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日光道中・奥州道中 その19「悟りは遠い仏の道 意外と遠い二丁の道(千住宿~草加宿)」

 商店街のカエルさんに見送られ、街道に戻ります。

 すると、すぐ先の交差点の角に由緒ありそうな祠を見つけました。

2024年4月の風景

 祠の横のお地蔵様、ときどき衣替えをされているようです。

2015年は青い服でした
2014年は赤い服でした。

 祠には「石不動尊」の扁額が掲げられています。
 にゃんぽ会のときに祠の中を拝むことができました。

 「耳不動尊」と記された不動明王の石像が祀られています。
 「耳不動」の名前は、耳の病いに効く御利益があるという言い伝えがあり、耳の病に悩む人々が詣でていたそうです。

 街道歩き中で見かけることもある「不動明王(お不動さま)」、私もうろ覚えでよく分かっていなかったりするので、備忘録的にあらためて確認(私の理解用の覚え書きなので、厳密な用語などからは外れた適当な表現があるかもしれませんが、あしからず)。

 不動明王の「明王」は、仏の世界の人々(私が理解するための大雑把な呼び方です)のランク的な位置づけの一つで、悟りをひらいて智慧を得た「如来」や、悟りをひらく修行を重ねつつも現世(人間界)にとどまり人々を救う手助けをする「菩薩」に次ぐ位置づけとされ、仏の教えに耳を傾けずに「煩悩」にとらわれる人々に対して、実力行使の手段を用いても仏の道に導いて救う存在とされています。

(さらに奥深い話では、「明王」は、じつは「如来」の化身であり、「如来」が「煩悩」に実力で立ち向かい、煩悩に迷う人々を救うときの姿であるという話もあります。)

 「不動」とは、その名のとおり「揺れ動くことのない」強い信念の持ち主の意味を持つとされ、「不動明王」の姿には、煩悩や障壁を焼き尽くす炎を背負い、心の迷いを断ち切る剣と、煩悩を縛り付けたり人々を仏の教えへと導くための縄を持ち、揺れ動かない物を象徴するような硬い岩座「盤石(ばんじゃく)」の上に鎮座する様子が描かれています。


 とりあえずの、自分用のまとめ解説はこのくらいで ぽこ。

お不動さまの由来、奥深いぽこ・
タヌキが簡単に化けられる相手ではなさそうぽこ・
化けようとしても、このとおりバレバレポン・
(なお、この狸さんは、日光街道や足立区とは全く違う場所で見つけました。
いわゆる特別出演でこの記事に出てきたポン)

 分かったような分からないような備忘録的な解説はこのくらいにして、散歩に戻ります。
 耳不動尊の祠の前には、道標らしきものがあります。

 子育(おそらくは右読みで記されています)
 八彦尊道
 是より二丁行く
 昭和四十年一月吉日 再建
 奉納 足立区梅田町
などと記され、さらに、道標の表面の下側には、現代の人々の名前、おそらくは家族・親族のような同じ苗字の人々の名前が記されています。
 「二丁」なら、今の距離なら218メートルくらい(一丁は約109メートル)ですので、「八彦尊道」に少しだけ寄り道してみます。

 「看板建築」のように、建物の、道路に面した正面が上へと張り出した造りの家屋があります。
 正面側の扉の様子や、側面(脇)に設けらえた勝手口のようなドアの様子からして、かつては、小売店か何か家業を営まれていたのでしょうか。
 


 

 昭和の半ば頃の雰囲気を醸し出す住居表示板。
 検索してみると、「足立区梅田」が「梅田町」から「梅田3丁目」などと細分化されて整理された「住居表示」が実施されたのが1965年(昭和四十年)らしく、その頃に新たな地番を周知させるためにつくられた表示板とすると、看板の雰囲気とも合う気がします。

これは初めて目にしたかもしれません
「足袋」を「物産株式會社」が扱っていたのかな??

 そういえば、「是より二丁行く」八彦尊道の道標から、もう既に200メートルは歩いた気がするのですが、それらしき寺社や祠などは見えてこないのですが・・・
 まさか、油断をつかれて化かされて道に迷ったぽこ・・・???