戦場に散った溺愛、聖女が捧げた献身の誓い。
あらすじ
結婚を目前に控え、幸せな日々を過ごしていた聖女リディアとアルフォンス王子。誰よりも彼女を愛し、溺愛していた王子だったが、突如始まった隣国との戦争により戦場へ赴くことになる。
圧倒的勝利が約束されたはずの戦だった。しかし敵国は大砲という新兵器を投入し、王国軍は壊滅。アルフォンスは四、こかひ!肢を失い、言葉も動きも奪われた瀕死の姿で帰還する。
誰もが王子の死を望む中、リディアだけは彼を見捨てなかった。かつて自分を深く愛してくれた彼へ、今度は自らの全てを捧げようと誓う。絶望の中で描かれる、哀しくも美しい「永遠の愛」の物語。
『戦場に散った溺愛、聖女が捧げた献身の誓い』
結婚式まであと数日──城内は祝福の空気に包まれていた。白い花々で飾られた回廊を歩くたび、私の胸の奥は甘く満たされていく。磨き上げられた大理石の床に花びらが散り、陽光が窓から差し込んで煌めいていた。隣を歩くアルフォンス王子が、何度も振り返っては私に柔らかな笑みを向けてくれるからだ。その瞳はいつも私だけを映し、深い青の中に甘い想いを湛えている。
アルフォンスは私を見るたびに、決まって口にする言葉があった。
「リディア、君なしでは生きられない。結婚したら、毎日目覚めるたびに君の顔が見たい」
私は胸が熱くなり、頬を赤く染めた。
俯いた私の手を、彼はさりげなく取り上げて口づける。

指先に触れる唇の温かさに、心臓が跳ね上がる。そんな小さな仕草さえ、彼の溺愛を雄弁に語っていた。
「……私もです、アルフォンス。ずっと一緒に……どんな日も、隣で過ごしたい」
私の言葉に、彼は堪えきれないように微笑み、額をそっと合わせてきた。二人の吐息が重なるたびに、世界から音が消えていくような気がした。
けれど、その甘い日々は唐突に終わりを告げる。隣国からの宣戦布告──国境沿いに火急の伝令が走り、戦支度の号令が城内に響き渡ったのだ。祝福の鐘は重苦しい警鐘へと変わり、空気は冷たい緊張に包まれていく。
玉座の間に呼ばれたアルフォンスは、王と将軍たちの前で静かに頷いた。その背筋は凛と伸び、戦場へ赴く覚悟に満ちていた。王族として、国を守る義務から逃れることはできない。けれどその決意は、私の心を深く抉った。
「……行かないで」
私は涙に濡れた声で訴えた。彼の鎧の袖を掴み、必死に揺さぶる。心臓が張り裂けそうで、唇は震え、途切れ途切れに言葉が零れる。
「あなたが死んだら……私は生きていけない。結婚式だって、未来だって……全部、あなたと一緒に夢見てきたのに……」
アルフォンスはすぐに私を抱き寄せ、強く強く抱きしめてくれた。その腕の中にいるだけで、すべてを守られているようで、余計に怖くなる。
「大丈夫だ、愛しいリディア。必ず帰る。絶対に死なない」
彼の声は優しく、それでいて決して揺らがない。私の頬に彼の手が添えられ、流れる涙を指先で拭われる。唇が触れると、胸が焼き尽くされるように切なく甘い。彼の瞳は笑っていた。溺れるように私を愛してくれている、その想いがひしひしと伝わってくる。
「待っていてくれ。勝利の花冠を持って、必ず君のもとへ帰る」
やがて、城門の外から戦支度の太鼓が鳴り響いた。深く刻むような重低音が、私の胸を震わせる。アルフォンスは一度だけ振り返り、私の姿をその瞳に刻み込むと、背を向けて歩み出した。伸ばした指先は虚しく空を掴み、嗚咽が広間に響いた。
私の願いとは裏腹に、愛するアルフォンスは戦場へと旅立っていった。

戦が始まったその日、私は祈りの間で膝を折り、神にひたすら願いを捧げていた。
圧倒的な兵力差、三倍もの軍勢を誇る我が国の勝利は約束されたものだと、皆が口を揃えて言っていた。
だからこそ私は、アルフォンスがすぐに凱旋してくれると信じて疑わなかった。
けれど帰還した兵士たちの姿を見た瞬間、胸に冷たい刃が突き立てられたようだった。
