクリートの軽い音が部屋を反響する。反響音からそこまで広い造りでは無いこと、そして荒廃も進んで脆くなった建物の端ではパラパラと砂がこぼれるような音がする。腐食も始まった箇所もいくつか見られ、あくまでもここは仮の場所なのだろうと推察するのは容易なことだった。時折息を吸い込むと埃っぽく、ここに由良を連れてくるようなことになってしまった自分の失態を強く恥じた。

「落ち着きませんか?まぁ、こんなところに来ていただいてこんなことを聞くのもどうかと思いますが」
「さっさと行け。時間の無駄だ」
「おー怖い。……と、着きましたよ」

 下らない御託が続く中、ようやく見えてきた重そうな扉。ここだけ改修された形跡があり、ある程度は用心しているのだろうかと思案する。
 ぎぃ、と軋んだ音を立てながら扉が開かれると、正面に座っている男が一人、こちらを歓迎する笑みを浮かべていた。周りにも見張りがいる。なるほど、全員集合ということか。
 まるで見世物のようだ、とまで考え辺りを見てーー目を見開いてしまった。

「お、まぇ……!」

 そう。目が合った先にいたのは連絡が取れず、顔を最近見ていなかった男ーー角谷蒼汰その人だったからだ。

「やぁ聖さん。この度はどうも」
「……この茶番の首謀は、お前か」
「いいえいいえ、僕はどう足掻いてもそんな器じゃありませんよ。所詮はただの小間使いですから」

 今にもつかみかかってしまいそうな気持ちをぐっと堪え、目の前の人間と相対する。逆上すれば向こうの茶番に振り回され、あまつさえ由良の安否も確認できていない今、下手に動くのは得策とはいえまい。
 そんな私をみてにんまりと笑む蒼汰から視線を外し、中央に座り出迎えた人間の方へと移した。

「先程はお電話ありがとうございます。お顔合わせは初めてですね」

 笑みを絶やさず、好意的な様子の男は一見すれば好青年と思えるだろう。実際そう取り込んでいると言われても差支えはなさそうだし、そういう姑息はうちの奴らと相性は最悪だ。

「改めて自己紹介を。馬場恭太郎と言います。以後お見知り置きを」
「……」
「おや釣れない。口で勝てなければ手が出るとお噂の方でしたが」
「安い挑発は買わない主義でね」
「そうでしたか。いや、それは残念だ」

 ちっとも残念そうに見えない貼り付けた笑顔は気に食わないが、こんなことを言っても仕方がない。それよりも、この場に居ない彼女の安否を案じ辺りを見回すが、その姿はどこにもない。そんな私の様子を見て面白かったのか、くつくつと目の前の男ーー馬場は笑った。

「まさかそんなに必死の形相で探されるとは。これは想定外でしたよ」
「……由良はどこにいる」
「まぁまぁ焦らないでください。まだ、何もしてませんから」

 まだ、とわざとらしく言葉を切り、にたりと笑う。その先のことなど考えるまでもないでしょうと言外に語られた気がして、さらに頭に血が昇りそうになる。気を逆撫でるのが随分好きなのは幼馴染と変わらないが、あいつと同じにしてしまったらアイツが可哀想だ。

「さて、せっかくこちらまで御足労いただいたんです。我々の今後について少し、お話しませんか?」
「話し合いに講じるのなら、まずは安否を確かめてからだ。死んでいるのに了承なんてするわけが無いし、目の前に居ない時点でお前の言葉など信用に値しない」
「それもそうだ。ここは一つ、誠意をお見せしないと」

 周囲の男たちに目配せをした馬場に言われるまま、裏手の方へと入っていく。まもなく帰ってきた男たちが連れてきた人物のその様子に、私の手は今にも飛びかかってしまいそうなほどの感情を強く孕んでいた。
 手首を後ろ手に拘束され、がっくりと項垂れて顔は見えないがその姿は金杉由良、そのものだ。

「ほら、起きてください。あなたの王子様がお迎えにいらっしゃいましたよ」

 馬場の元へと連れてこられた由良は、その手で何度も叩かれ小さな呻き声が上がる。それだけでも体が動きそうになるのをグッとこらえる。
 まだ、その時じゃない。
 何度目かの声かけでゆっくりと顔が上がり、目が合う。蜂蜜色の目はいつもの余裕はなく、諦観と罪悪感の眼差しをこちらに向けていた。

「ごめん、なさい……」
「っ……!!!」

 その頬に、青い痣をつけて力なく笑う、彼女と共に。

「あぁその顔! たまりませんねぇ!」

 嬉しそうな声を上げる隣の男は、私の言葉など聞く気もないようで勝手に話を続ける。

「さて、織田さんの素敵なお顔は見れましたし、彼女の安否もわかったでしょう?改めてお話し合いと洒落こみましょう」
「……何が望みだ」
「なに、僕らの願いはそんなに難しくありませんよ」

