見出し画像

日光道中・奥州道中 その37「水鳥の 記憶たどりて 道中絵(草加宿)」

 前回の記事で取り上げた「たぬき絵」展の開催地「草加市立歴史民俗資料館」へ。

 重厚感のある資料館の建物、元々は、大正十五年(西暦1926年)に小学校の建物としてつくられたものです。
 この「小学校」は、関東大震災から間もない年代に、地震や火災に強い鉄筋コンクリートを用いてつくられたもので、その頃に東京都内でつくられた「復興小学校」と同じ考え方でつくられたものといえそうです。

 そして、昭和50年代に校舎の役割を終えて資料館となり、今では登録有形文化財に指定された建物です。

 引用:草加市立歴史民俗資料館の建物について
 
https://www.city.soka.saitama.jp/cont/s2105/030/010/010/PAGE000000000000028926.html#%E5%BB%BA%E7%89%A9%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2

 資料館の内部には、寛延四年(西暦1751年)に盛岡藩士「清水秋全」が作成した江戸から盛岡までの道中絵図「増補行程記」や、江戸幕府(道中奉行)による数年間の調査事業を経て文化三年(西暦1806年)に完成した「日光道中分限延絵図」といった資料に基づいて1000分の1の縮尺でつくられた草加宿の模型などが展示されています。

 この模型を見ると、街道や宿場町はもちろんのこと、草加宿の北端で街道に接近する「綾瀬川」の「札場河岸」や、綾瀬川から「甚左衛門堰」を経て街道の東側を流れる水路「伝右川」の存在感があり、綾瀬川には何艘もの荷舟の姿も見えますので、かつての草加宿が、陸路の街道と、水路の河川や河岸が交わり、河岸で荷物の積み替えも行われるような要所だった様子を思い浮かべることができそうです。


 資料館の展示物である「模型」の画像はここでは省略しますが、「模型」の説明板の画像を参考までに。
 この説明文にも登場する「清水秋全」は今まで知らなかった人物で、気になりました。

 引用:模型の資料となった「清水秋全」による「武奥増補行程記」がデジタル資料として公開されている国立国会図書館のサイト。

 街道沿いの建物や、街道から見える山などの風景が記されるほか、松並木がある区間では木々が描かれるなど、とても詳細な絵図。

 盛岡藩士が作成・使用したものですので、この絵図のスタート地点は、日本橋でも江戸城でもなく、今の日比谷公園の南側に設けられていた盛岡藩の藩邸で、藩邸に近い山下目附(山下見附。「江戸城 三十六見附」と称された「江戸城」の外濠の門の一つで、今の帝国ホテル付近からJR線路をくぐって銀座方面へ通じるあたりの場所に存在した)を経て、銀座から東海道を北上して日本橋から奥州街道へ繋がる道が描かれています。

 この道中絵図、人物はほとんど描かれていないのですが、「山下目附」の番人2人だけは描かれていたり、山下目附から江戸城の外濠を越える橋のところには「水鳥 常に多し」と記されていたりと、細部まで見逃せません。

 (この絵図を見始めると、見飽きることなく時間を忘れて街道沿いの風景に惹き込まれます。
 絵図の作者の清水さん、現代にいらっしゃったら、散歩中に画像を撮り続けてメモリが一杯になったり、ツイートかメモか音声入力か、いずれにしても膨大な記録を作り上げるタイプの人かしら?と妙な親近感を覚えます 笑) 


 引用:国立国会図書館のデジタル資料「武奥増補行程記」のうち、草加宿の部分。
 草加を「増賀」と記す当て字があります。

 
 そして、資料館の外にも展示物が並べられています。

 錆びが目立って痛々しい感じもする「郵便差出箱1号(丸型)」、いわゆる「丸型ポスト」です。

 この形状の「丸型ポスト」は、昭和24年(西暦1949年)から昭和45年(西暦1970年)にかけて、各地に設置されていました。

 その後、昭和45年からは四角いポスト「郵便差出箱1号(角型)」が主流となり、丸型ポストが角型ポストに置き換えられたり、老朽化した丸型ポストに変えて角型ポストが新設されたりしましたが、今も現役で使われている「丸型ポスト」も多数あり(一説によると、全国で4300基ほどが残されているとも)、街道歩きや散歩では、思わぬところで見かけることもよくあります。
 
 なお、昭和45年以前も、郵便物の多い市街地などを中心に「郵便差出箱3号」や「郵便差出箱6号」といった四角いポストが設置されていましたので、昭和45年以前の郵便ポストはすべて丸型ポストだったというわけではないようです。

 引用:郵政博物館のサイトから、郵便ポストの移り変わりについて

 (丸型ポストを見ていると、信楽狸のような丸みを帯びた姿や、狸のポンポコ腹のような姿に親しみを覚えるぽこ~~ というたぬきさんもいるかもしれません 笑)


 そのほか、昔の橋の親柱(おやばしら。橋の名前や河川名などが記される、橋の上に設置されたシンボル的な標柱。)もあります。

 草加市の北から東へと流れる「あやせ川(綾瀬川)」の名が記された親柱。
 綾瀬川は、江戸へ通じる水運の川でもあり、草加では、日光街道の近くに河岸が設けられ、陸運と水運をつなぐ物流の賑わいも生み出しました。

 「いちのはし(一の橋)」、地図を見ると、日光街道からは離れた、草加市の北西側に位置する橋のようです。

かつての親柱に記された絵心でしょうか?
オシドリのような水鳥と波の模様
良い風情を感じます。