日光道中・奥州道中 その36「うそまこと たぬきばなしが ポンと咲く(草加宿)
今回も街道からは二丁ほど離れて、「ぽんぽこフォレスト」から商店街をたどります。
少し進むと、前々回の記事で取り上げた、昭和中期頃の風景写真が載せられた案内板に出てくる「旧 菊水旅館」跡地の横を通ります。

かつては「菊水旅館」があったそうです。
さらに商店街を歩き抜けると、和風の屋敷のような門のある公園に差し掛かりました。

「棟門」でしょうか?

近寄ってみましょう。

この公園「住吉とやま公園」の案内板。
公園の名称のうち、「住吉」は、この公園付近の現在の地名です。
「とやま」は、大川家(草加の有力者、後述します)の敷地を囲む林のこととあります。
古くからの言葉「外山(とやま)」には、人里に近い山林や森林という意味があり、人家に近い森林、あるいは、屋敷の外側の森林として「外山(とやま)」と呼ばれていたのでしょうか?
(なお、古くからの言葉遣いで、いわゆる「山岳」に限らず、平地の森や林も「やま」と呼ぶことがあったそうです。)
そして、この「とやま」の由来となる屋敷を構えた、草加の町をひらいた「大川家」。
江戸時代初期に、「大川図書」が、沼地や低湿地が広がり、街道からは外れていた草加の地を開発し、後には、大川家の一族の中から草加宿の本陣を営む人物もあらわれました。
なお、「大川図書」の、図書(ずしょ)は、本来は朝廷の官職名の一つ、その名のとおり書物の管理などを行う役職の意味ですが、大川図書が生きた戦国時代から江戸時代にかけては、各地の武家が、朝廷から官職に任命された事実もないのに、もっともらしい官職名らしきものを勝手に名乗ることも多かったそうです。
(このように、各地の武家が、いかにもありそうな官職の名を勝手に名乗っていたことについて「百官名(ひゃっかんな)」という用語があるそうです。
例えば、時代劇の登場人物にありがちな「外記(げき)」とか「民部(みんぶ)」とか「内蔵助(くらのすけ)」なども百官名の一種らしく。)
また、「大川図書」については、元々は小田原北条氏に仕えた相模国の武士「土本」氏で、小田原城が落城した後は岩槻に移り住んだという話があるようですが、そのあたりは判然としなかったため、ここでは「そのような話があるようです」にとどめておきます(あしからず)。
引用:草加宿の歴史にまつわるサイト
こちらのサイトにも、大川図書が草加の地に街道をひらいた話が紹介されています。
「住吉とやま公園」から、さらに商店街を進みます。



道の向かい側の「うなぎ」が
チラチラ気になりそうな、たぬきさん。
そして、道を進むと、このようなタヌキ看板も!


この先の「歴史民俗資料館」で、子供が描いた「たぬき絵」の展示会があるそうです。
そういえば、なぜ、この町の商店街はタヌキだらけなのでしょうか???
「歴史民俗資料館」の詳細は次回にまわして、話を少し進めて、資料館の「たぬき絵」展示室へ。

「狸提灯」だそうです。

「たぬき絵」企画に関する説明文。
「江戸時代、外山公園の周辺にはたぬきが住んでいたということで、この通りが「ぽんぽこ通り」が呼ばれるようになった」という簡潔な説明。
たぬきにまつわる伝承とか、具体的なタヌキの話があるわけではなく、昔、たぬきが住んでいたという、なんだか曖昧な感じもする由来です。
ただし、由来はなんであれ、数多(あまた)の動物やキャラクターの中から、たぬきが商店街のシンボルに選ばれ、たぬきのオブジェなどもつくられ、たぬきに親しむ人々が増えていくなら、良しとしましょうポン!
(引用した「まちづくり」議事録をまとめたPDFの5枚目には、さらなる裏話が・・・!)
https://www.city.soka.saitama.jp/cont/s1403/020/010/050/initiative_vol.01_gijiroku.pdf
「たぬきにまつわるストーリーを勝手に、しかし計画的に作った」ことで、たぬきの街灯やオブジェが並ぶ、たぬきだらけの商店街が!
いかにもな由緒のありそうな「たぬき商店街」の由来が、まるで、たぬきの葉っぱで「ドロン」と化かされたような、虚実入り混じる町おこしの作り話だったとは?!
これは、心地よいほどに見事に化かされましたぽこ(笑)
まるで、実在しない官職名をもっともらしく名乗り上げて歴史に名を残した「百官名」のように、計画的に作り上げられた「たぬきストーリー」から、いかにも狸にまつわる伝承がありそうな商店街の風景が生まれたとは!
たぬき、おそるべし!
(これを言いたいために長々と書いたのか? 笑)
