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なぜ美術館は安心するのか?

川口市出身の自称読書家 川口竜也です!

最近、週末は映画館ばかり訪れているが、月に1度くらいは美術館に行くことを課している。

別に美術・芸術について深い教養や見識があるわけではなく。ただ良い作品を通じて、自らがカタルシス(精神の浄化)するような。

大学時代、西洋哲学の授業で聞いたもので言うと、魂がより洗練され、肉体から出た際ににより清らかになるために(どういう経緯でそうなったのかは、今となっては思い出せぬが)。

それはさておき。そんなわけで先日、目黒区美術館を訪れていた。企画展は「岡田謙三 パリ・目黒・ニューヨーク」。

「行くこと」それ自体を目的としているから、「なぜ」とかそう言うことはさておき。

岡田謙三さんの作品自体、ほぼお初にお目に掛かる程なのだが、ユーゲニズム(情緒的で、詩的な要素の強い抽象表現)で有名らしい。

抽象画ではあるけれども、何を表現しているのかが情緒的に感じるような。こればかりは、実際に観て頂かないと分からないのだが。

それで、ふと絵画などを観ていて、自分がとても「安心」していることに気づく。

一体、何に安心しているのか。

きっとそこには、人間の手による作品しかないからだと、私は結論付けた。

何と比較しているのかと言うと、私の頭のなかには、SNSや画像サイトで当たり前となりつつある、生成AIによる画像を思い浮かべる。

生成AIによる画像生成は、想像力がなくても、ある程度の良いものが作れる。

実際に私自身も、noteのアイキャッチに、たびたび画像生成を使用している。イメージに合う画像がない時など、文章から自分が欲しい画像を生成できるってのは、非常に重宝している。

ただ個人的には、AIで生成される画像は、あまりにも綺麗過ぎるって思うこともある。

特に人の顔とか、怖いくらいの美男美女で、皆同じ顔で、恐ろしさを感じないだろうか。

それに、SNSでは今に始まった話ではないが、この作品は人間の手によるものか、生成AIを活用したものかで、揉めることも多い。

凄く良い絵だ!と思ったものが、画像生成だと知った時、なぜか私はガッカリする。

なぜかと問われたら、そこに画力を裏付ける努力がないからかもしれない。

美術館にあるのは、そんなAIや画像生成技術なんてない、100%人間の手によるもの。

だから安心する。

その濃淡も、線引きも。画家にとっての完成形を目指している。

生成AIの画像は確かに上手い。

だけど、上手いから「美しい」わけじゃない。

美術館には、正直よくわからない作品もある。こんな抽象画なんて誰でも描けるのでは? と失礼にも思ってしまうようなものもある。

でもその中には、「美しさ」を感じる作品が、ふと訪れる時があって。全部に対してではなく、何かこう、1枚か2枚程度に、刺さるような。

そんな「美しい」を感じるために美術館を訪れていたが、なるほど、美しいとは「安心」するものなのかもしれない。


無論、生成AIを活用した芸術作品がない訳では無いし、それらの作品には「価値が無い」と言いたいわけではない。

ちょうど去年、六本木ヒルズは森美術館で行われた「マシン・ラブ展」も、そんなデジタル技術やAIを活用した作品も多くあった。

ただ、その時に感じたのは「楽しかった」であって、「安心」ではなかったと思う。

生成AIは確かに凄い。凄すぎて、恐怖すらを感じてしまうのは、決して私だけではないはず。

何と言うか、デジタル技術が発達した現代社会だからこそ、美術館を訪れる一つの理由になるかもしれませんね。それではまた次回!

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川口 竜也 / 川口市出身の自称読書家 今日もお読みいただきありがとうございました。いただいたサポートは、東京読書倶楽部の運営費に使わせていただきます。