野晒目貫④ 野晒という題材について
③はこちら
小さな世界に身を置きたくなる時に目貫はついつい見てしまう。
この大月派とされる野晒目貫は時間が有限であることを何か思い出させてくれるようであり、日々を大切にしなければと戒めてくれるような作品でもあり、で一般的には死を連想させる髑髏でありつつもどこか見ていて心にすっと入ってくる心地よさがある。
自身として初めて買った目貫であるが気がつけばもう2年を共にしている。

この髑髏を用いた野晒という画題は桃山時代の鐔工である金家や信家などにも見られ、どのような意図で用いられていたかというのは確かな事は分からないが、仏教思想と密接に関わっていた題材である事は間違いないと思うし、この「経日 悟世非常」という言葉通りの意味が桃山時代のものにもそのまま込められていたような気がしてならない。

この「経日 悟世非常」の意味については①でも書いた気がするが、改めてchat gptに意味を尋ねてみたところ大変分かりやすく回答してくれたので載せておく。

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(以下chat gpt の回答)
「経日 悟世非常(けいじつ ごせいひじょう)」は、仏教的な文脈で用いられる表現で、日々を過ごす中で「この世が無常である」という真理に気づく、という意味を持っています。
各部分の意味
経日(けいじつ)
「日を経る」と書くように、日々が過ぎ去ることや時間の経過を指します。日常生活の中で、時の流れを感じる様子を表現します。悟世(ごせい)
「世を悟る」と書き、「世の中の真実に気づく」という意味です。仏教では、世間の無常さや人間の迷い(煩悩)に気づき、悟りの境地に近づくことを指す場合があります。非常(ひじょう)
「常ならず」と書き、変化し続ける、またはいつまでも同じではないという意味を持ちます。仏教では、「無常」として表現されることが多く、すべてのものが移り変わり、永遠ではないことを示します。
全体の意味
「経日 悟世非常」は、日々を送る中で、この世が常に変化し、何一つ永遠ではないという無常の真理を悟ることを表します。この言葉は、日常の中で仏教的な真理を感じ取ることを勧める教えとして、または無常観を持つ心構えを伝えるものとして使われることが多いです。
人生の無常を受け入れ、日々を大切に過ごすことを促す深い教訓が込められています。
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「人生の無常を受け入れ、日々を大切に過ごすこと」
初めてこの目貫を見た際は平和な江戸時代に作られた野晒図と、戦の多かった桃山時代の野晒図で込められた意味が違うのではないかと考えていたものの、仏教の悟りという視点で考えると、これこそまさに野晒図の共通する意味ではないかと個人的に腑に落ちた次第。
勿論作者ではないので実際のところは分からないわけですが、そのように考えると野晒という題材は今の時代にもとても大事なことを気づかせてくれる題材なのかもしれませんね。


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↓この記事を書いてる人(刀箱師 中村圭佑)

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