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ゲームの歴史が教えてくれること

先日ゲームアーツの創業メンバーたちとずいぶん久しぶりに会った。
当然だが、PC雑誌やPCゲームが活性化する1980年代中ごろの話になった。
 
ゲーム専門誌が生まれるのは1985年なので、その前はPC雑誌にゲームの記事が掲載されていた。
もちろんPCゲームが中心だが、ファミコンがブームとなり、PC雑誌『ログイン』のコーナーから『ファミコン通信(現ファミ通)』が生まれた。

会社の後輩から、アスキーが借りている青山のマンションに10代後半から20代のPC(当時はマイコン、以下マイコン)マニアが集まってゲームを作っているという話を聞いた。
 
興味があったので行ってみたいと思ったが、結局ゲーム開発現場のマンションには行けなかった。その代わりにその付近にあったアスキーが借りていた一軒家を覗いて帰った。
意外と立派な建物だったが、中に入ると学生の寮のような感じで、数人が話をしていた。毛布や雑誌、本が散乱していた。ぼんやりとした記憶だが。

そこは、アスキーの仕事に関わるライターや編集者、編集アルバイト、PCゲーム制作に関わる人、彼らの知り合いなどが集まる交流の場だったらしい。
夕方になると、社員、アルバイト、知人たちは、誰もが分け隔てなく会社の経費で出前を取ることができたそうだ。食後はみんなで夜遅くまで情報や意見を交換していたという。

その数年後の話だが、自分の周辺もだいたい同じような環境だった。
昼過ぎから各編集部ライターたちが集まってくる。どこの部署もゲームは作っていなかったので、編集関係者だけ。夜になると編集者、アルバイト、ライターが、その日仕事のあるなしを問わず出前を取り、食べ終わるとマイコンやゲームの話題で夜遅くまで話し込んでいた。

そこに行けばマイコンやゲームマニア(後にオタク)の仲間に会え、彼らはあまりお金を持っていなかったから、ただで晩御飯が食べられて、そのあとは興味のある話が終電までできた。そんなコミュニティがあったのだ。
 
企業経営的な観点からいうと、経費の無駄のようだが、こうした雑談の中からPCゲームのアイデア、雑誌の企画が生まれたわけだ。すべてを肯定するつもりはないが、結果として、何らかの形でゲームの売り上げや雑誌の売り上げにつながったと思う。

アスキーのマニアが集うコミュニティの場を経て、ゲームアーツのメンバーは1985年20代半ばで起業している。同年『テグザー』(PC-8801等)を発売し、その後もゲームを開発していく。
同じような趣味や嗜好をもった人たちが集まるコミュニティが、その後の活動につながった。

自分の雑誌に掲載したファミコン版『テグザー』(スクウェア/1985年)の広告。

ゲームのスタートアップを支援する方法はいろいろあるが、スタートアップに至るまでを支援するインキュベーション(育成)を目的とした、同じような志向をもった人たちが集まるインディゲーム関係者のコミュニティも必要ではないだろうか。
ゲームの歴史が教えてくれているような気がする。