日光道中・奥州道中 その31「灯り消え 露の世を越す 几号文字(千住宿~草加宿」
瀬崎浅間神社の桜を眺めて一息ついたら、再び歩き出しましょう。
ただし、街道に戻る前に、もう少し見るところがあります。

「合社」が並ぶ地。

案内板に記された「昭和七年の街道拡張」の影響を受ける前の時代の参道については、瀬崎浅間神社のサイトにも記されています。
かつては、参道が西側(街道に向かう側)に延び、そこから鍵型に(直角に)曲がって北に延び、一の鳥居は現在の東日本銀行(今の神社から50~60メートルほど北側)に設けられていたという話。
この話を見ると、かつての「日光街道」は今の道路よりも幅が狭く(今の道路のうち、神社とは反対側の車線が街道だった?)、街道と神社の間に少し距離があったようです。
そして、もう一つ、気になる案内板へ。

今の銀行の横に存在したことが記されます。
関東や東北の街道沿いで目にすることのある「几号(きごう)水準点」。
明治九年、西洋式の技術を用いた測量が行われ、イギリス式の「水準測量」により標高を算出する作業が行われた際、鳥居や手水鉢といった「朽ちることなく長い年月にわたって残されるであろう丈夫な石造物」に水準測量に用いる記号が刻まれたことの名残りです。
引用:几号水準点について
引用:そもそも水準測量とは?
https://www.gsi.go.jp/sokuchikijun/suijun-survey.html
なお、今の感覚では読みにくい(?)、「几号(きごう)」という名前の由来は、水準測量の際に、この記号に沿って置かれる「台」が、イギリスでは「ベンチ」の形をした「ベンチマーク」と呼ばれていたのが、日本語に訳す際に、「ベンチ」を「床几(しょうぎ)」としたため、「床几」の「几」の文字が使われるようになったという話があります。

几号水準点に関する案内板から。
こちらが、几号水準点が刻まれ、かつては今よりも北側の「一の鳥居」近くに設けられていたという手洗石。

ただし、今では、几号水準点の記号は消耗して見つけるのが難しくなっていました(画像撮れず)。

境内を隅々まで見たところで、狛犬さんに見送られて、今の「街道」に戻りましょう。



御当地のお煎餅のお店もあります。
街道沿いの交差点の角に、小さな祠があります。

「火あぶり地蔵尊」

「火あぶり」にまつわる、哀しい伝承の地蔵堂。
江戸時代後期の絵図にも描かれる地蔵堂ですが、伝承にまつわる史実は不明とのことです。
説明板には「北方から邪神が当村(瀬崎村)に入るのを防ぐ境神」とあり、明治期の地図「迅速図」を見ると、たしかにこの地蔵尊の付近(当時は、この交差点のあたりで、街道を東西に横切る水路が流れていた)まで瀬崎村の家並みが描かれ、その先は、草加の宿場の入口まで、家並みが途切れている様子が描かれています。
さらに街道を進みます。

御当地のお煎餅のお店。

草加宿はもうすぐ、書くほどの距離もないのか
草加宿への距離は省略され、
次の越谷宿、さらに次の春日部宿
への距離が記されています。
(この距離標識の数字を見て、よし、歩こう!
と気力が奮い立つ人も居る?居ない?)
おまけ(時の移ろいの虚しさを感じる?風景)
瀬崎の浅間神社境内から見えた画像です。

「小樽」「みき」「より道」
それぞれ風情を感じる酒場の名前。
色鮮やかなクリーニング店の看板。
奥州街道から北へ「より道」の旅
「小樽」へ向かう「はしご酒」の旅を
思い浮かべました(笑)

世知辛い移ろいなのか
「より道」も「みき」も「小樽」も・・・
お店の文字が消えていました・・・。
「より道」や「小樽」をめぐる
はしご酒の旅も、今やまぼろし???
