「なければ困る」ことと「あれば便利」——混同している人ほど、貧乏な話。

便利な社会ほど、貧しくなる。

「なければ困る」と「あれば便利」——あなたは混同していませんか。

お金が貯まらない。
節約しているつもりなのに、気づいたら財布が軽い。
そういう人に聞きたいのだが、
あなたは「なぜお金が出ていくのか」を、構造として考えたことがあるか。

使いすぎているからではない。
節約が下手だからでもない。
便利さに腰をかけすぎて、
自分で考える力を手放してしまっている。そういう考え方もある話


①24時間営業がない世界では、人はどう動くか

コンビニが24時間営業している。
深夜まで開いているドラッグストアもある。
安いスーパーが近くに24時間あれば、人はそちらに行く。
それが当たり前になっている。

でも仮に、そういうものが最初から存在しない文化だったとしたら、どうなるか。

おそらく人は、それに合わせて動く。

休みの日に日持ちのする食材をまとめて買っておく。
冷凍できるものを作り置きしておく。
帰りが遅い日のために、温めるだけで食べられるものを手元に置いておく。

完全に外部に頼りきるのではなく、
自分なりにできることと
お金で解決することの塩梅を考えて動く。

人はそういう力を、本来持っているはずだ。

でも便利なものがあると、その力を使わなくなる。
というか、忘れてしまう。
使う機会がなくなり、
いつしか気づいたとき、その力は錆びついている。

残業して、くたくたになって、
判断力が鈍った状態で帰り道にコンビニに寄る。
高いとわかっていても、
疲れているから何も考えずに買ってしまう。

でも立ち止まって考えてほしい。その状況を作っているのは何か。

定時に上がれれば、普通のスーパーに行けた。
でも残業したから、スーパーは閉まっていた。
だからコンビニしか選択肢がなかった——そういうことになっている。

疲れ切って判断力が鈍った自分に、ちょうどマッチするものに腰をかけている。その構造に気づいているか。

そしてもう一つ問いたい。

毎日定時で上がれる仕事だったなら、
あなたはコンビニを使っているか。

ちなみに私は「極力コンビニは使わない」と言いながら、
ついこの間、増量の二郎系ラーメンとお酒を買ってしまった。
偉そうなことは言えない。

ただそれでも、
そもそも「ありもしなかった便利を当たり前」を
「なくては困る」とはき違えていないだろうか?

使った後に「またやってしまった」と
思える自覚があるかどうかは、
倹約という意味では、大きな違いだと思っている。





②人は損を避ける力を持っている。なのになぜ、根本から変えないのか。

ゆうちょ銀行の話をする。

かつては土日でもゆうちょのATMなら手数料が無料だった。
…少しずつ悪化していった。
日曜は手数料がかかるようになった。
土曜も時間が限られた。
そして今では、平日の夕方5時までに引き出さなければ手数料がかかる状態になっている。