泥と血にまみれ、瞳に光を失った兵士たちが、敗残兵のように城門をくぐってきたのだ。私は駆け寄り、喉が裂けるほどの声を張り上げた。
「アルフォンスは……王子はどこにいるのです!」
兵士の一人が私を見て、言葉を失ったように顔を歪めた。
長い沈黙のあと、かすれた声が零れ落ちる。
「敵は……大砲という新兵器を持ち込んでおりました。黒鉄の筒から火と轟音を吐き出すそれに、我らは為す術もなく……壊走を余儀なくされました」
耳に届いた瞬間、頭が真っ白になった。大砲? 聞いたこともない。祈り続けていた勝利の未来が、一瞬で崩れ去っていく。兵士の声はさらに沈み、私を地獄へ突き落とす。
「殿下は……砲弾の直撃を受けられました。四肢は……すべて……。脳にも深い傷を負われ、もはや言葉も動きも……。ただ、奇跡のように息だけは繋がっておられます」
「……やめて……それ以上……言わないで……」
私は耳を塞いだ。だが兵士の震える声は、容赦なく胸を抉る。涙で視界が滲み、地面が揺れるように感じた。膝が砕け、私はその場に崩れ落ちた。息が苦しくて、喉が焼けるほど痛い。どうして……なぜ……。
「嘘……そんなはず……。アルフォンスが……私を置いて……」
嗚咽が堰を切り、声にならない叫びが口から漏れた。周囲の兵士たちは皆、目を逸らした。誰も私に希望を告げてはくれない。
やがて、担ぎ込まれた寝台の上に彼の姿があった。全身を包帯に覆われ、動かぬ身体。いや動かすものがなかった。
その光景を見た瞬間、私の胸は引き裂かれた。 かつて逞しく馬上に立ち、私を抱きしめて「必ず帰る」と微笑んでくれた人が、今は無惨に横たわっている。
「アルフォンス……! 聞こえますか、私です……リディアです!」
震える声で必死に呼びかけた。その瞬間、彼の瞳がわずかに開き、蝋燭の光に反応して瞬いた。
「……アルフォンス! あなた、生きているのね……! 私の声、聞こえるでしょう?」
返事はない。声も、動きも、もう二度と戻らないのかもしれない。それでも私は諦めなかった。彼の瞳に光が宿ったこと、それが唯一の救いだったから。
私は彼の冷たい頬に手を当て、涙を流しながら囁いた。
「大丈夫です、あなたは独りじゃない。どんな姿になっても……私はずっと傍にいます。あなたが私を溺愛してくれたように、今度は私が全ての愛を捧げます。だから、生きて……アルフォンス」
少しぐらいの傷なら聖女が本来持ってる癒しの力で治してあげる事が出来た。でもアルフォンスは……。
もう一度、私は泣きながら彼に呼びかけた。
答えはなかった。けれど蝋燭の炎が揺れたとき、彼の瞳がもう一度、確かに瞬いたように見えた。その小さな反応だけが、私の心を支えていた。
重苦しい沈黙が療養の間を満たしていた。包帯に覆われたアルフォンスが寝台に横たわるその姿を前に、王は冷酷な声音で言い放った。

「楽にしてやれ。これ以上、このような有様で生かしておいて何になる」
その言葉は私の胸を鋭く抉った。背筋が凍るような冷たさに、膝が震える。周囲に控える臣下たちもまた声を揃えた。
「国の未来を思えば……殿下をこのままにしてはなりませぬ」
「民心が乱れます。王位も揺らぎましょう」
絶望が押し寄せ、喉が締め付けられる。けれど私は、首を縦に振ることなどできなかった。涙で濡れた頬のまま、必死に声を張り上げた。
「いいえ……私は認めません! アルフォンスはまだ生きています。彼は光に応えました。私の声にだって……きっと届いているはずです!」
王の眼差しは冷ややかで、重苦しい沈黙が再び落ちた。
臣下たちは互いに目を伏せ、誰も賛同の言葉をくれなかった。
それでも私は決意した。かつてアルフォンスが私を守り抜き、誰よりも深く愛してくれたように、今度は私が彼を守る番なのだと。
それからの日々、私は彼の傍らを片時も離れなかった。
彼の手はもう存在しない。
だから代わりに、その額にそっと手を添え、祈るように触れ続けた。彼の呼吸は浅く弱々しい。それでも私は語りかけた。
