豊かさが増えない時代に、僕たちは何へお金を使うのか
給料は昔より上がっている。
それなのに、生活が豊かになった実感は薄い。
そんな時代だからこそ大切なのは、
「いくら持っているか」ではなく、
“自分は何に納得してお金を使っているのか”
なのかもしれない。
■公務員同士で感じた“生活の違和感”
現役公務員の友人と、公務員同士で話をした。
その友人は、僕が大学卒業後に就職するより前、高校卒業の時点で働き始めていた。
つまり、自分より数年早く社会に出ている人間だ。
そんな彼は、
ここ数年で一人暮らしを始めた。
自炊を覚え、
家事の大変さや料理の面白さを実感しながら生活している。
僕が以前一人暮らしをしていたことや、
料理が得意なのを知っているからか、
時々料理の写真も送ってきてくれる。
そんな彼だからこそ、
聞いてみたいことがあった。
「新規採用の時より給料は上がったと思うが、
生活の支出って割に合っているか?」
それは、僕自身がずっと感じていた “違和感” についてだった。
■給料は上がった。でも豊かになった気がしない
僕は彼にこう聞いた。
「俺らが新規採用で入った頃より、
給料って上がったよな。
でもさ、生活って実際どうなった?」
僕が働き始めた頃、
ジュースは100円で買えていた。
しかし今は125円、
130円が当たり前になった。
確かに給料は上がっている。
けれど、その上がり方が物価上昇に追いついているかと言われると、どうもそんな気がしない。
公務員の給料は、地域の民間企業の平均値となる。
額面だけ見れば昔より増えている。
民間も増えているのだろう
しかし、生活が豊かになった実感はない。
すると彼も、静かにこう返してきた。
「給料は上がった。
でも、生活コスト全部含めて考えると、
昔の方が豊かだった気がする」
■“おにぎりの値段”が教えてくる現実
彼は仕事帰りの話をしてきた。
「疲れてコンビニ寄ってさ、
おにぎり買おうと思ったんだよ。
ツナマヨと鮭のおにぎりの値段、当ててみ?」
僕は軽く答えた。
「ツナマヨ150円くらいじゃね?
鮭はそこに20円くらい上乗せだろ」
しかし返ってきた答えは、想像以上だった。
「ツナマヨ180円。鮭230円。」
しかも、それは値引きして50円引きで勝ったとはいえ、
それでも130円、180円
僕は思わず、
「ほぼ200円じゃねえか……」
と返してしまった。
(味の素の冷凍餃子198円が神に見える)
■ガンプラ・カードパックの値段について
彼は続けていった。
「20年前、
確か1000円くらいだった HGグレード
今は2000円いかないくらいになってるぞ」
僕は返す
「俺らが高校生の時
遊戯王のパックって150円だったよな
いま180円するぞ」
物価上昇は健全と思っているが、
伴った給料上昇をしていないから違和感があるのか?
それとも俺らが能天気なだけか?
体感と明らかな、違和感があった。
■“100円感覚”が抜けない
不思議なものだ。
僕の中では今でも、
グミは100円
板チョコも100円
アイスも100円前後
そんな感覚が抜けない。
高校生の頃や、
働き始めた頃の“物価感覚”が身体に染みついているのだ。
だからこそ、今の価格を見るたびに、
「なんか高いな」
という感覚が消えない。
■独身公務員でも、どこか窮屈
僕たちは独身男性で、公務員。
自炊もして、生活の身の丈を重んじ、
生活コストも比較的低い。
それでも、どこか窮屈さがある。
贅沢三昧しているわけでもない。
何十万も毎月ぜいたくに使う生活でもない。
ただ、コンパクトに生活をしている。
(私については
民間保険をなしにして、格安SIM、
不要なものを売ったりしてそれでもだ)
それなのに、
将来への漠然とした不安
自由にお金を使えている感覚の薄さ
「余裕がある」と言い切れない感覚
そういうものが、どこかに残り続けている。
公務員ですらこう感じるのだから、
世の中の人たちはどうやって生きているのだろう。
本当にそう思う。
■500円玉貯金は“意味がない”のか
話は500円玉貯金の話になった。
彼はここ2年ほどで、
10万円ほど貯めていたらしい。
しかし、そのお金も、
家賃更新
自動車税
そういった支払いで消えていくという。
ただ、僕はそれでも価値があると思った。
僕自身、500円玉貯金で100万円を貯めた経験がある。
その時に感じたのは、
「お金は置いておくだけでは
価値が目減りする」
という現実だった。
だが同時に、
その“肌感覚”を知れたことには価値があったとも思う。
「目減りしている…か、せっかく貯めたのに
だから僕は彼にこう言った。
「目的があるじゃないか。
その500円玉、ちゃんと価値と意味のある金だよ
結果的に、家賃更新とか税金とか、
“未来の自分のため”に使う予定なんだろ?」
「ただ貯めてた俺とはわけが違う」
すると彼は、
「そう言ってくれると、
頑張った甲斐あるわ」
と返してくれた。
■ユダヤ人のお小遣いの考え方
その流れで、僕は本で読んだ話をした。
ユダヤ系の家庭では、子供にお小遣いを渡す時、
「何のために使うのか?」
を聞くらしい。
旅行なのか。
欲しい物なのか。
将来のためなのか。
そして、
「じゃあ、それを達成するにはいくら必要なんだ?」
という話をする。
つまり、お金を “目的” と結びつける。
さらに、
今使うお金
将来のためのお金
目的達成のためのお金
を分けて考える習慣を作るらしい。
ただ目的のためにお金を渡さない。
お金をどう役立てて、どのように貯めて達成するか。
僕は、この考え方に妙に納得した。
■本当に必要なものは、後回しにしない
そして最後に、こんな話になった。
僕が、
「本当に必要なものって、
値段だけで選ばなくなるよな」
と言うと、彼も頷いた。
「本当に困ってるなら、
高くてもその場で買う。
“後でいいや”ってなる時点で、いらない
それって贅沢品なんだよ」
この言葉は、かなり印象に残った。
彼は僕よりも早くその結論に至っていたのだな…と
■お金は“自分の意思”で使えているのか
思うのだ。
人は、自分の意思でお金を使っているようで、
実際はそうでもない。
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SNS
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流行
そういった“外部の刺激”によって、
「欲しいと思わされている」
ことも多い。
しかし本来、お金とは、
“自分が納得して使うもの”
なのではないだろうか。
高いか安いかではない。
他人が持っているかでもない。
自分が本当に必要だと思い、
自分の意思で選び、
責任を持って使えるか。
そこにこそ、お金を使う意味があるのだと思う。
案外考えていて、
お金のことを他人事にしない。
そんな風にお金を扱える人は、
なんやかんや将来困ることはないのかもしれない。