この話を聞いて、
多くの人は「じゃあ手数料がかからない時間に行けばいい」と考える。

実際そうしている人も多い。
平日の昼休みにATMに並ぶ。
長蛇の列ができている光景を、見たことがある人もいるだろう。

※私は給料が入ってすぐに並んででも
 ATMに行く主婦の気持ちがわからない。
 人が並んでいない月初めに、出金をしたほうがよくないか?と。

ここで気づいてほしいのだが
——人は損をしたくないとき、
自分の行動を変える力を持っている。

手数料を避けるために、わざわざ時間を作って動ける。
それだけの力がある。

なのになぜ、根本的解決、
ネットバンキングへの切り替えという根本解決をしないのか。

楽天銀行やソニー銀行に口座を作れば、
月に数回はどこのコンビニATMでも手数料がかからない。
選択肢は存在している。

「口座を新しく作るのが面倒」
「今の銀行を解約するのが億劫」——その理由で動かない。

今この瞬間の不便を回避することには動けるのに、
根本から変えることには動けない。

便利な現状に腰をかけているから、
抜本的に変えようとしない。

コンビニの話と、構造は同じだ。
24時間営業しているお店が無かったら…
人はそれに合わせて行動するはずだ。

ATMでは、数百円の手数料をケチりたくなるくせに、
コンビニで数百円の損失は苦に思わない。
スーパーで買えば、手数料分安く買えたはずだ。


疲れているから判断力が落ちたままコンビニに寄る自分を変えようとせず、コンビニが深夜まで開いていることに腰をかけ続ける。

手数料を払いたくないから行動を変えるのに、
手数料がかからない銀行に切り替えるという根本解決には動かない。

人は便利なものがあると、そこに流されていく。
そしてその流れに乗り続けることを、
いつのまにか「普通」だと思うようになる。




③便利さへの依存が生む、ずれた勘違い

便利なものに腰をかけること自体は、誰だってできる。
問題はそこではない。

その構造に気が付いても、
自分に負担がかかることは重い腰なのだ。動けないのだ。
ネットバンキングの開設も、
自炊のほうが健康的と分かっていても。

他人にはアドバイスできるだろう。
これを削れば、節約できるじゃないか?と。
しかし、自分にはあてはめられない。


もっと問題は、そのお店が経営できているのは自分たちが利用しているからだ、というずれた錯覚がある人がいる。

金を払っている方が偉い。究極そういう考えだ。

深夜まで働いてくれているスタッフがいる。
そのおかげで深夜でも買い物ができる。
でも「お金を払っている自分が偉い」
「消費者である自分が経済を回している」という方向に思考が向いてしまう人がいる。

自分の問題を自分で行動して解決すれば、お金の損失が減らせたかもしれない。
でも労働で疲れているから、残業しないと給料がもらえないから、そういう前提のもとで判断力が鈍っている。
その状況にマッチするものに頼り続けながら、
それが当たり前だと思っている。

足るを知る、という言葉がある。

24時間開いているスーパーが当たり前になった社会では、その恩恵に感謝する人は少ない。
一方で銀行の窓口が平日昼間しか開いていないことには「不便だ」と感じる。

誰かが自分の働いている時間以上に働いてくれているから、
便利に使えている。
その事実が、便利さに慣れすぎると見えなくなる。

便利さへの依存は、
自分で考える力を静かに削っていく。

金を使うから経済が回るのではない。
金を使える状況を作ってくれた人達(建物・システム・店員さん・商品を作る)がいるから、お金が使える。

その感謝が見えていない人は、
どこかお金を大切にしていない感じがわかる。




④「なければ困る」と「あれば便利」——この二つは、全く違う

大事なことを言っておく。
これがわかっていない人は、
基本的に「いらないものにお金をかけている」

周りにスーパーが一軒もない人と、
スーパーとコンビニが2軒ある人と、
コンビニしかない人とでは、話がまるで違う。

本当に選択肢がない人に向けて言っているのではない。

選択肢があるのに、
便利な方に流されている人に向けて言っている。

世の中の物、なんでも(例えばコンビニを)
「なければ困る」か
「なくてもいい」の2択で考えていないだろうか


「なければ困る」ものと
「あれば便利」なもの
「なくてもどうでもいい」もの
——この三つをグラデーションで考える力がないまま生きていると、一生お金は出ていくぞ。


コンビニは「なければ困る」なのか。
正直に言えば、なくても生きていける。ならば「あれば便利」だ。

高いし、わざわざ選ぶ理由は薄い。
安いならスーパーで買う。
でも疲れているとき、判断力が落ちているとき、人は考えずに使える場所に足が向く。

「あれば便利」なものが、
いつのまにか「なければ不安」になっている。
そして、「なくては困る」になってしまう。

その変化に気づかないまま、お金を払い続ける。





⑤結論——お金が貯まる人は、こう考えている

便利なものに腰をかけることは、誰だってできる。

便利なものに腰をかけすぎている自分を一度見つめ直したとき、

・それでも便利なものに頼る選択をするのか。
・多少手間がかかっても、自分なりにできる方法を考えるのか。

その選択を、意識してやっているかどうかだ。

お金が貯まる人、将来を豊かにしていける人は、特別なことをしているわけではないと私は思っている。
ただ、自分の生活のあり方を、お金や他人や社会に丸投げせず、自分なりにできる方法を少し考えて動いているだけだ。

構造を理解して、自分の財布を自分で守る選択ができる人。
その積み重ねが、10年後に大きな差を生む。

便利な社会ほど、貧しくなる。

人は便利に流され、考えなくなるから。
考えなくなれば、できることがなくなる。
そして、余計に便利に頼ろうとする。

この言葉の意味が、少しでも伝わったなら嬉しい。

コンビニに頼る人は、
コンビニから逃げられなくなる。

この考え方の側面がわかっている人は、
構造を理解して、自らでできることして、切り分けている。


家計と社会構造について、思うことを書いています。
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