終戦記念日に思うこと
今日は終戦記念日。
私が大学で研究したのは、吉行淳之介でした。
吉行淳之介について書くために大学へ入り、文学部国文科を選んだほどです。
ご存じない方も多いかもしれませんが、娼婦や男女関係を繰り返し描いた作家です。堅い家だった私の実家で「吉行淳之介が好き」と言うと、家族は少し困った顔をしました。
「第三の新人」と呼ばれた作家ですが、少なくとも当時の私の周りでは、今ほど評価が定まっている感じでもありませんでした。
ただの大学の卒論ですし、今も詳しいわけではありません。
それでも私は、彼を大きく翻弄したものの一つは、戦争だったのではないかと思っています。
あれほど勇ましいことを言っていた人たちが、敗戦した途端に手のひらを返す。
そんな姿を見たからこそ、社会的地位や建前、思想とは関係のない世界へ、そしてそこに生きる女性たちへ「耽溺」していったのではないか。
「耽溺」は、吉行がよく使った言葉でもあります。
吉行淳之介の本を読むとなぜか、
「戦争は嫌だ」と思ってしまいます。
「戦争反対!」なんてひとことも書いてないけど!です。
(なんならひそかに反戦作家だと思ってるぐらい笑)
話は変わりますが、昔、親戚の集まりで戦争の話になったことがあります。
誰かが、
「〇〇ちゃんは、戦争から帰ってきたら目つきが悪くなっていた」
と言いました。(敵機を探す役目をしていたとか言っていたかな)
幼い私が聞いていることに気づいた父が、慌てて、
「いや、××ちゃん、子どもも聞いているから、そういう話は……」
と止めたことまで、セットで覚えています。
父は、戦争のことをあまり話したがりませんでした。
幼い女の子に戦いの話なんて!と思っていたのかもしれません。
戦争は語り継がなければ、というのはよくわかる
でも、語ることさえ嫌な人、思い出したくない人もいる。
晩年、父は少しずつ話すようになりました。
ところが、その頃は私のほうが、
あまり聞きたい気分ではありませんでした。
今思えば、残念なことをしました。
それでも、あのとき親戚が何気なく口にした、
「戦争から帰ってきたら、目つきが悪くなっていた」
という一言だけで十分です。
戦争は怖い。嫌だ。
そして親戚の集まりには、そんな何気ない会話を子どもが聞く意味もあるのかなと思います。
終戦記念日。そして、お盆で親戚が集まっている方もいるでしょう。
そんなことを、ふと思い出して書いてみました。
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