日光道中・奥州道中 その34「足跡を たどり覗いて たぬき見ゆ(草加宿)」
草加駅前、お煎餅を焼いている「おせんさん」の方を、遠くの商店街から「じ~っ」と見ている生き物が!(笑)

ぽ~ん♪
商店街からこちらを見つめる、たぬきさん!

実用性もあるたぬきさんのようです。
「いちばんどおりこみち」の文字が記された、「草加駅前一番通り商店街」のたぬきさんです。
商店街のサイトにも「マスコットはたぬき」「たくさんのたぬきが隠れています」と謳われている商店街!
街道からは少しだけ離れますが、たぬきの絵姿に吸い込まれるように商店街を散策します。

粗い熊に見えてしまいますポコ・・・
商店街を少し進むと、遊歩道の入口を見つけました。

いちばんどおりこみち
看板のたぬきさんをよく見ると・・・

さては、駅前の「おせんさん」から
焼きたてのお煎餅を手に入れましたね!
抜け道のような遊歩道へと分け入ってみます。

遊歩道の途中で、なにやら、横文字がやたらと目立つ案内板が見えてきました。



街の風景の移ろいを伝える看板。
平成28年につくられた看板なのかな?

重厚な造りの「旧農協」の建物は平成の世にも残されつつも、隣接する「購買部」の建物は今は更地になっていたり、この「一番通りこみち」が、かつては自転車やタイヤなどが放置されたような抜け道だったり、「旧丸久前」の昔の写真は、洪水のように水が溢れていたりと、いろいろと発見のある今昔の写真です。
そして、特に気になった「旧菊水旅館」前の風景。

今は跡形もなくなった旅館の建物ですが、この界隈にも由緒ありそうな旅館があったのですね。
さらに「ふれあい小路」を進むと、もう一つ案内板が見えてきました。

こちらは、日光街道の草加宿にまつわる案内板。
案内板にあるとおり、草加が日光街道の宿場町として成立した(幕府から、公用の書状や荷物を次の宿場まで届ける「伝馬」の任務を負う「問屋場」が置かれる地に指定された)のは寛永七年、西暦1630年のこと。
江戸時代の最初の頃の日光街道は、草加の辺りに点在していた低湿地を避けて、千住の北の「花又」から東に大回りして、古利根川沿いの「八條」などを回り込んで越谷へ通じていました。
その後、草加付近の人々が湿地を埋めて整地するなどしたこともあり、千住から草加を経て越谷へ、直線的な最短距離で北上する街道がつくられたそうです。
この案内板、まだ続きます(とても横に長い案内板のため、正面から一枚の写真に収めることができず、何枚かに分けて撮影しました)。




この後の街道散歩で出てきたり
立ち寄らなかったりします。
案内板を眺めているうちに、「一番通り小道」の出口の近くまで進んできました。
すると、ここで、お煎餅をボリボリと食べている音が聞こえてきました。
そちらの方に目を向けると・・・

引込分電盤の前の木陰に腰を下ろして
ぽ~ん ポリポリポリ
ぽこ~ バリバリバリ
と、美味しそうにお煎餅に食いついている方々が!(笑)



うしろすがたも
たぬきです
一番通りこみちから、一番通りの商店街へと入ります。
ん?
足跡・・・???

ぽここ~♪
これは、たぬきさんの足跡のようです!
足跡の大きさが3~4センチメートルくらいで、指が4本あるものは、たぬき、きつね、ねこ、いぬ。
そのうち、猫は、指先の「爪」の跡が残らないので、この足跡の持ち主としては、「にゃ~ん」は最初に除外されます。
動物の足の裏で球状に膨らんでいて、毛が生えていないために足跡の形を残す部位、いわゆる「肉球」、正式名所は「蹠球(しょきゅう。「蹠」は「足の裏」などの意味。)は、人でいうと「掌(手のひら)」にあたる「掌球(しょうきゅう)」と、それぞれの指先にあたる「指球(しきゅう)」などに分けられますが、「掌球」と「指球」の間が詰まっているように見えるのがイヌ、少し開いているように見えるのがタヌキとキツネだそうです。
そして、足跡を全体的にまとめた形が縦長の菱形に近いのがキツネ、少し横長な感じに広がっているのが、我らが(?)タヌキの足跡とのこと。
引用:タヌキなど野生動物の足跡の見分け方
なお、足の指が5本ある足跡の持ち主は、アライグマ、ハクビシン、ツキノワグマ、イタチ、ニホンザル、そしてニンゲン・・・油断ならない危険な面々が含まれているので、5本の足跡を見つけたら油断せずに気を付けませう・・・(???)