 私の様子が面白いのか、だらしないとも呼べるほどの笑みを浮かべつつ、隣の由良へと視線を向けた。

「僕らはまだ組織としては未熟です。領土ももちろんですが、特に資金面においてはなかなかなんです。ご融資いただけるようなコネクションもありませんし、そもそもここはあなた達織田組さんの領分です。無策にしてしまってあなたの逆鱗に触れてしまえばあっという間に壊滅してしまいます」

 ですので、彼女を僕らに譲って貰えませんか?

「もちろん、身柄はお返ししますとも。金杉さんの出資金は僕らにとってこんなにいいものはありません。なんて言ったって、彼女はあの有名な財閥のご子女なんですから」

 表情一つ崩すことなく、つらつら流れる条件に反吐が出そうになる。そんなことするか、と今すぐにでも言いたいが、由良が馬場の手の届くところにいる以上、下手な真似はできない。それに、由良の事情をここまで調べているのだ、うちのことまでもある程度調べが着いていると考えるのが自然だろう。

「それと、この辺一帯のシマを分けてくださいよ。この辺、結構資金集めしやすくて」
「……条件は、それだけか」
「えぇ。十分すぎるでしょう。この条件を飲んでいただけるのであれば、合意の握手としませんか?」

 差し出されたのは、細く直接手など下したことがないような軟弱な手。普段であればすぐにでも振り払うものだが、今の段階で行動を起こしてしまえば由良の命が何より危ない。ただでさえこんな場所に慣れていないであろうに、私の失態でここまで彼女を傷つけてしまっているのだ。これ以上不安を煽るようなことはしたくないし、彼女が傷つくところなどまっぴらゴメンだ。
 だからと言って、それに合意を素直に従ってしまうのも違う。この代紋を背負うからには、たくさんの責任を背負うのだ。

「一つ、尋ねたい」
「なんでしょう?」
「お前はどうして、由良のことを知っている。その様子では、ただの出資者に対する対応でないことは理解しているのだろう」

 私の質問にややあって、馬場は噛み殺しきれない笑いを零した。くつくつと笑い愚問ですねぇ、と一言だけ。


「あなたが蒼汰を招いてくれたからですよ。うちきっての隠密班です。情報を抜き取るなど、造作もありませんよ……懐に入れてくれれば、ね」


 その言葉に蒼汰の方へと視線を向ける。彼は私と目が合うなり一瞬だけ肩をふるわせたがすぐに表情を元に戻した。

「あなたの先代はとても聡明で、慧眼な方でした。素性など聞かずとも受け入れるかどうか、その人間の本質を見抜くことが出来た方だ。だからこそ僕らもあまり出ばったことは出来なかったんですよ。しかし、先代が亡くなってからは怖くありません。素性を聞かず受け入れるところは真似たのかもしれませんが、精査できない人間がやるのはただの愚行ですよ。自らの仲間に不和をもたらす、疫病神だ」
「……」
「加えてあなたの傍にいた相方も亡くなったときた。ーーこれを好機と捉えず、なんと言いましょう!」

 馬場は腕を広げ、大きな喜びを露わにする。

「あなたは所詮、先代の紛い物ですよ。半端なことをしたから、こんな事になるんです」
「……」
「そのいい教訓になるでしょう? 彼女の出資と、一部のシマの譲渡で全て丸く収まる。あなたの失態を、こうして和解交渉しようという話なんですよ」

 悪い話じゃないでしょう?織田聖さん。
 勝ちを確信した表情。誰もがそう思い、私の失態を一生笑い続けるのだろう。事実、父が亡くなってからというもの、比較されたのは一度や二度の話では無い。己の未熟さと父の偉大さを一度に味わうあの屈辱は、形容しがたい。
 だから今回も、きっとそうなのだ。己の未熟故に、隠したいと思っていた彼女を危険な目に遭わせたのだ。こんな抗争に巻き込まれて欲しくないという気持ちは、こうして自らの采配で無為と化したのだから。
 差し出される手。この手を握れば、誰も犠牲になることの無い選択を取れる。代償はとても大きいが、由良を、他の家族の危険を考えれば取るべき選択は、一つだ。

