日光道中・奥州道中 その33「稲の香を からり焙りて 押瓦(草加宿)」
草加宿の町中を進みます。
歩道沿いの植え込みのようなところに、なにやら、道標のようなものが見えてきました。

葛西
の文字が見えます

「葛西道」の文字が見えました
日光街道と「葛西道」の追分(交差点)を示す道標のようですが、道標のつくられた年代などの詳しい記載は見つけられませんでした。
「葛西道」、その名のとおり「葛西へ通じる道」なのでしょうが、詳しい道筋や、道の由来については判然とせず、ネット検索しても「草加と葛西を結ぶ道」といった説明しか見当たりません。
道標に記された地名「葛西」は、今の「葛西駅」付近に限らず(葛西駅の開業は昭和44年)、古くからの地名「葛飾郡」の「西側」の広い範囲を含む「葛西」地域の意味かな?と予想しました。
引用:律令の時代に成立した「下総国 葛飾郡」について。
太日川(ふといがわ。今の江戸川の原型となる川)沿いの、南北に細長い地域が「葛飾郡」に含まれていた。
https://www.city.katsushika.lg.jp/history/history/2-1-2-53.html
引用:南北に細長い「葛飾郡」のうち、北側は下河辺と呼ばれ、南側は太日川を境にして、川の西側が「葛西」と呼ばれ、葛西氏(武家の名前)や葛西御厨などの由来となった。
https://www.city.edogawa.tokyo.jp/documents/9196/1-08.pdf
引用:「葛西」地区の重要拠点として、今の青戸(青砥)付近に、室町時代から戦国時代にかけて「葛西城」が築かれていた。
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/188044/#toc-6
引用:水戸街道の宿場「新宿」は、「葛西新宿」、つまり「葛西」地区につくられた宿場町だった。
以上、「葛西」の場所のヒントを探しつつ、草加から「葛西」へ通じる、それらしき道を古地図でたどってみたのですが、この道が旧道だ!とズバリ言えそうな道は見つけられず、道標の「葛西」の具体的な場所も特定できず、とりあえず、ここからは南東方面へ、「葛西」地区への道が古くからあったのでしょう・・・としておきます。
「葛西道」道標の少し先、信号のある大きな交差点から、草加駅の東口へと寄り道します。

などが見える駅前風景です。
引用:草加駅前「アコス」の由来。
草加駅前の再開発により平成四年に完成したそうです。
せっかく駅前に立ち寄ったので、駅のまわりをぐるっと眺めます。

ラテン帽子か
UFOか
何やら香ばしい薫り、美味しそうな薫りを感じると・・・!

駅前広場のテーブルの上で、御当地の銘菓「草加煎餅」を焼いている人が!

お煎餅を焼くには、「網」の上で何度もひっくり返しながら焼き上げる必要があるそうです。
そして、網の上で煎餅を焼いていくと、熱により煎餅の生地が反ってしまったり、表面に気泡が生じたりするため、「昔のアイロン」のような道具「押瓦(押し瓦)」を上から押し当てながら焼いていくそうです。
引用:草加煎餅の歴史と製法
「草加煎餅」を名乗るには「押し瓦での型焼き、または、押し瓦方式を取り入れた堅焼き」が求められるそうです。
引用:お煎餅つくりの道具
「押瓦(おしがわら)」の実物も紹介されています。
https://shimeya.com/teyaki.html

焼き網の上で、押瓦と箸を使いこなして煎餅を焼き上げていく、達人の風格を持つ人物!
その正体は、先ほど引用した「草加せんべいの歴史と現在」サイトにも登場する、草加煎餅の発祥にまつわる物語の主人公「おせんさん」の像です。
そして、煎餅を焼き上げている「おせんさん」への熱い視線を感じました(笑)


次のお煎餅も、そろそろ焼きあがる頃かな~♪

焼きたてのお煎餅をポリポリと食べている、食いしん坊さんが!

座っている椅子に名前が見え隠れしていますが、駅前の商業施設「アコス」にちなんで名付けられた「アコスのアコちゃん」です。
「アコス」の開業に合わせて、平成四年(1992年)に、草加市に在住していた彫刻家「麦倉忠彦」氏の作品「おせんさん」と「アコちゃん」像がこの地に設置されたそうです。
ん???
「アコちゃん」とはまた別の方角から、「おせんさん」が焼き上げたお煎餅を見つめる、なにかの視線が・・・!

お煎餅 食べたいぽこ~
(続く・・・のか?)
