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Katsurao AIR アーティストインタビュー vol.10 内田聖良さん(後編)

アーティストが葛尾村に滞在してリサーチや制作を行うアーティスト・イン・レジデンス・プログラム「Katsurao AIR(カツラオエアー)」。2025年6~7月の2か月間、3名のアーティストが葛尾村で暮らし、それぞれの視点から制作に取り組んでいます。7月24日(木)から27日(日)の4日間は、葛尾村内にて、制作過程を公開するオープンスタジオ形式での活動報告会を実施いたします。

前回に引き続き、滞在アーティスト 内田聖良(うちだ・せいら)さんのインタビューをお届けします。(聞き手:Katsurao Collective 阪本健吾)

地域住民の方のご自宅にお邪魔して、お話を伺う内田さん(左)

——中編までは、内田さんの活動のうち、テクノロジーを用いた表現や既存のシステムを利用して価値を再流通させるような取り組みについて伺ってきました。そのうえで、近年は地域の文化、特に民話や信仰といったものに着目されているのですよね。

阪本さんは、「昔話」と「伝説」と「神話」と「民話」、それぞれどう違うかわかりますか?

——え!えっと……まず、神話は、文字通り、神さまの話……?

そう、神が出てくるのが神話です。権力者の起源を説明して、その権威性を裏付ける機能を果たすことが多いですね。

では、伝説と昔話はどう違うでしょう?

——えーー……。昔話のほうが素朴で、登場人物に権威性がない気がします。伝説は偉い人が出てきそうな感じでしょうか。

そうですね。伝説は、実際の出来事や場所を説明しようとします。例えば、五十人山の山頂で、坂上田村麻呂が蝦夷地平定の際に家臣たちと50人で座って作戦会議をした、というようなものですね。

昔話は「むかし、むかし、あるところに……」ではじまって、どこの話なのか、誰の話なのかもわからない。音とリズムと話の展開で構成されている、形式化されているお話です*。

*詳しくは、昔話研究者、小沢俊夫さんのラジオをお聞きください。(内田)

——確かにそうですね。

そして「民話」は、戦後のあらゆる語りを表象する言葉で、広い意味で使用されています。戦争体験の語りから、単なるうわさ話のようなものまでを、包括的に含んでいるように思います。

なかでも私が興味を持っているのは、「昔話」的なお話です。酔っぱらってドブに落ちてしまった人を「あの人は狐に騙されちゃったんだね」と言ったりとか、「桃太郎」はじつは高齢出産のお話なのではないかとか。

そういったお話って、村社会でのコミュニケーションを前提としてるように思うんです。みんな知り合いだから、悪口は言いたくない。でも、ずっと自分の中だけに溜め込んでいたら、モヤモヤしてしまう。そういったことをうまく解消するような機能が、昔話や民話、フィクション的な語りにあったんじゃないかなと思っているんですよね。

——直接的には言えないけれど、作り話に真実を忍ばせておくというか。小説が持っている機能とも近いかもしれませんね。

いまの世の中では「ファクトかフェイクか」と様々な情報が飛び交っていますが、「むかし、むかし、あるところに」っていうのは「今からウソの話をはじめます」っていう「お約束」なんですよね。漫才師が漫才を始めるときに言う「おれ店員やるから、おまえ客な」というフレーズにも似ています。そのときに「いや、あなたたちは漫才師でしょう!」なんて言うのは、とてもナンセンスですよね。

ウソだとわかっていながらも、この人はほんとうはこう思っているんじゃないか……?と考える想像力は、現代社会に生きる人にとってもじつは有用なのではないかと思っています。

——葛尾村では「捨てられない品物」について、たくさんの方々に話を聞いていらっしゃいます。7月24日(木)-27日(日)に葛尾村内で実施する活動報告会も楽しみにしています!

《SHIGOTABI ツアー「バーチャル奉納ツアー 〜精神の脱皮編〜」》より作品内部のスクリーンショット,2022年 撮影:木奥恵三 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

アーティストインレジデンスプログラム「Katsurao AIR」

本インタビューの完全版を、各種リスニングサービス および note音声投稿にて配信中です。


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