「今日も陽が差しています。窓から見える庭のバラが綺麗に咲いているのですよ。あなたが好きだと言っていたあの白い花も……」
返事はなかった。
けれど私は諦めなかった。静かな歌を口ずさみ、彼の耳元で昔の思い出を語った。初めて出会った日のこと、星空の下で手を取り合った夜のこと、そして婚約を交わした日の喜びを──
ある日、侍女が涙ぐみながら私に囁いた。
「聖女様……どうしてそこまで……殿下はもう……」
私は彼女を見て、強く言った。
「いいえ、彼はまだ生きているのです。ほら……光に応えているでしょう?」
その瞬間、蝋燭の炎に照らされてアルフォンスの瞳が微かに瞬いた。侍女は驚き、息を呑んだ。私は額に口づけを落とし、優しく囁いた。
「ねえ、アルフォンス。あなたはまだ私を見ている。だから私は絶対に諦めません」
やがて、私は庭へと寝台を運ばせるよう頼んだ。陽光が降り注ぐ中、柔らかな風が頬を撫でる。小鳥のさえずりが聞こえ、バラの香りが漂った。その光景の中で彼の瞳がかすかに揺れ、まるで応えるように光を反射した。
「ほら、ご覧なさい。外の光は美しいでしょう?」
私は彼の額にそっと手を添え、涙を浮かべながらも微笑んだ。
「あなたが私を溺愛してくれたように、今度は私が全ての愛を捧げます。どんな姿になっても、あなたは私の大切な人です」
周囲で見守っていた侍女たちは、誰一人言葉を発することができなかった。ただ静かに涙を流し、聖女の愛の深さに打たれていた。
陽光の差す庭に寝台を運び、私はアルフォンスの額に手を添え、いつものように語りかけていた。青空の下、白い花々が風に揺れ、鳥たちのさえずりが静かな音楽のように響いていた。柔らかな光が包帯に覆われた彼の身体を照らし、その姿を一層痛ましくも神聖に見せていた。

「今日はとてもいい天気ですよ、アルフォンス……」
私は震える声で話しかけた。返事はなかった。けれど、かすかに彼のまぶたが震えたのを、私は見逃さなかった。
「アルフォンス……! 聞こえているのね?」
胸が強く波打ち、溢れる涙をこらえきれなかった。嗚咽に濡れた声で、それでも私は微笑みながら囁いた。
「あなたが生きていてくれるだけで、私は幸せなの」
その瞬間、彼の瞳が淡く揺らめいた。
光を映すその瞳は、必死に言葉を紡ごうとしているようだった。私は額に唇を寄せ、彼の震えを心で受け止めた。
「どんな姿でもいい。私は絶対に離れません。あなたが私を愛してくれたように、今度は私が一生をかけてあなたを守ります」
涙が頬を伝い、胸に熱いものが込み上げた。その時だった。アルフォンスの瞳が私をまっすぐに見つめ、かすかに瞬いた。そこに確かに言葉が宿っていた。
──ありがとう。もう十分だ。君は私を愛してくれた。だから、どうか……楽にしてほしい。
胸が締め付けられ、息が詰まった。耳に届いたわけではない。けれど、その想いは確かに私の心に伝わった。私は声を失い、嗚咽を抑えながら彼の顔を見つめ続けた。
「……そんなこと……言わないで……お願いだから……」
震える指先で涙を拭き、彼の頬に触れた。愛しい人の最後の願い。その重みが、私の心を深く切り裂いた。それでも、私は彼を苦しませたくはなかった。彼の瞳に残る最後の光を、安らぎに変えてあげたかった。
私は枕元に置かれていた白い布をそっと手に取り、彼の唇に添えた。柔らかな布越しに伝わる息は、次第に弱まり、静かに消えていった。
光に反応していた瞳が、最後に優しく瞬き、やがて安らぎに閉じられた。
「アルフォンス……永遠に、あなたを愛しています」
声は涙で震えていたが、笑みを浮かべて言った。庭を渡る風が花びらを舞わせ、陽光が二人を柔らかく包み込む。その情景の中で、哀しみと共に「変わらぬ愛」の誓いだけが、永遠に刻まれていた。
──そして私はこれからも、彼と共にある。たとえ姿が見えなくても、アルフォンスは永遠に私の傍にいる。