「……蒼汰」
「な、んでしょう?」

 声をかけた蒼汰は、少し言葉をつかえながら問いかけに答える。自分に話が来る度に驚くのは、うちにいる時から変わらない。

「アタシを化かして、どんな気分だい?」

 視線は向けず、問いかける。顔を見たら抑えきれない感情に流されてしまいそうで、だからこそ視線は由良と馬場から外すことは無かった。

「……最高の気分です。あなたなんて、怖くなかった」
「そう、かい」

 私の言葉をどう受けとっただろう。それは今、考える必要はない。
 ゆっくり、馬場の方へと近づいた。歩みを進めたことで覚悟ができたと思ったのか、憎たらしい笑みをこちらに向けたまま手を差し出している。
 カツ、カツ。コンクリートを踏みしめる音が、部屋に響く。薄めの壁だからか吸収されずに反響する音たちの不快さは、しかし今はそれ以上の感情が私の中を支配した。
 目の前には、手を差し出す馬場と、隣で不安そうに見つめる由良がある。拘束された手首はところどころ擦れた跡があるのも痛々しい。すまない、と心の中で何度も謝罪をして、目の前の男に視線を戻した。

「さて、覚悟はお決まりですかね?」
「あぁ。ーーそうだ、ひとついい事を教えてやろう」

 私の声に、馬場は首を傾げる。あなたに教わることなどありませんよ、とでも言いたげな目で見つめる彼に、私はゆっくりと笑みを浮かべた。

「なんでしょうか? せっかく織田さんからご教示いただけるなんて、光栄でーー」

 す。と言いかけた声は、最後まで音となることは無かった。
 代わりにゴロリ、と落ちる奴の首。あまりの事に驚く間もなく跳ねたそれは、恐怖と困惑に染っていた。
 次いで間もなく、強い血飛沫があがる。目の前にいた私と、近くにいた由良にびっしりとついた返り血は、その事実を明確に現実のものだと示す。
唖然。呆然。周囲の人間たちのそんな表情が広がっていた。誰もが何が起きたかわからず、ただ目の前の惨劇が、この現実を受け入れるのに必死なのだろう。


「ーー三下ほど、よく喋るもんだ」


 ただ一人、左手に握りしめた血塗られた刀を振り払った私を除いて。

「久しく使っていなかったから切れ味は少々気になっていたが……杞憂だったようだ」

 誰もが混乱し、どうしてという視線を一斉に浴びる。あぁその顔、爽快だよ。

「ど、こからそんなもの……!?」
「あぁ、お前たちこれを見るのは初めてかい。仕方がないね、特別に教えてやるよーー仕込み杖さ」

 べったりついた血痕を振り払うように軽くそれをひと振り、ふた振りと繰り返す。その度に飛び散る血の跡は、地面に様々な斑点を描いた。

「まさか、アタシが敵陣に、単騎で、丸腰で来るとでも思ってたのかい?冗談はよしてくれよ。笑いが止まらなくなる」

 視線は周りの残党へと向ける。あまりの出来事に体を硬直させる者、足が震えて動けぬ者、私の視線に震え声を出すことも出来ぬ者。先ほどまでの勝ち誇った顔など誰もしておらず、突然の死の立ち会いに動揺は誰しも隠せなかった。

「人が黙ってれば散々の言いよう。どこまで人をコケにすれば気が済むのかとばかり思っていたが、これ以上は我慢の限界だったよ」

 次は、近くにいた人間に照準を合わせる。逃げられるその前に間合いに入り、次の瞬間には肩から体へ対角線を描くように深く一太刀。上がる血飛沫と悲鳴は部屋中にこだまし、膝から崩れてまもなく倒れたそれは動かなくなる。目の前の惨劇は現実であるとこの場にいる誰もに知らしめるために。
 あまりの出来事に固まる彼らを差し置いて、由良の拘束をそっと解く。痛々しく手首に残る縄の痕に少し顔を歪めた。

「由良、すまない。こんな目に遭わせて」
「……貴女」
「一つ、言うことを聞いてくれ」

 私がいいと言うまで、その目を開くな。何があっても、だ。
 そう言い聞かせた私に、由良の目が強く見開かれる。何かを言いかけた唇にそっと指を添え、首を小さく横に振る。

「大丈夫。お前はなにがあっても、生きて帰すから」
「そんなの、まるでーー」
「いいから閉じるんだ。これは願いじゃない、命令だ。ーー目を閉じろ、由良」

 三度同じことを伝えれば、少し困惑を浮かべたまま彼女の瞳が閉じられる。少し震えていた肩を抱いて落ち着けてから、ゆっくり立ち上がった。

「蒼汰の言葉によっては少し情状酌量の余地はあるかとも思ったが……気が変わった」

 視線を再び辺りへと向ける。後退りする者も出てくるその中で、私はにたり、と口角を上げた。

「お前たちは生きて帰さん。ーーアタシを怒らせたことを、地獄で後悔しろ」

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